← Library‹ 青べか物語 SASE BAKA

おすずは船宿ふなやど「野口のぐち」の娘むすめで、年としは十じゅう七なな歳さいだった。両親りょうしんと姉あねが二人ふたり、弟おとうと三さん人にんの家族かぞくであるが、きょうだいがそれぞれ父ちちか母ははか、または祖父そふか祖母そぼに似にているのに、おすずだけは誰だれにも似にていなかった。ここに桃ももを八ようつ並ならべたとすると、その中なかの一ひとつが林檎りんごであるように、躯からだつきも顔かおだちも、気性きしょうまでがみんなと違ちがっていた。――彼女かのじょのぜんたいから受うける印象いんしょうは、清純せいじゅん、可憐かれん、初心うぶ、という平俗へいぞくな成語せいごに、ほのかないろけを加味かみした感かんじであった。背丈せたけは五ご尺しゃく一いち寸すんくらい、痩やせがたできりっとしていて、肩かたがいたいたしいほど小ちいさく、手ても足あしも小ちいさかったが、指ゆびはすんなりと先さきが細ほそくなってい、爪つめはいつも桃色ももいろに染そまっていた。――顔かおはうりざねがたであった。その土地とちには珍めずらしく、北国きたぐにそだちのように色いろが白しろく、きめがこまかで、両りょうの頬ほおには活いき活いきとした血ちの色いろを浮うかせ、冬ふゆのさなかでも、汗あせをかいているようにしっとりと湿しめりけを帯おびていた。眉毛まゆげは細ほそいけれども濃こく、描えがき眉まゆのようにはっきりといいかたちをしていた。少すこし尻しりさがりの眼めも細ほそかったが、絶たえず羞はにかんでいるような潤うるおいがあり、人ひとに目礼もくれいをしたり話はなしかけたりするときには、まるで恋こいでも語かたりかけるのかと思おもうほど、その眼めの潤うるおいが情熱じょうねつ的てきにみえた。――私わたくしもときどき道みちで挨拶あいさつをされたのであるが、初はじめのうちは自分じぶんが恋こいされているのではないかと思おもい、われ知しらず胸むねがときめいたものであった。唇くちびるは、――小ちいさくて厚あつぼったいだけであった。むしろそれだけ見みればみにくいと云いってもいいだろう、もっとも特徴とくちょうがあり忘わすれがたいのはその声こえで、ちょっと鼻はなにかかる、あまったれたような話はなしぶりとその澄すんだきれいな声こえとは、どんなに悪意あくいをいだいた人間にんげんの心こころをもとろかすだろう、というほかに云いいあらわす言葉ことばがない。――こういう娘むすめには、よほど運うんがよくっても一いち年ねんに一いち度どくらいしかゆきあわないものだ。美貌びぼうというだけではなく、彼女かのじょのぜんたいから受うける清純せいじゅん、初心しょしん、可憐かれん、という印象いんしょうに似にたものは、私わたくし自身じしんもそれ以来いらいまだみかけたことがないのである。

「ふん、野口のぐちのすずあまが」

貝かいを掘ほるための竹籠たけかごを作つくる「籠かご屋や」のおたまが、或あるとき私わたくしに向むかって云いった。おたまも小学しょうがく三さん年ねん生せいであり、「千本せんぼん」の長ちょうとは違ちがった立場たちばで、私わたくしにいろいろな情報じょうほうを提供ていきょうしてくれていた。

――綿めん屋やのおつゆちゃんは十じゅう二にでちょぼちょぼと生はえた。

――仁作にさくんとこのおっかあは二十にじゅう三さん号ごう船せんの平井ひらいエンジとできちゃって、毎晩まいばんどっかへ二人ふたりでつるみにゆくだ。

――だいき(人名じんめい)のじいさまは毎晩まいばんばあさまに手てを合あわせてあやまるだってよ、とても続つづかねえからってよ、ふん。

主ぬしとしてそんな類たぐいの情報じょうほうであった。

「ふん、野口のぐちのすずあまが」とおたまは軽蔑けいべつしたように云いった、「あんなのぺっとした顔かおをしてえてすけべえなことったら、夜よるになってな、十じゅう二に時じ過すぎてっから裏うらの戸とを叩たたくとよ、すぐに出でて来きて誰だれにだってさせるだ、誰だれにだってよ、相手あいてに選えり好ごのみはねえだってよ」

「嘘うそじゃねえってば先生せんせい」とおたまは念ねんを押おすように云いった、「だからみんなはすずあまのこと****(注ちゅう・小しょう題だい参照さんしょう)って云いってるだよ」

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