← Library‹ さぶ 三の一

「おんとし二十にじゅうと三さんにならせたまいて」とさぶは反故紙ほごがみの文字もじを読よんでいた、「――おんとし二十にじゅう三さんていうと、おれたちとおないどしっていうわけだな」

栄二えいじは襷たすきを直なおし、糊のり皿さらで糊のりを延のばしながら、左手ひだりての甲こうで額がくをこすった。

「読よむのはよせよ」と彼かれはさぶのほうを見みずに云いった、「皺しわになると使つかえなくなるぜ」

「ちゃんと鏝こてがかけてあるよ」

「だから読よむのはよせって云いうんだ、いつまでも子供こどもっぽいやつだな」栄二えいじは殆ほとんどうわのそらで云いった、「せわをやかせるなよ」

さぶは反故ほご紙しをそっと下したに置おいた。

二人ふたりはいま二十にじゅう三さんになって、初はじめて二人ふたりだけで、綿めん文ぶんへ襖ふすまの張替はりかえに来きていた。客きゃく座敷ざしき二ふたつの襖ふすま八はち枚まい。その日ひは五いつ日かめで、下張したばりにかかったところであった。朱しゅの塗縁ぬりぶちに吉野よしの杉すぎの骨ほねの、がっしりした本間ほんげん襖ふすまで、刷毛はけを持もって向むかいあうだけでも気持きもちがひきしまり、いかにも「仕事しごとをする」という、こころよい昂奮こうふんが全身ぜんしんに感かんじられるようであった。

中なか働はたらきのおすえが来きて、そっと覗のぞき、お茶ちゃにしてもいいかときいた。さぶが栄二えいじの顔かおを見み、栄二えいじが答こたえようとしたとき、綿めん文ぶんの妹娘いもうとむすめのおそのが走はしって来きて、おすえを押おしのけるように座敷ざしきへはいり、栄二えいじの脇わきへ坐すわった。

「あたしいまお稽古けいこしていたのよ」とおそのは栄二えいじの膝ひざへ手てをかけながら云いった、「――聞きこえたでしょ、栄さかえちゃん」

「ええ」と栄二えいじはおすえに振ふり向むいて云いった、「お茶ちゃにしていただきましょうか」

おすえが「はい」と云いい、おそのが栄二えいじの膝ひざを手てでゆすりながら、自分じぶんのうたったのが聞きこえたかどうかと、答こたえをせがんだ。おすえは眼めをそらして去さり、栄二えいじはおそのの手てを静しずかに押おしのけた。

「お稽古けいこって、いまなにをやってるんです」

「あらいやだ、長唄ながうたじゃないの」おそのは栄二えいじの膝ひざを手てで叩たたいた、「このまえ総そうざらいに来きてくれたんじゃなかったの、ねえ、さぶちゃん」

「ええ」さぶは頭あたまのうしろへ手てをやった、「矢やの倉くらの和泉楼いずみろうでしたっけ」

「栄さかえちゃんは来きてくれなかったの」

「いきましたよ」と云いって栄二えいじは左手ひだりての指ゆびを一いち本ほんずつ、手拭てぬぐいで念入ねんいりに拭ふいた、「――おととしと同おなじ道成寺どうじょうじ、よく飽あきねえもんだって、おどろきましたよ」

「憎にくらしい、誰だれが飽あきないのよ」

「師匠ししょうがね」

ぶつわよ、とおそのが大おおきな眼めで睨にらみ、栄二えいじは立たちあがって、手てを洗あらって来きます、と云いいながら廊下ろうかへ出でていった。

「いまのは口くちだけですよ」さぶがとりなすように、吃どもりながら云いった、「ええ、本当ほんとうは感心かんしんしていたんです」

「嘘うそ、誰だれが感心かんしんなんかするもんですか、自分じぶんで自分じぶんにあいそがつきてるんだもの」と云いっておそのは吃驚びっくりしたように眼めをみはった、「ほんとだ、栄さかえちゃんの云いうとおりだわ」

そして笑わらいだし、ほんとにお師匠ししょうさんがよく飽あきないものだわ、と云いいながら胸むねを押おさえ、身みを跼かがめて笑わらった。さぶは自分じぶんがなにか失敗しっぱいでもしたように、まるっこい顔かおを赤あからめ、糊のり皿さらを脇わきへ動うごかしたり、反故ほご紙しを重かさね直なおしたりした。

「あーあ」とおそのは笑わらいやんで云いった、「笑わらっちゃうわね」

おすえが茶ちゃと菓子かしを持もって来き、すぐあとから栄二えいじが戻もどって来きた。おすえは茶ちゃを淹いれ、菓子かし鉢はちの蓋ふたを取とると、誰だれの顔かおも見みないようにして、いそぎ足あしに出でていった。

「あの人ひといまお嫁よめの話はなしがあるのよ」と云いいながらおそのは菓子かしを一ひとつ取とり、さぶに向むかって片手かたてを振ふった、「あたしにもお茶ちゃをちょうだい、いいわよ、その茶碗ちゃわんで」

さぶはいまおすえの淹いれていった茶ちゃの一ひとつを、盆ぼんにのせてすすめ、栄二えいじはさりげない表情ひょうじょうで、あの人ひとって誰だれです、と問とい返かえした。

「おすえよ、きまってるじゃないの」おそのは菓子かしを喰たべ、茶ちゃを啜すすった、「あの人ひとあたしとおないどしの十じゅう九きゅうでしょ、もうとっくにお嫁よめにいってもいいとしなのに、なかなかうんと云いわないんですって、もし売うれ残のこったらどうするのかしら」

「自分じぶんはどうなんです、おないどしならおそのさんだってもう」

「だめ、だめなのよあたしたち」おそのは栄二えいじの言葉ことばを遮さえぎって云いった、「あたしも姉あねさんも縁遠えんどおい生うまれつきなんですって、姉あねさんなんか二十にじゅう一いちにもなるのに、これっていう縁談えんだんがまだ一ひとつもないの、お菓子かしつまみなさいよ」

さぶが慌あわてて菓子かしを取とり、栄二えいじは茶ちゃを啜すすった。

「縁遠えんどおい生うまれつきか」と栄二えいじが云いった、「暢気のんきな人ひとたちだな」

「だってほんとなんですもの」おそのは細ほそい肩かたを左右さゆうにゆすり、眼尻めじりで栄二えいじをみつめながら云いった、「――栄さかえちゃんあたしのことお嫁よめに貰もらってくれないかしら」

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