「この人足寄場は牢舎ではない」とその寄場同心は云っていた、「――さきほどの申渡しをいまいちど聞かせるが、無頼、無宿の者は、ほんらい佐渡ヶ島へ送るべきところ、お上の格別なる御仁恵をもって、加役人夫に仰せつけられたものである」
この寄場は他の牢とは違い、収容者を罪人とはみなさない。衣服は規定によって、柿色に水玉を染め抜いた物を着せるが、髪毛はそのままだし、亭主のある女はかねをつけてもよい。手に職のある者はその職にはげみ、職のない者は好みの職を身につけることができる。それらの作業には賃銀が支払われるし、それはやがて世間へ出たとき正業につく元手になる、――寄場同心のそういう言葉を、栄二はまるで聞いていなかった。越前堀のところでお手玉をしていた、二人の小さな女の子の姿が眼についてはなれず、その声がいつまでも耳の奥に聞えていた。おひだーり おひだーり だーりだーりだるまのめ。栄二は唇を噛み、眼をつむった。小僧のころ綿文の奥座敷で、おきみやおそのや、その友達の小さな女の子たちの相手をして遊んだときの、自分の姿が見えるようであった。
「おい」と隣に坐っていた金太という若者が肱で小突いた、「立つんだよ」
同心の話は終り、荒蓆の上に坐っていた五人は立って、草履をはいた。
かれらの左右にいた下役同心四人が、こっちへ来いと云って、広い中庭のほうへ導き、そこに待っていた他の下役同心たちを紹介した。それらは手業掛り、牡蠣灰掛り、畑掛り、油絞り掛り、舂場掛り、見張番所掛り、そのほか寄場差配、医者、教師などもいるそうだが、これらはのちにひきあわせるということであった。紹介が済むと、五十ばかりになる男が前へ出て来た。雄牛のような躯つきで、肩には肉が瘤のようにもりあがってい、汐風や陽やけのためではなく、生れつきらしい赤黒い顔に、眼と口とがばかげて大きく、そして鋸の目をたてるときのような、耳ざわりな声をしていた。
「おれは寄場差配の松田権蔵という者だ」とその男は喚くように云った、「ここにいる人足どもは、陰でおれのことを赤鬼と呼んでいる、おれはそんなことはくそとも思わねえ、きさまたちもそう呼びたけりゃあ呼ぶがいい、おれはそんなこって怒りゃあしねえから、だがよく覚えておけ、いまあっちできさまたちに話をされたのは、役所詰元締役の同心で岡安喜兵衛と仰しゃる方だが、あの話をまに受けて、ここが極楽だなどと思ったら大間違えのすっとこどっこいだ、佐渡ヶ島の金掘りはこの世の地獄だってえことを云うだろう、名こそ違うがここも石川島、きさまたちのやりようによっちゃあここも佐渡に劣らねえ地獄になる、そいつを忘れるなよ」
そして彼はいまいましそうに五人を睨みつけ、地面へ唾を吐いてから、大股にそこを去った。次には四十四、五歳になる男が前へ出て来た。これはとしに似あわないやさ男で、着物の衿が首をしめるほどひき合わせてあり、あまったるい声で、なにかを撫でるような話しかたをした。
「私は人見張役の小島良二郎という者だ」とその男は云って、微笑した、「人見張りとはおまえたちの世話役のようなものだ、さきほど岡安どのが云われたとおり、この寄場はおまえたちを痛めつけるところではなく、手に職のある者にはその職をはげまし、職のない者には――」
「おんなし念仏じゃあねえか」と金太が栄二に囁いた、「あいつは銀流しだ、赤鬼よりたちが悪いぜ」
「そういうわけで、手に職のある者はその職を与えるし」と小島は続けていた、「職のない者でなにか手に職をつけたいと思う者は、その望みの職を申出るがよい、そのほかの者は川渫い、畑作、土方、お米蔵の荷揚げなど、そのときどきによって人足仕事をふり当てる、わかったな、では手に職のある者、また、望みの職のある者は申出るがよい」
五人の内、中年者の三人は大工、左官、足袋屋であった。金太は身についた職もないし、なにかの職を覚えたいとも云わなかった。栄二はなにも答えなかった。小島という人見張役は、口の中に唾の溜っているような、まだるこい調子で、諄くいろいろときいたが、栄二は初めから終りまで、ひと言も口をきかなかった。
「おまえは自分の名も云わないらしいな」小島は持っている帳面を見ながら眉をしかめた、「ここへ来たらすなおにしないと、痛いめにあうぞ」
そして金太とおまえは「もっこ部屋だ」と云った。――それは川渫いや土方しかできない者たちの集りだという。どうにでもなれ、なんとでもしやあがれ、どいつもこいつもおれにはかたき同然だ、と栄二は思っていた。