こぬか雨のなかで、かれらはみな血相を変え、凄いほど昂奮し、殆んど逆上していた。
「どうかやめて下さい、待って下さい」
伊兵衛は側へ駆け寄って、両方を手で押えるような恰好をして云った。
「怪我をしたら危ないですから、そんな物を振りまわすなんて、けんのんなことはやめて下さい、どうかみなさん」
「さがれ下郎、やかましい」とり巻いているほうの一人が喚いた、「よけいなさし出口をするとおのれから先に斬ってしまうぞ」
「それはそうでしょうけれども、とにかく」
「まだ云うか、この下郎め」
「まあ危ない、そんな乱暴な、あっ」
逆上している一人が(脅かしだろうけれど)刀を振上げて向って来た。伊兵衛はどう躱したものか、相手の利き腕を掴み、かれらのまん中へ割って入りながら、「お願いします、わけは知りませんがやめて下さい、つまらないですから、どうか」
利き腕を掴まれた侍はじたばたするが、どうしても伊兵衛の手から逭れることができない。これを見て伴れの四人は怒って、
「下郎から先に片づけろ」
こう叫んで、これまた刀を閃かして向って来た。伊兵衛は困って横へ避け、「よして下さい、そんな、ああ危ない、それだけはどうか、とにかく此処は、あっ」
手を振り、おじぎをし、懇願しながら、右に左に、跳んだり除けたり廻りこんだり、なんともめまぐるしく活躍し、みるみるうちに五人の手から刀を奪い取り、それを両手でひと纒めにして、頭の上へ高くあげながら、「どうか許して下さい、失礼はお詫びします、このとおりですから、どうかひとまず」などと云い云い逃げまわった。
これより少しまえ、松林とは反対側にある道へ、三人の侍が馬を乗りつけて来て、この場のようすを眺めていた。そうして、逃げまわる伊兵衛を五人の者が、「刀を返せ」とか「この無礼者」「待て下郎」などと喚きながら追いまわすのを見て、初めて馬を下り、そのなかの二人がこっちへ近寄って来た。
「鎮まれ、見苦しいぞ」
四十五六になる肥えた侍が、よく徹る重みのある声で制止した。
「はたし合いは法度である、控えろ」
「御老職であるぞ」
もう一人がどなった。
「――みな鎮まれ、御老職のおいでであるぞ」
よほど威勢のある人とみえ、このひと言でみんなはっとし、すなおに争闘をやめた。御老職といわれたその中年の侍は、ぐっとかれらを睨みつけ、すぐに伊兵衛のほうへ来た。「何誰かは知らないがよくお止め下すった、私は当藩の青山主膳と申す者、厚くお礼を申上げます」
「はあ、いやとんでもない」
もちろんさし上げていた刀は下ろしていたが、彼は例によって恐縮し、赤くなった。
「――却って私こそ失礼なことを致しまして、みなさんをすっかり怒らせてしまいまして」
「血気にはやる馬鹿者ども、さぞ御笑止でございましたろう、失礼ながらそこもとは」
「はあ、三沢伊兵衛と申しまして、浪人者でございまして、向うの川へ釣りにまいったのですが、こちらが危ないもようだったものですから、つい知らずその、こういうことに」
「当地に御滞在でいらっしゃるか」
「追分の松葉屋という、いやとんでもない、どうかあれです、私のことなど決してお気になさらないように、ほんのなにしただけですから」
彼は刀をそこへ置き、おじぎをしながら後退した。
「――どうかお構いなく、妻が待っておりますし、借りた釣り竿も放りだしたままですし、失礼します」
そしていそいでそこを去った。
釣り竿も魚籠も元の処にあった。もう釣りをする気にもなれないので、それらを拾いあげると、がっかりしたような気持で帰途についた。
「はたし合いだなんて、危ないことをするものだ」
歩きながら彼は呟いた。
「親兄弟、妻子のいる者もあるだろうに、つまらない意地とか、武士の面目とかいうことでしょう、……しかし失敗だったですなあ、頭の上へ刀を五本、両手でさし上げて、あやまりながら逃げまわったというのは、われながらあさましい、しかもそれを見られたのだから、うっ」
伊兵衛は首を縮めて呻いた。
宿へ帰ったが、する事がなかった。あきない用の玩具も余るほど作ってあるし、もっと作るにしても材料を買う銭が(宿賃があるので)心配だった。深酒をした翌日で、しきりに飲みたい誘惑もある、しようがないので、朝昼兼帯の食事をして寝てしまった。
眠りのなかで彼はすばらしい夢をみた。どこかの藩主が家来を大勢伴れて来て、ぜひとも召抱えたいというのである。
――また気まずいことになりますから。
と彼は辞退した。藩主はぜひぜひと譲らず、食禄は千石だすと云った。千石となると話はべつである。彼は胸がどきどきし、いよいよ時節が来たかと思って、夢のような幸福な気分に満たされた。そのとき妻に起こされた。
「お客さまでございます」
三度めくらいに彼は眼をさました。そしてやっぱり夢だったかと、少なからずがっかりしたが、客は藩中の侍だと聞いて、こんどははっきりと眼がさめた。
「侍ですって、それは、いやすぐ出ます、ちょっと顔だけ洗って」
伊兵衛は裏へとびだしていった。
客はあの草原へ馬を乗りつけた一人で、「御老職であるぞ」と号令をかけた男だった。年は三十四五、名は牛尾大六というそうで、この安宿には閉口したらしく、土間に立ったまま用件を述べた。要約すると、今朝の礼に一盞献じたいし、また話したいこともあるから、青山主膳宅までぜひ来て貰いたい、というのであった。伊兵衛はわくわくした。
――正夢かもしれない。
前兆ということも軽蔑はできない。よければ同道する、駕籠が待たしてあるからというので、待って貰って支度をした。
「どういう御用でございますか、どこでお知合いになった方ですか」
おたよは心配そうに訊いた。彼は失望させたくなかったので、詳しいことは帰って話すと云い、古くはあるが紋付の衣服に袴をつけて、久方ぶりに大小を差して、同宿者たちの訝しさと羨ましげな眼に送られながら、牛尾大六と共に出ていった。