二月下旬の或る夜、もっこ部屋で次郎吉が騒ぎだした。自分の包みの中から金がなくなっている、というのである。部屋にはめいめいの仕切り戸納があり、自分の物は各自で持つことを許されていた。島へ来てから稼いだ分は、役所で預かって、帳面だけ渡され、毎月その高の合計をしてもらうのだが、初めから持っていた金や、知友の差入れてくれる金品は、自分の手許にしまって置くことができた。――これは寄場が牢と違うところの一例で、行状がよいと認められれば、常着になって外出もできるし、面会人があれば会うこともできた。そのため大部分の者が、多少なりとも金を持っているようであった。
「よく捜してみろ」と人足の一人が云った、「この島で金がぬすまれたなんて話は、これまで一遍も聞いたこたあねえぞ」
「だってねえんだからしようがねえ」と次郎吉はなお包みの中を掻きまわしながら云った、「おらあちゃんと財布に入れて、この着物のあいだへ入れといたんだ」
この問答を聞きながら、栄二は「おや」と思った。いつかは見た顔だと思ったが、次郎吉の声にも聞き覚えがあった。へんにとりいるようでいて狡猾そうな口ぶり、慥かに聞いた声だと思いながら振り返った。
「やいやい、てめえの仕切りはおれの仕切りの隣りだ」とさっきの人足が云った、「てめえまさかおれにいんねんをつけるつもりじゃあねえだろうな」
「そんなばかな」次郎吉はとんでもないというふうに首を振った、「あにいに疑いをかけるなんて、そんなつもりはこれっぽっちもありゃあしねえよ、おらあただここへ入れといた金が財布ごと」
「やい、次郎べえ」と寝そべっていた他の人足の一人が、寝そべったままで云った、「――てめえのふところから、落っこちそうになってるのはなんだ」
えっと云って次郎吉は自分の胸もとを見、いまにも落ちそうになっている財布をみつけて、吃驚したように口をあけた。
「これあどうも」と彼は頭を掻いた、「どうもこいつあとんだしくじりだ、そういえばさっき包みをあけたとき、こいつをふところへ入れたのを度忘れしちまったんだな、どうもめんぼくねえ、ただいまのお笑いぐさだ」
「なにがお笑いぐさだ、ふざけるな」と初めの男がするどく叫んだ、「ひとを疑ぐるようなことをぬかしゃあがって、お笑いぐさたあなんだ、この野郎ふざけると承知しねえぞ」
「ちょっと待ってくんな」次郎吉は片手を前に出し、あとじさりをしながら、追従するような声で云った、「おらあなにもあにいを疑ったことなんかありゃあしねえ、とんでもねえ、おれは自分のまぬけさかげんがお笑いぐさだって云ったまでなんで」
そこまで聞いて栄二は立ちあがった。そして次郎吉のほうへ歩み寄りながら、勝あにい、と呼びかけた。次郎吉が振り向き、周囲にいた人足たちもなにごとかというように、二人のほうへ眼を向けた。
「なかまでは慥か、勝あにいと呼ばれていたっけな」と栄二は云った、「ちょっと話があるんだ、外へ出てくれ」
「なんだって、どうして」次郎吉は眼をそばめながらひどく吃った、「おらあ次郎吉っていう名で、勝あにいなんていう者は知らねえが」
「外へ出ればわかるよ」
「おめえはなにか人違いをしているんだ」
「外へ出ろっていうんだ」栄二は拳をあげて次郎吉の顔を殴った、「――てめえは忘れたかもしれねえがこっちは覚えてるぞ、女衒の六、外へ出たくねえのなら、ここでてめえのしたことをばらしてやろうか」
「お、おらあ」次郎吉は舌が硬ばったのだろう、すぐにはあとの言葉が続かず、救いを求めるように周囲の男たちを見まわした、「頼む、あにいたち、この男は」
そう云いかけたが、誰の顔にも軽侮と憎悪の色しかあらわれていないのを見ると、彼はいきなり土間へとびおり、引戸をあけて外へとびだした。栄二もすぐにあとを追い、部屋にいた人足たちの殆んどが、そのあとに続いて走り出た。
――尻尾に火のついたきちがい猫。
次郎吉のあとを追いながら、与平の云った言葉を思いだしたが、可笑しさよりも相手の卑怯さ、めめしさに肚が立つだけであった。中庭は暗く、向うの見張所の障子が、灯をうつしてぼんやり明るくなっている。次郎吉はそこへ駆け込むつもりだったのだろうが、途中で松田権蔵に捉まってしまった。
「助けて下さい」と次郎吉の泣き声で訴えるのが聞えた、「あっしはみんなに野詰めにされます、どうか匿っておくんなさい」
そこへ栄二が駆け寄った。そこまで来て初めて、次郎吉を捉まえているのが赤鬼だとわかり、栄二は両手を拳にして立停った。
「この男を野詰めにするそうだな」と松田はしゃがれ声で云った、「――ずいぶん大勢いるようだが、それだけの人数でなければ、こんな男の始末ができねえのか」
「その男を渡して下さい」と栄二が云った、「相手はあっし一人、ほかの者は見に来ただけです」
「きさまはぶしゅうだな」と松田が云った、「こいつにどんな恨みがあるんだ」
「あんたの知ったこっちゃあねえ」栄二は低い声できっぱりと云った、「そいつをこっちへ渡して下さい」
そして彼は次郎吉にとびかかった。