さぶはうまく云いつくろおうとしてけんめいになった。だが言葉にあやをつけたり、含みのある表現をしたりすることは、彼にはまったく不可能であった。親方の芳兵衛はすぐに綿文へ詫びにゆき、栄二は店内から放逐すると約束した。それから浅草の和助を呼んで、東仲町の店にも置くな、と命じたということがわかった。
「そうだろう、そんなこったろうと覚悟はしていたんだ」
「浅草の和助あにいはいろいろとりなしたんだ」とさぶは自分の失策のように、口ごもりながら云った、「――いまそこまで仕置をするのは酷だ、当人のためも少しは考えてやらなければって」
「もうよせ」と栄二は首を振り、自分の膳の上にある汁椀の蓋を取った、「そうはっきりきまれば云うこたあねえ、おれも飲もう」
栄ちゃん、とさぶが呼びかけ、おすえは待っていたように酌をした。
「親方はまっすぐな人だ」栄二は注がれた酒をみつめて云った、「自分も人からうしろ指を差されるようなことはしねえ代りに、子飼いの人間でも曲ったことは決して許さねえ、だからこそ、芳古堂の屋台骨にゆるぎがねえんだろう、結構だ、立派なもんだよ」
栄二はそこで酒をひと息に呷った。
「こんなことを云ったからって、おれがやけになってるなんて思わねえでくれ」と彼は続けた、「芳古堂と縁が切れた以上、おれがなにをしようと親方に迷惑はかからねえ、また、親方も店内の誰にも、おれにどうしろこうしろと云う権利はもうなくなった、そうだろう、さぶ」
「それはまあ、そうだろうが」さぶは不安そうに栄二の顔を見た、「いまここでそんなふうにきめなくっても、まだ店内のあにいたちに口をきいてもらう、ってえ手もあるし」
「まっぴらだ」栄二はなにかを叩っ切るように云った、「芳古堂がどんなに立派な店で、店の名がどれほど大事かは知らねえが、こんどのやりかたをみておらああいそが尽きた、向うから戻ってくれって頼んできても、二度と再びあの店の敷居を跨ぐもんか、まっぴらごめんだ」
おすえは蒼白くひきつったような顔で、黙って栄二に酌をし、ついでさぶにも酌をした。栄二はその二杯めもひと息に呷り、三杯めを注がせたが、さぶは酒には口をつけず、おどおどした眼つきで栄二のようすを見まもっていた。
「さぶ、おめえに頼みがある」
「いいとも、なんでも云ってくれ」
「東仲町へいって、おれの荷物を持って来てくれ」と栄二が云った、「たぶん小舟町に預けてあった金も届いてると思うが、もし届いていなかったら小舟町から受取って、そいつもここへ持って来てもらいたいんだ」
「そんなことならぞうさもねえが」と云ってさぶはおすえを見た、「――ここへ持って来るより、おちつく先をきめて」
「あたしのうちがいいわ」とおすえがいそいで云った、「栄さんにはたったいまからお金が大切なのよ、あたしのうちならむだなお金を使わずに済むし、仕事を始める足掛りにもなるわ」
栄二はきっぱりと首を振った、「――そいつはおれの身がきれいになってからだ」
おすえがなにか云おうとし、栄二は手をあげてそれを抑えた。
「ぬすっとの汚名を消すのが第一、もう一つは躯のけがれだ」と彼は云った、「――さぶも知ってるとおり、おれは二十三になるまで道楽はしなかった、酒こそ飲んだけれどいろまちへは近よったこともねえ、――それにはおめえがいたからなんだ、おすえちゃん、いつかおめえをかみさんに貰いたいと思い、それまではきれいな躯でいたいと思ったからだ」
おすえは低くうなだれ、左手に燗徳利を持ったまま、右手の指で両の眼がしらを抑えた。
「それを忘れたわけじゃあねえが」と栄二は続けていた、「まったく覚えのねえぬれぎぬをきせられて、十年も勤めた店を追い出され、ひと言のいい訳もきいてもらえなかったのでかっとなった、生れて初めて、世間も人も信じられなくなり、どうにでもなれと、すてばちな気持で飲みあるいたうえ、ゆき当りばったりに女と寝てしまった」
どこで幾人の女と寝たかも、寝た相手がどんな顔かたちだったかも記憶がない。少しも覚えていない相手と寝た、ということが、いっそう自分をけがらわしく感じる。この、自分をけがらわしく感じる気持が消えるまでは、おすえには近づきたくないのだ。
「本当に綿文から暇を取ったんなら、金杉にあるといううちへ帰っていてくれ」と栄二はおすえに云った、「これならどうにかやってゆける、という段取りがついたら、おれのほうから改めて話を持っていくよ、尤も、断わっておくが、いつのことになるかわからない、半年でそういう気持になるか二年さきになるか、いまのおれには見当もつかない、だから、ぜひ待っていてくれとは云えないんだよ、おすえちゃん」
おすえは大きくみはった眼で、栄二をじっとみつめながら頷いた。
「これで話はきまった」と栄二は酒を呷ってから云った、「よかったらさぶはこれから浅草へいって来てくれ、おすえちゃんは金杉へ帰るんだ、勝手なようで済まねえが、いまはおれを独りにしてくれ」
さぶは持っていた椀の蓋の、冷たくなった酒を啜り、おすえは燗徳利を置いて、うちは金杉三丁目裏の弥六店、父の名は平蔵だと云った。
「もういちど云うが、おれを待っていなくてもいいんだよ、おすえちゃん」と栄二がそっぽを向きながら云った、「――この世に生きていると、いつどんなことが起こるかわかりゃあしないんだからな」