小林君は、そのばんから、きたないこじき少年にばけて、渋谷の玉村さんのうちの見はりをつづけました。
はじめの夜は、なにごともありませんでしたが、ふたばんめに、おそろしいことがおこりました。
月もない、まっくらな夜です。八時ごろでした。
玉村さんのやしきの、うらてのコンクリートべいの下に、一枚のむしろがすててあります。とおくの街灯の光で、それがぼんやりと見えています。
あっ、そのむしろが、モゾモゾと動きました。よく見ると、むしろの下に人間がいるのです。こじきが、むしろをかぶって、寝ているのかもしれません。そのへんは、さびしいやしき町ですから、なんのもの音もなく、死んだように、しずまりかえっています。
しばらくすると、町のむこうから、まっくろな大きなものが、スーッと、こちらへ近づいてきました。
ヘッドライトをけした自動車です。
そのあやしい自動車は、こじきの寝ているむしろのそばに、とまりました。
自動車のドアが、音もなくひらいて、へんてこな大きなものが、とびだしてきました。
金色に光っています。それは人間ではなくて、四つ足で歩く猛獣でした。トラです。黄金のトラです。
東京の町の中にトラがあらわれたのです。しかも、そいつは自動車に乗ってやってきたのです。
金色に光るトラは、そのへんをノソノソと歩いていましたが、グッと首を低くして、ねらいをさだめたかと思うと、パッと、ひととびで、コンクリートべいの上にかけあがり、まるで綱わたりのように、せまいへいのてっぺんを歩いていきます。
地面のむしろの下の人間は、首をもたげて、じっと、それを見つめていました。
へいの上を十メートルほど歩くと、黄金のトラは、玉村さんのやしきの中に、ピョイととびおりて、姿をけしてしまいました。
地面のむしろが、パッとはねのけられ、その下に寝ていた人間が、立ちあがりました。少年です。ボロボロの服をきた、こじき少年です。
少年は、すぐそばにとまっている自動車の中をのぞきました。そして、思わず、「おやっ。」と声をたてました。
自動車にはだれもいないのです。運転手もいないのです。では、あの金色のトラが、自動車を自分で運転してきたのでしょうか。そんな器用な猛獣がいるのでしょうか。
こじき少年は、だれもいないことをたしかめると、車のうしろにまわって、そこのトランクのふたに手をかけて、もちあげてみました。
すると、かぎがかけてないとみえて、ふたはスーッとひらきました。中をのぞくと、荷物もなく、からっぽです。こじき少年は、トランクにはいりこんで、その中に身をかくし、ふたをしめてしまいました。尾行するつもりなのです。
いまに黄金のトラがもどってくるでしょう。そして、自動車を運転して、どこかへいくでしょう。こじき少年は、そのいくさきを、つきとめるつもりなのです。
それから十分ほど、なにごともおこりませんでした。すこしのもの音もなく、すこしの動くものもありません。
やがて、コンクリートべいの上から、金色のものが、ヒョイとのぞきました。トラの顔です。らんらんと光る目で、じっとへいの外をながめています。
それから、へいの上にのぼって、ノソノソと歩きはじめ、自動車の近くまでくると、ピョイと地面にとびおりて、車の運転席にはいりこみました。
やっぱり、この猛獣は、自動車の運転ができるのです。
自動車は、さびしい町から、さびしい町へと走っていきます。
二十分もたったころ、大きな洋館の門の中にはいって、そこでとまりました。
黄金のトラは、自動車からおりて、四つんばいになって、玄関のドアの前までいくと、あと足で立ちあがり、まるで人間のように、ドアをひらくと、その中に姿をけしてしまいました。
こじき少年は、トランクのふたを、ほそめにひらいて、そのようすを見ていましたが、トラが中にはいってしまうと、ふたをぜんぶひらいて、トランクからはいだし、玄関のドアのそばまでいって、中のようすに、耳をすましました。
