← Library‹ さぶ 二の五

店みせへ帰かえって寝ねてからも、さぶはまだ胸むねがどきどきすると云いっていた。そこは仕事場しごとばの隣となりにある十じゅう帖じょうで、栄二えいじとさぶ以下いか、十じゅう七ななになる伝六でんろく、三さん月がつにはいった卯吉うきち、定ていと、小僧こぞうたちを合あわせた、五ご人にんの寝ね場所ばしょになっていた。多た市し、重じゅう七なな、五郎ごろうの三さん人にんには、それぞれ自分じぶんひとりの四よん帖じょう半はんを与あたえられているが、こっちの五ご人にんはなにもかもこみで、衣類いるいや日用にちよう品ひん、蒲団ふとんや持物もちものなども、三さん間げんの戸納とだなに仕切しきりがあって、その中なかへ入いれるようになっていた。戸と納おさめの反対はんたい側がわは壁かべ、一方いっぽうは仕事場しごとばへ通つうじる板戸いたど、東側ひがしがわが窓まどという造つくりで、栄二えいじとさぶとはその窓際まどぎわに寝床ねどこを並ならべていた。

三さん人にんの小僧こぞうたちはもう眠ねむってい、伝六でんろくのやまいだといわれるいびきが、十じゅう帖じょういっぱいにそうぞうしい音おとをふりまいていた。

「あの三さん人にんはなに者ものだろうな」とさぶが云いった、「おのぶの兄あにだって云いったあの男おとこは、本当ほんとうにおのぶの兄あにさんなんだろうか」

「嘘うそっぱちさ、きまってらあ」

「だって、去年きょねんから嫁よめにゆく約束やくそくが」

「嘘うそっぱちさ」と栄二えいじが遮さえぎって云いった、「おれたちは月つきに二に度どずつかよって、おめえはなにかかにか土産みやげを持もってってる、そのうえ初はじめっからお互たがいにざっくばらんで、遠慮えんりょのねえ口くちをききあってたんだ、もしもそんな事情じじょうがあるとすれば、のぶ公こうが話はなさずにいるわけはありゃあしねえよ」

さぶは考かんがえてみてから云いった、「――すると、あいつらはなんだろう」

「わからねえ」と栄二えいじは枕まくらの上うえで頭あたまを左右さゆうに振ふった、「のぶ公こうを張はってる地廻じまわりかなんかだろうと思おもうが、のぶ公こうにきいてみなくっちゃわからねえ」

「可哀かわいそうだな」とさぶは囁ささやくように云いった、「そんなやつが付つき纏まとっているとすると、いったいおのぶはどうなるだろう」

栄二えいじは答こたえなかった。伝六でんろくのいびきがひと際きわ高たかくなり、さぶも黙だまった。

「にんげんは一寸ちょっとさきのこともわからねえ」と暫しばらくして栄二えいじが云いった、「おれたちにゃあ金かねも力ちからもねえし、職人しょくにんとしてもまだいちにんめえにはなっちゃいねえ、――さぶ、おめえの気持きもちはよくわかるが、おれたちにいま大事だいじなのは自分じぶんのことだ、ここ二に、三さん年ねんでおれたちの一生いっしょうがきまるんだ、そう云いっちゃあ酷こくかもしれねえが、のぶ公こうのことは忘わすれてくれ、おめえ一人ひとりにむりを云いうんじゃあねえ、おれも女おんなのことは忘わすれるから」

さぶは息いきをのみ、寝返ねがえって栄二えいじを見みた。

「忘わすれるって」とさぶがきいた、「栄さかえちゃんにも、誰だれかいるのか」

「話はなさなかったか」

「覚おぼえがねえようだな」

「ずいぶんまえっからなんだ」栄二えいじは夜具やぐの中なかで胸むねを撫なでた、「――本町ほんちょうの両替りょうがえ屋やで、綿めん文ぶんていうとくいのあるのを知しってるだろう」

「ああ、おれも一いち度どいったことがある」

「あそこの中なか働はたらきでおすえっていう娘むすめがいる」と栄二えいじは囁ささやき声ごえで云いった、「色いろの黒くろい、ちっちゃな躯むくろつきで、おれのことを大おおきくなったわね、って云いやあがった」

「話はなしの途中とちゅうだが」とさぶが云いった、「――綿めん文ぶんじゃあ栄さかえちゃんに、娘むすめさんの一人ひとりを嫁よめにくれるってことになってるんじゃねえのか」

「ばか云いえ」栄二えいじはそう云いってから、ふいとさぶのほうへ振ふり向むいた、「――なんだって、おめえいまなんて云いった」

「多た市しあにいが話はなしてるのを聞きいたんだ」さぶは気きまずそうに口くちごもった、「おらなんにも知しらねえけど、綿めん文ぶんでは娘むすめの一人ひとりを栄さかえちゃんに」

「よせやい」栄二えいじは枕まくらの上うえで首くびを振ふった、「あんなおちゃっぴいをどうするもんか、それにこっちは半人はんにんめえの職人しょくにんだし向むこうは大おお金持かねもちの娘むすめだ、冗談じょうだんじゃあねえ、そんな者ものを貰もらったらそれこそ一生いっしょうのお荷物にもつだぜ」

「そんなら」とさぶは舌したったるい調子ちょうしで、さぐるようにきいた、「その、――おすえちゃんていうのは、もう」

「そうじゃあねえ、そうじゃあねえんだ」栄二えいじはさぶの言葉ことばから身みをよけるように云いった、「向むこうはなんにも知しっちゃあいねえ、おれの独ひとり合点がてんなんだ、おれは昔むかしっから好すきで、できたらいつかいっしょになりてえと思おもってた、いまでもそう思おもってるが、今夜こんやかぎり、そんなことは考かんがえねえことにするよ」

さぶがやや暫しばらくして呟つぶやいた、「――いろいろなことがあるんだなあ」

栄二えいじはなにも云いわなかった。伝六でんろくのいびきが低ひくくなり、小僧こぞうの定さだめがなにか寝言ねごとを云いった。みんな眠ねむったのかと思おもわれるころ、栄二えいじの囁ささやくような声こえが聞きこえた。

「生いきていればな」そして彼かれは溜息ためいきをついた、「――生いきているうちはな」

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