← Library‹ 青べか物語 はじめに

浦粕うらかす町まちは根ね戸と川かわのもっとも下流かりゅうにある漁師りょうし町ちょうで、貝かいと海苔のりと釣場つりばとで知しられていた。町まちはさして大おおきくはないが、貝かいの缶詰かんづめ工場こうじょうと、貝殻かいがらを焼やいて石灰せっかいを作つくる工場こうじょうと、冬ふゆから春はるにかけて無数むすうにできる海苔のり干ほし場ばと、そして、魚釣さかなつりに来くる客きゃくのための釣舟つりぶね屋やと、ごったくやといわれる小しょう料理りょうり屋やの多おおいのが、他たの町まちとは違ちがった性格せいかくをみせていた。

町まちは孤立こりつしていた。北きたは田畑たはた、東ひがしは海うみ、西にしは根ね戸川とがわ、そして南みなみには「沖おきの百ひゃく万まん坪つぼ」と呼よばれる広大こうだいな荒地あれちがひろがり、その先さきもまた海うみになっていた。交通こうつうは乗合のりあいバスと蒸気じょうき船せんとあるが、多おおくは蒸気じょうき船せんを利用りようし、「通船つうせん」と呼よばれる二ふたつの船ふね会社かいしゃが運航うんこうしていて、片方かたほうの船ふねは船躰せんたいを白しろく塗ぬり、片方かたほうは青あおく塗ぬってあった。これらの発着はっちゃくするところを「蒸気じょうき河岸がし」と呼よび、隣となりあっている両りょう桟橋さんばしの前まえにそれぞれの切符きっぷ売うり場ばがあった。

西にしの根ね戸川とがわと東ひがしの海うみを通つうじる掘割ほりわりが、この町まちを貫流かんりゅうしていた。蒸気じょうき河岸かしとこの堀ほりに沿そって、釣舟つりぶね屋やが並ならび、洋食ようしょく屋や、ごったくや、地方ちほう銀行ぎんこうの出張しゅっちょう所しょ、三さん等とう郵便ゆうびん局きょく、巡査じゅんさ駐在ちゅうざい所しょ、消防しょうぼう署しょ――と云いっても旧式きゅうしきな手押ておしポンプのはいっている車庫しゃこだけであったが、――そして町まち役場やくばなどがあり、その裏うらには貧まずしい漁夫ぎょふや、貝かいを採とるための長ながい柄えの付ついた竹籠たけかごを作つくる者ものや、その日ひによって雇やとわれ先さきの変かわる、つまり舟ふねを漕こぐことも知しらず、力仕事ちからしごとのほかには能のうのない人ひとたちの長屋ながや、土地とちの言葉ことばで云いうと「ぶっくれ小屋こや」なるものが、ごちゃごちゃと詰つめあっていた。

町まちの中心ちゅうしん部ぶは「堀ほり南みなみ」と呼よばれ、「四よん丁目ちょうめ」といわれる洋食ようしょく屋やや、「浦うら粕かす亭てい」という寄席よせや、諸しょ雑貨ざっか洋品ようひん店てん、理髪りはつ店てん、銭湯せんとう、「山口やまぐち屋や」という本当ほんとうの意味いみの料理りょうり屋や――これはもっぱら町まちの旦那だんな方ほう用ようであるが、そのほか他ほかの田舎町いなかまちによくみられる旅籠宿はたごやどや小商こあきないの店みせなどが軒のきを列つらねていた。その南側みなみがわの裏うらに、やはり「ごったくや」の一画いっかくがあり、たった一いち軒けんの芝居しばい小屋こやと、ときたま仮設かせつ劇場げきじょうのかかる空地くうちがある、というぐあいであった。

これらのことをどんなに詳くわしく記しるしたところで、浦うら粕かす町まちの全貌ぜんぼうを尽つくすわけにはいかない。私わたくしも決けっしてそんなつもりはないので、ただこの小ちいさな物語ものがたりの篇へん中ちゅうに出でてくる人ひとたちや、出来事できごとの背景はいけいになっているものだけを、いちおう予備よび知識ちしきとして紹介しょうかいしたにすぎないのである。

はじめに「沖おきの百ひゃく万まん坪つぼ」と呼よばれる空地くうちが、この町まちの南側みなみがわにひろがっていると書かいた。私わたくしは目測もくそくする能力のうりょくがないので、正確せいかくにはなんともいえないが、そこは慥たしかにその名なにふさわしい広ひろさをもっていた。畑はたけといくらかの田たもあるが、大だい部分ぶぶんは芦あしや雑草ざっそうの繁しげった荒地あれちと、沼ぬまや池いけや湿地しっちなどで占しめられ、そのあいだを根ね戸川とがわから引ひいた用よう水堀みずぼりが、「一ひとつ𣱿いり」から「四よんつ𣱿」まで、荒地あれちに縦横たてよこの水路すいろを通つうじていた。――この水路すいろや沼ぬまや池いけには、鮒ふな、鯉こい、鮠はや、鯰なまずなどがよく繁殖はんしょくするため、陸釣おかづりを好このむ人ひとたちの取とって置おきの場所ばしょのようであった。また、沼ぬまや池いけや芦あしの茂しげみの中なかには、獺かわうそとか鼬いたちなどが棲すんでいて、よく人ひとをおどろかしたり、なにごとでもすぐに信しんずるような、昔むかしふうの住民じゅうみんを「隙すきさえあれば化ばかそうと思おもっている」ということであった。

この町まちではときたま、太陽たいようが二ふたつ、東ひがしと西にしの地平ちへい線せん上じょうにあらわれることがある。そういうときはすぐにそっぽを向むかなければ危あぶない。おかしなことがあるものだ、などと云いって二ふたつの太陽たいようを見みると「うみどんぼ野郎やろう」になってしまう。そうしてそのときにはすぐ脇わきのほうで、獺かわうそか鼬いたちの笑わらっている声こえが聞きこえるということである。特とくに鼬いたちはたちの悪わるいいたずら好ずきで、人ひとが道みちを歩あるいていると、ひょいと向むこうへとびだして来きて、立たちあがって、交通こうつう整理せいりでもするように、右手みぎてをあげて右みぎをさし示しめしたり、左手ひだりてで左ひだりのほうをさしたりする。そうしたら必かならず反対はんたいのほうにゆかなければならない。うっかりしてそちらへゆけば、きまって池いけか堀ほりか、わるくすると根ね戸と川かわへ落おちこんでしまう、といわれていた。

百ひゃく万まん坪つぼから眺ながめると、浦うら粕かす町まちがどんなに小ちいさく心こころぼそげであるか、ということがよくわかる。それは荒あれた平野へいやの一部いちぶにひらべったく密集みっしゅうした、一いちとかたまりの、廃滅はいめつしかかっている部落ぶらくといった感かんじで、貝かいの缶詰かんづめ工場こうじょうの煙突えんとつからたち昇のぼる煙けむりと、石灰せっかい工場こうじょうの建物たてものぜんたいを包つつんで、絶たえず舞まいあがっている雪白せっぱくの煙けむりのほかには、動うごくものも見みえず物音ものおとも聞きこえず、そこに人ひとが生活せいかつしているとは信しんじがたいように思おもえるくらいであった。

私わたくしはその町まちの人ひとたちから「蒸気じょうき河岸かしの先生せんせい」と呼よばれ、あしかけ三さん年ねんあまり独ひとりで住すんでいた。

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