しばらくまって、そっとドアをひらいて、のぞいてみますと、どこかに、うすぐらい電灯がついていて、そのへんがボンヤリと見えています。
玄関のホールから、廊下がおくへつづいていますが、そこには人影もありません。いやトラの影もありません。
こじき少年は、だいたんにも、ドアの中にしのびこみ、足音をしのばせながら、廊下を、おくのほうへすすんでいきました。
二十メートルもいくと、むこうにキラッと光るものが見えました。黄金のトラの背中です。そいつは、やっぱり、あと足で立って歩いているのです。
「ウフフフフ……。」
どこからか、みょうな笑い声が聞こえてきます。
こじき少年は、びっくりして、たちどまりました。
ああ、やっぱりそうです。トラが笑ったのです。
「ウフフフフ……。」
そして、ヒョイと、こちらをふりむきました。らんらんと光る目が、ほそくなって、口は三日月形に笑っているのです。
「おい小林君。きみは、こじきにばけているが、明智の助手の小林だろう。うまく、おれの計略にかかったな。きみはきっと、おれを尾行するだろうと思った。それで、さそいをかけたのだよ。」
トラが人間のことばをしゃべったのです。
こじき少年は、やっぱり小林君でした。小林君は、まんまと敵のわなにかかってしまったのです。
これはいけないと思い、いそいで、にげだそうとしました。
「おっと、にげようたって、にげられやしないよ。ほらね。ワハハハ……。」
黄金のトラが、おそろしい声で笑いだしました。
その笑い声といっしょに、ダーッという音がして、てんじょうから大きな鉄ごうしがおちてきました。
廊下いっぱいの鉄ごうしです。もう、うしろへはいけません。
しかたがないので、前へつきすすもうとすると、またしても、ダダーッという地ひびきがして、前にも鉄ごうしがおちてきました。
前とうしろに鉄ごうしがおちたのですから、おりの中にとじこめられたのとおなじことです。
「ワハハハハ……、どうだ、このしかけには、おどろいたか。さすがの小林少年探偵も、きょうから、おれのとりこだ。いまに、べつの部屋にいれてやるから、ゆっくり、滞在していくがいい。」
鉄ごうしのむこうから、トラがしゃべっているのです。ものをいうたびに、口がガッとさけて、赤い舌がペロペロと動くのです。
「きみは、いったい何者だっ。」
小林君は、せいいっぱいの声で、どなりつけました。
「おれは人間だよ。しかし、きまった顔をもたない人間だ。だれにでもばけることができる。このとおり、猛獣にだってばけられる。トラにはかぎらない。シシにだって、ヒョウにだって、大蛇にだって、ばけられるのだ。
おれの名をおしえてやろう。おれは百十四歳になるニコラ博士という魔術師だ。スーパーマンだ。」
「玉村銀一君とそっくりの少年をつれてきて、人間の入れかえをやったのは、きみだなっ。いったい玉村君をどこへかくしたのだ。」
「銀一君はここのうちにいるよ。いや、銀一君だけじゃない。いろいろな人間が、とりこにしてある。銀一君のねえさんもいるし、そのほかにも、きみの知らない人間がたくさんいる。」
「みんな、かえだまと、いれかえたんだな。」
「アハハハハ……、だんだんわかってきたようだな。おどろいたか。おれはどんな人間のかえだまでも、つくることができるのだ。
たとえば、きみとそっくりのかえだまだって、わけなくできる。魔法博士の神通力だよ。アハハハハ……。」
黄金のトラは、あと足で立ちあがって、自由自在に、人間のことばをしゃべっているのです。じつに、なんともいえない、ふしぎなありさまです。聞いているうちに、小林君は、ゾーッとおそろしくなってきました。
この金色のトラのいうことが、ほんとうだとすると、小林少年は、ここにとじこめられたまま、小林少年とそっくりのかえだまが、明智事務所に帰っていくことになるかもしれません。すると、どんなことがおこるでしょう。考えれば考えるほど、おそろしくなってくるではありませんか。