← Library‹ さぶ 六の五

もっこ部屋へやへ帰かえるとすぐに、あとから小島こじま良りょう二郎じろうが追おって来きた。小島こじまは風呂敷ふろしき包つつみを持もっていて、いまの男おとこからおまえに差入さしいれだ、と云いった。栄二えいじはその包つつみを冷つめたい眼めで見みたが、あれは自分じぶんの知しらない人間にんげんであり、そんな物ものを受取うけとる筋すじはない、と頑固がんこにはねつけた。

「そうか」小島こじまは頷うなずいたが、さぐるような眼めで栄二えいじをみつめながら云いった、「――しかし念ねんのために云いっておくが、あのさぶという男おとこは、おまえの風邪かぜが治なおったかどうか、と心配しんぱいしていたぞ」

栄二えいじの表情ひょうじょうが動うごかなくなった。眉まゆも眼めも口くちも、仮面かめんのように動うごかなくなり、それから急きゅうに顔かおをそむけた。

「それでも知しらない人間にんげんか」

「知しりません」と栄二えいじはかすれたような声こえで答こたえた、「見みたこともありません」

「それならこの差入さしいれの品しなは、役所やくしょのほうで処分しょぶんするがいいか」

どうぞいいように、と栄二えいじは答こたえた。

その夜よる寝ねてから、栄二えいじは幾いくたびも「ばかなやつだ」と呟つぶやいた。夜具やぐは五布いつので三さん人にんいっしょに寝ねる規則きそくだが、人数にんずうに対たいして夜具やぐにゆとりがあるため、三さん人にんの小頭こがしらと栄二えいじ、また女衒ぜげんの六ろくのほか二人ふたりばかりは、めいめい一人ひとりで寝ねていた。

「風邪かぜが治なおったか、だなんて」栄二えいじは掛かかり夜具やぐを頭あたままでかぶり、囁ささやき声ごえで呟つぶやいた、「――あいつは相あい変かわらずだ、あのとき風邪かぜをひいてたからって、百ひゃく日にちちかくも経たっているのに、治なおったかどうかだなんて」

ばかなことを云いうやつだ、と呟つぶやきながら、彼かれは掛かかり夜具やぐを掴つかみ、こみあげてくる嗚咽おえつをけんめいにこらえていた。――へんなときに風邪かぜをひいて、くしゃみや水洟みずはなに悩なやまされた。生うまれて初はじめて非道ひどうなめにあい、悲かなしみと怒いかりで身みの置場おきばもないような気持きもちでいるとき、くしゃみが出で、水洟みずばなが出でたのだ。芝居しばいでする仁木弾正にっきだんじょうが、刃傷場にんじょうばでくしゃみをするようなもんだ、栄二えいじはそう思おもって笑わらおうとしたが、続つづいて綿めん文ぶんの座敷ざしきが眼めにうかんできた。火ひのけのないあの座敷ざしきでくしゃみをしていた自分じぶんの姿すがた、それから押込おしこんで来きた頭かしらと若わかい者ものたち、――そして雪ゆきの積つもりだした道みちへひきずり出だされ、二人ふたりがかりでぶん殴なぐり、踏ふんだり蹴けったりされた。次つぎには番小屋ばんごやで、――こういう回想かいそうがなまなましく頭あたまにうかび、全身ぜんしんの血管けっかんが怒いかりでふくれあがるように感かんじられた。

「ちくしょう」栄二えいじは掛かかり夜具やぐに両手りょうてでしがみつきながら歯はぎしりをした、「――どうするかみてやがれ、いまにどうするかみてやがれ」

その数すう日じつのち、もっこ部屋へやの人足にんそくたちのうち十じゅう七しち人にんが、島しまの外そとへ仕事しごとに出だされるようになった。外そと稼かせぎに出だされる者ものは、平生へいぜいの行状ぎょうじょうがよく、逃亡とうぼうのおそれがないと認みとめられた者ものに限かぎっていた。栄二えいじはその選せんに入はいらず、残のこって他ほかの仕事しごとをしたが、そのため、寄場よせばの中なかのいろいろな手職てじょくや作業さぎょうを見みたり、経験けいけんしたりした。牡蠣かき灰はいを焼やくのも楽らくではないが、もっとも激はげしい作業さぎょうは油絞あぶらしぼりで、これにはよほど躰からだ力りょくのすぐれた者ものでも、長ながくは続つづかないということであった。ほかには彫物ほりもの、竹たけ笠かさ作つくり、駕籠かご作つくり、紙漉かみすき、元結もとゆい、草履ぞうり、繩なわ細工さいく、米搗こめつき、大工だいく、左官さかん、百姓ひゃくしょう、炭団たどん、などという職種しょくしゅがあり、もっこ部屋へやの残のこされた人足にんそくたちは、これらの仕事しごとの助たすけ役やくをするわけで、材料ざいりょうを船ふねからおろしたり、成せい品ひんを積つみ込こんだり、手てのたりないところを手伝てつだったりするのであった。――栄二えいじは命めいぜられたことはしたが、自分じぶんからはなにをしようともしなかった。安物やすものの唐紙からかみを作つくる部屋へやに五ご人にんいて、これはいつも注文ちゅうもんに追おわれているようすだったが、栄二えいじはその仕事しごとだけは手てを出ださなかった。小頭こがしらに命めいじられ、人見ひとみ張はり役やくにも命めいじられたが、首くびを振ふるだけで決けっして近ちかよらなかった。その仕事しごとは彼かれに絶望ぜつぼう的てきな怒いかりを感かんじさせるからであった。

「あにい知しってるか」と或あるとき金太きんたが云いった、「才さい次つぎのやつは伝馬てんま町ちょうへ移うつされたぜ」

叺かますに詰つめた牡蠣かき灰はいを、灰はい焼場やきばから船ふねへ積つみ込こんでいるときで、二人ふたりとも頭あたまから灰はいだらけになっていた。

「いつのことだ」

「三み日かめえだ」と金太きんたが云いった、「あにいは知しらなかったらしいな」

「どうして移うつされた」

「しゃばでやって、隠かくしてたことがばれたらしい」金太きんたはさかしげに云いった、「よくわからねえが、なにかでけえことをやらかして、その罪つみをごまかすためにちっちゃなことをやって寄場よせばへもぐっていたらしい、そんなような話はなしだったよ」

「ような話はなしなんぞするな」と栄二えいじが云いった。

「だって才さい次つぎの野郎やろうはあにいを恨うらんでたろう」と金太きんたは云いった、「いつでも隙すきがあったら喉笛のどぶえへくらいつきそうな顔かおをしてたぜ」

「だからどうだってんだ」栄二えいじは叺かますを担かつぎあげながら云いった、「おらあそれを待まってたんだぞ」

金太きんたはだらっと口くちをあいた。

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