「おんとし二十と三にならせたまいて」とさぶは反故紙の文字を読んでいた、「――おんとし二十三ていうと、おれたちとおないどしっていうわけだな」
栄二は襷を直し、糊皿で糊を延ばしながら、左手の甲で額をこすった。
「読むのはよせよ」と彼はさぶのほうを見ずに云った、「皺になると使えなくなるぜ」
「ちゃんと鏝がかけてあるよ」
「だから読むのはよせって云うんだ、いつまでも子供っぽいやつだな」栄二は殆んどうわのそらで云った、「せわをやかせるなよ」
さぶは反故紙をそっと下に置いた。
二人はいま二十三になって、初めて二人だけで、綿文へ襖の張替えに来ていた。客座敷二つの襖八枚。その日は五日めで、下張りにかかったところであった。朱の塗縁に吉野杉の骨の、がっしりした本間襖で、刷毛を持って向いあうだけでも気持がひきしまり、いかにも「仕事をする」という、こころよい昂奮が全身に感じられるようであった。
中働きのおすえが来て、そっと覗き、お茶にしてもいいかときいた。さぶが栄二の顔を見、栄二が答えようとしたとき、綿文の妹娘のおそのが走って来て、おすえを押しのけるように座敷へはいり、栄二の脇へ坐った。
「あたしいまお稽古していたのよ」とおそのは栄二の膝へ手をかけながら云った、「――聞えたでしょ、栄ちゃん」
「ええ」と栄二はおすえに振り向いて云った、「お茶にしていただきましょうか」
おすえが「はい」と云い、おそのが栄二の膝を手でゆすりながら、自分のうたったのが聞えたかどうかと、答えをせがんだ。おすえは眼をそらして去り、栄二はおそのの手を静かに押しのけた。
「お稽古って、いまなにをやってるんです」
「あらいやだ、長唄じゃないの」おそのは栄二の膝を手で叩いた、「このまえ総ざらいに来てくれたんじゃなかったの、ねえ、さぶちゃん」
「ええ」さぶは頭のうしろへ手をやった、「矢の倉の和泉楼でしたっけ」
「栄ちゃんは来てくれなかったの」
「いきましたよ」と云って栄二は左手の指を一本ずつ、手拭で念入りに拭いた、「――おととしと同じ道成寺、よく飽きねえもんだって、おどろきましたよ」
「憎らしい、誰が飽きないのよ」
「師匠がね」
ぶつわよ、とおそのが大きな眼で睨み、栄二は立ちあがって、手を洗って来ます、と云いながら廊下へ出ていった。
「いまのは口だけですよ」さぶがとりなすように、吃りながら云った、「ええ、本当は感心していたんです」
「嘘、誰が感心なんかするもんですか、自分で自分にあいそがつきてるんだもの」と云っておそのは吃驚したように眼をみはった、「ほんとだ、栄ちゃんの云うとおりだわ」
そして笑いだし、ほんとにお師匠さんがよく飽きないものだわ、と云いながら胸を押え、身を跼めて笑った。さぶは自分がなにか失敗でもしたように、まるっこい顔を赤らめ、糊皿を脇へ動かしたり、反故紙を重ね直したりした。
「あーあ」とおそのは笑いやんで云った、「笑っちゃうわね」
おすえが茶と菓子を持って来、すぐあとから栄二が戻って来た。おすえは茶を淹れ、菓子鉢の蓋を取ると、誰の顔も見ないようにして、いそぎ足に出ていった。
「あの人いまお嫁の話があるのよ」と云いながらおそのは菓子を一つ取り、さぶに向って片手を振った、「あたしにもお茶をちょうだい、いいわよ、その茶碗で」
さぶはいまおすえの淹れていった茶の一つを、盆にのせてすすめ、栄二はさりげない表情で、あの人って誰です、と問い返した。
「おすえよ、きまってるじゃないの」おそのは菓子を喰べ、茶を啜った、「あの人あたしとおないどしの十九でしょ、もうとっくにお嫁にいってもいいとしなのに、なかなかうんと云わないんですって、もし売れ残ったらどうするのかしら」
「自分はどうなんです、おないどしならおそのさんだってもう」
「だめ、だめなのよあたしたち」おそのは栄二の言葉を遮って云った、「あたしも姉さんも縁遠い生れつきなんですって、姉さんなんか二十一にもなるのに、これっていう縁談がまだ一つもないの、お菓子つまみなさいよ」
さぶが慌てて菓子を取り、栄二は茶を啜った。
「縁遠い生れつきか」と栄二が云った、「暢気な人たちだな」
「だってほんとなんですもの」おそのは細い肩を左右にゆすり、眼尻で栄二をみつめながら云った、「――栄ちゃんあたしのことお嫁に貰ってくれないかしら」