← Library‹ さぶ 六の一

二に月がつ下旬げじゅんの或ある夜よる、もっこ部屋へやで次郎吉じろきちが騒さわぎだした。自分じぶんの包つつみの中なかから金かねがなくなっている、というのである。部屋へやにはめいめいの仕切しきり戸納とだながあり、自分じぶんの物ものは各自かくじで持もつことを許ゆるされていた。島しまへ来きてから稼かせいだ分ぶんは、役所やくしょで預あずかって、帳面ちょうめんだけ渡わたされ、毎月まいつきその高たかの合計ごうけいをしてもらうのだが、初はじめから持もっていた金かねや、知友ちゆうの差入さしいれてくれる金品きんぴんは、自分じぶんの手許てもとにしまって置おくことができた。――これは寄場よせばが牢ろうと違ちがうところの一いち例れいで、行状ぎょうじょうがよいと認みとめられれば、常つね着ぎになって外出がいしゅつもできるし、面会めんかい人にんがあれば会あうこともできた。そのため大だい部分ぶぶんの者ものが、多少たしょうなりとも金きんを持もっているようであった。

「よく捜さがしてみろ」と人足にんそくの一人ひとりが云いった、「この島しまで金かねがぬすまれたなんて話はなしは、これまで一いち遍へんも聞きいたこたあねえぞ」

「だってねえんだからしようがねえ」と次郎吉じろきちはなお包つつみの中なかを掻かきまわしながら云いった、「おらあちゃんと財布さいふに入いれて、この着物きもののあいだへ入いれといたんだ」

この問答もんどうを聞ききながら、栄二えいじは「おや」と思おもった。いつかは見みた顔かおだと思おもったが、次郎吉じろきちの声こえにも聞きき覚おぼえがあった。へんにとりいるようでいて狡猾こうかつそうな口くちぶり、慥たしかに聞きいた声こえだと思おもいながら振ふり返かえった。

「やいやい、てめえの仕切しきりはおれの仕切しきりの隣となりだ」とさっきの人足にんそくが云いった、「てめえまさかおれにいんねんをつけるつもりじゃあねえだろうな」

「そんなばかな」次郎吉じろきちはとんでもないというふうに首くびを振ふった、「あにいに疑うたがいをかけるなんて、そんなつもりはこれっぽっちもありゃあしねえよ、おらあただここへ入いれといた金かねが財布さいふごと」

「やい、次郎じろうべえ」と寝ねそべっていた他ほかの人足にんそくの一人ひとりが、寝ねそべったままで云いった、「――てめえのふところから、落おっこちそうになってるのはなんだ」

えっと云いって次郎吉じろきちは自分じぶんの胸むなもとを見み、いまにも落おちそうになっている財布さいふをみつけて、吃驚びっくりしたように口くちをあけた。

「これあどうも」と彼かれは頭あたまを掻かいた、「どうもこいつあとんだしくじりだ、そういえばさっき包つつみをあけたとき、こいつをふところへ入いれたのを度忘どわすれしちまったんだな、どうもめんぼくねえ、ただいまのお笑わらいぐさだ」

「なにがお笑わらいぐさだ、ふざけるな」と初はじめの男おとこがするどく叫さけんだ、「ひとを疑うたぐるようなことをぬかしゃあがって、お笑わらいぐさたあなんだ、この野郎やろうふざけると承知しょうちしねえぞ」

「ちょっと待まってくんな」次郎吉じろきちは片手かたてを前まえに出だし、あとじさりをしながら、追従ついしょうするような声こえで云いった、「おらあなにもあにいを疑うたがったことなんかありゃあしねえ、とんでもねえ、おれは自分じぶんのまぬけさかげんがお笑わらいぐさだって云いったまでなんで」

そこまで聞きいて栄二えいじは立たちあがった。そして次郎吉じろきちのほうへ歩あゆみ寄よりながら、勝かちあにい、と呼よびかけた。次郎吉じろきちが振ふり向むき、周囲しゅういにいた人足にんそくたちもなにごとかというように、二人ふたりのほうへ眼めを向むけた。

「なかまでは慥たしか、勝かちあにいと呼よばれていたっけな」と栄二えいじは云いった、「ちょっと話はなしがあるんだ、外そとへ出でてくれ」

「なんだって、どうして」次郎吉じろきちは眼めをそばめながらひどく吃どもった、「おらあ次郎吉じろきちっていう名なで、勝かちあにいなんていう者ものは知しらねえが」

「外そとへ出でればわかるよ」

「おめえはなにか人違ひとちがいをしているんだ」

「外そとへ出でろっていうんだ」栄二えいじは拳こぶしをあげて次郎吉じろきちの顔かおを殴なぐった、「――てめえは忘わすれたかもしれねえがこっちは覚おぼえてるぞ、女衒ぜげんの六ろく、外そとへ出でたくねえのなら、ここでてめえのしたことをばらしてやろうか」

「お、おらあ」次郎吉じろきちは舌したが硬こわばったのだろう、すぐにはあとの言葉ことばが続つづかず、救すくいを求もとめるように周囲しゅういの男おとこたちを見みまわした、「頼たのむ、あにいたち、この男おとこは」

そう云いいかけたが、誰だれの顔かおにも軽侮けいぶと憎悪ぞうおの色いろしかあらわれていないのを見みると、彼かれはいきなり土間どまへとびおり、引戸ひきどをあけて外そとへとびだした。栄二えいじもすぐにあとを追おい、部屋へやにいた人足にんそくたちの殆ほとんどが、そのあとに続つづいて走はしり出でた。

――尻尾しっぽに火ひのついたきちがい猫ねこ。

次郎吉じろきちのあとを追おいながら、与平よへいの云いった言葉ことばを思おもいだしたが、可笑おかしさよりも相手あいての卑怯ひきょうさ、めめしさに肚はらが立たつだけであった。中庭なかにわは暗くらく、向むこうの見張みはり所しょの障子しょうじが、灯あかりをうつしてぼんやり明あかるくなっている。次郎吉じろきちはそこへ駆かけ込こむつもりだったのだろうが、途中とちゅうで松田まつだ権蔵ごんぞうに捉つかまってしまった。

「助たすけて下ください」と次郎吉じろきちの泣なき声ごえで訴うったえるのが聞きこえた、「あっしはみんなに野の詰づめにされます、どうか匿かくまっておくんなさい」

そこへ栄二えいじが駆かけ寄よった。そこまで来きて初はじめて、次郎吉じろきちを捉つかまえているのが赤鬼あかおにだとわかり、栄二えいじは両手りょうてを拳こぶしにして立停たちどまった。

「この男おとこを野の詰づめにするそうだな」と松田まつだはしゃがれ声ごえで云いった、「――ずいぶん大勢おおぜいいるようだが、それだけの人数にんずうでなければ、こんな男おとこの始末しまつができねえのか」

「その男おとこを渡わたして下ください」と栄二えいじが云いった、「相手あいてはあっし一人ひとり、ほかの者ものは見みに来きただけです」

「きさまはぶしゅうだな」と松田まつだが云いった、「こいつにどんな恨うらみがあるんだ」

「あんたの知しったこっちゃあねえ」栄二えいじは低ひくい声こえできっぱりと云いった、「そいつをこっちへ渡わたして下ください」

そして彼かれは次郎吉じろきちにとびかかった。

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