← Library‹ さぶ 七の三

さぶはきちんと五いつ日かめごとに訪たずねて来きた。仕事しごとが終おわってから来くるのだろう、島しまにはきびしい門限もんげんがあるのに、さぶの訪問ほうもんは許ゆるされるのであった。いつか赤鬼あかおにが「きさまにはひいきのうしろ盾だてがある」と云いったし、その他たのことでも自分じぶんが特別とくべつな扱あつかいを受うけているらしいとは栄二えいじも勘かんづいていた。しかし彼かれはさぶには会あわなかった。人見ひとみ張はり役やくの小島こじまもしいてとは云いわず、その代かわりに差入さしいれの包つつみだけは持もって来き、黙だまって置おいていった。その中なかには菓子かしとか、蒲焼かばやきやすしの折詰おりづめとか、肌衣はだぎや下帯したおびなどが入はいっていたが、栄二えいじはそれらを惜おしげもなく、まわりの者ものに配くばってしまった。

初はじめて蒲焼かばやきの折おりを見みたとき、栄二えいじは顔かおをしかめながら、まぬけなやつだなと呟つぶやいた。昔むかしわこく橋はしの側がわの屋台やたい店てんで、よく蒲焼かばやきの立食たちぐいをした、ということを覚おぼえていたに相違そういない。それが帳場ちょうばの銭箱ぜにばこを思おもいださせる、とは気きもつかないのであろう。栄二えいじはむろん蒲焼かばやきにも手ては触ふれなかった。

四よん月がつ下旬げじゅんになった或ある夜よる、寝ねようとするちょっとまえに、万吉まんきちが栄二えいじのところへ来きて、外そとへ出でようと囁ささやいた。栄二えいじは頷うなずいて立たち、いっしょに外そとへ出でてから「なんだ」ときいた。

「おめえ松造しょうぞうとおとよの話はなしを知しってるか」

「詳くわしいことは知しらねえが、聞きいたことは聞きいた」と栄二えいじが答こたえた、「二人ふたりがどうかしたのか」

「覗のぞくやつがいるんだ」と万吉まんきちが云いった、「口くちにするのもけがらわしいがよ」

女おんな置場おきばのおとよという女おんなと、元結もとゆい作つくりの松造しょうぞうという男おとこが、いつのまにかできて、女おんなが男おとこの世話せわをするようになった。松造しょうぞうは行状ぎょうじょうもよく、外そと使つかいといって、自由じゆうに市し中ちゅうへも出でられるし、請人うけにんさえあればいつでも島しまから解放かいほうされることになっていた。寄場よせばでは特とくに男女だんじょの接近せっきんは厳禁げんきんされていたが、どんなに禁きんじられても、ひそかに愛あいを通つうじあう者ものがないわけではないし、そういう者ものがあっても、周囲しゅういの者ものたちは気きづかないふりをし、役人やくにんたちの眼めから庇かばってやるようにするのが習慣しゅうかんになっていた。松造しょうぞうとおとよのことは、栄二えいじもほのかに聞きいていたし、いつかの夜よるおとよが、女おんな置場おきばからぬけ出だしてゆくのを見みたこともあった。

「あの二人ふたりは陽気ようきがあったかくなってから、ときたまの夜よる、南みなみの海うみっぱたで逢あうんだ」と万吉まんきちは語かたった、「おらあ松まつつぁんから聞きいたんだが、それをやっかむだけならまだしも、覗のぞきにゆく野郎やろうがいるんだ」

「覗のぞくとはなにを」

「二人ふたりの逢あっているところをよ」万吉まんきちは唾つばを吐はいてから云いった、「油絞あぶらしぼりのこぶって野郎やろうを知しってるか、あにい」

栄二えいじは知しらなかった。

「油絞あぶらしぼりの連中れんちゅうは相撲すもうとりみてえな躯からだで、みんなべらぼうな力持ちからもちだ」と万吉まんきちは続つづけた、「その中なかにこぶっていう仇名あだなのある野郎やろうがいる、首くびのここんとこに瘤こぶがあるんだが、そいつがまたくそ力ぢからのある暴あばれ者もので、なかまの四、五しご人にんを相手あいてに喧嘩けんかをしても負まけたためしのねえって野郎やろうだ」

松造しょうぞうは三十さんじゅう一いち、おとよは三十さんじゅうだという。夜よる、人ひとめを避さけて逢あうようになってからは、三み日かと逢あわずにはいられない。できることなら毎晩まいばんでも逢あいたいところだ。けれども、つい先さきごろ気きづいたのだが、二人ふたりが逢あっているのを、こぶが覗のぞきにゆくのだという、これには困こまったと松造しょうぞうが万吉まんきちに訴うったえた。

「人ひとのいろごとを覗のぞきにいくなんて、口くちにするのもけがらわしい話はなしだ、そうじゃねえか、あにい」と万吉まんきちは鼻息はないきを荒あらくしながらいきまいた、「おらあ野郎やろうを叩たたきのめしてくれようと思おもうんだが、残念ざんねんながらおれ一人ひとりじゃあとてもかないっこねえ、あべこべにのされちまうのはわかりきってるんだ」

「今夜こんやもその伝つてか」と栄二えいじがきいた。

「わからねえ、わからねえがいってみてえと思おもうんだ」

栄二えいじは黙だまってあるきだした。万吉まんきちも並ならんでゆきながら、棒ぼうかなんか持もってったらどうだろうと囁ささやいた。栄二えいじはよせよと首くびを振ふり、おれ一人ひとりでいいからおまえは待まっていろと云いった。もちろん万吉まんきちは承知しょうちせず、おれが云いいだしたことだからと、肩かたをゆすってりきんだ。

そこはかれらが護岸ごがん工事こうじをした海辺うみべで、十じゅう枚まいばかりの畑はたけのほかに、雑草ざっそうの生はえた空地くうちがあった。いちど栄二えいじが夜よるの海うみを見みに来きたときは、工事こうじをしているさいちゅうで矢来やらいはなかったが、いまは海うみに沿そって高たかさ九きゅう尺しゃくの矢来やらいがまわしてある。二人ふたりが畑はたけのあいだをぬけて空地くうちへはいると、万吉まんきちが栄二えいじの袖そでを引ひいて、「しっ」と云いった。

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