← Library‹ さぶ 一の四

そこへ主人しゅじんの徳兵衛とくべえがはいって来き、多た市しが紙かみ見本みほんをひろげた。徳兵衛とくべえは相あい変かわらず酒臭さけくさい息いきをしていた。

「ちょっと来きてよ、栄さかえちゃん」とおそのが云いった、「あんたに見みせたいものがあるのよ」

「そのちゃん」と廊下ろうかでおきみが云いった。

「ねえ、お父とっさんいいでしょ」とおそのが父親ちちおやに鼻声はなごえで云いった、「栄さかえちゃんにちょっと見みせたいものがあるのよ、あっちへ来きてもらってもいいわね」

姉あねがまた「そのちゃんったら」とたしなめ、徳兵衛とくべえは無む関心かんしんに手てを振ふって、「うるさい、好すきなようにしろ」と云いった。栄二えいじは救すくいを求もとめるように多た市しを見みたが、多た市しは笑わらいもせずに、顎あごをしゃくって、ゆけよ、という表情ひょうじょうをした。

「さあ、栄さかえちゃん」とおそのは彼かれの手てを取とった、「ねえ、早はやく」

あのころのままだな、と栄二えいじは思おもった。兄弟きょうだい子こたちとここへ仕事しごとに来くると、必かならずこの姉妹しまいにつかまって遊あそび相手あいてをさせられた。襖ふすまを張はり替かえるのは毎年まいとし十じゅう二に月がつだから、かるたとか追おい羽根ばねとか、お手玉てだま、おはじきなど、たあいのないものだし、女おんなの子この遊あそび相手あいてをするなど屈辱くつじょくさえ感かんじたものだ。けれども大事だいじなとくい先さきのことではあり、兄弟きょうだい子こたちがそうしろと云いうので、断ことわるわけにはいかず、しぶしぶつきあっているうちに、どの遊あそびでも彼かれがいちばん上手じょうずになり、勝気かちきなおそのはくやしがってよく泣ないたものであった。

伴つれてゆかれたのは姉妹しまいの部屋へやで、箪笥たんすがそれぞれ二に棹さおずつに、人形にんぎょうなどを置おいた飾かざり棚だな、琴こと、三味しゃみ線せん、茶ちゃ道具どうぐを入いれる茶ちゃ箪笥たんす、朱塗しゅぬりの衣桁いこうなど、みな娘むすめの居間いまらしい華はなやかな色いろと、香料こうりょうの匂においがあふれていた。

「あたし十じゅう六ろくになったでしょ」とおそのが自分じぶんの箪笥たんすの前まえに膝ひざをつきながら云いった、「――それでね、また友禅ゆうぜんの振袖ふりそでを作つくってもらったのよ、きれいよう」

そして抽出ひきだしの一ひとつをあけ、中なかからその品しなを取とり出だして、さも大切たいせつそうに両手りょうてで持もって栄二えいじに渡わたした。

「ひろげてみてよ」とおそのが云いった、「四季しきの千草ちぐさって云いう柄がらなの、京きょうの田丸たまる屋やで染そめさしたのよ」

「あたしのは裾すそ模様もようよ」と姉あねのおきみが二人ふたりの脇わきから云いった、「あたしのも見みせてあげるわ」

「あとで」とおそのがきめつけた、「姉あねさんてばいつでもあたしのまねばかりするのね、邪魔じゃましないでよ」

栄二えいじは着物きものをひろげてみて、きれいだなと云いった。これだけ大おおきな資産しさん家かの娘むすめなら、京染きょうぞめの友禅ゆうぜんぐらいなんでもないだろうのに、わざわざ人ひとを呼よんで見みせるところに、この姉妹しまいの気取きどらない、下町したまちっ子こらしい開放かいほう的てきな性質せいしつがよくあらわれていた。

妹いもうとに決きめつけられた姉あねのおきみは、きげんを悪わるくするでもなく、そろそろと自分じぶんの箪笥たんすをあけた。その裾すそ模様もようというのを出だすつもりであろう、けれどもおそのはそれより早はやく、こんどは帯おびを見みせてあげる、と云いいながら、下したの抽出ちゅうしゅつをあけたとたん、悲鳴ひめいをあげてとびあがり、両手りょうてで栄二えいじに抱だきついた。

「こわい」とおそのは栄二えいじにしがみつきながら叫さけんだ、「鼠ねずみよ、鼠ねずみがいるのよ」

おきみも吃驚びっくりしてうしろへさがり、栄二えいじはおそのの腕うでを放はなそうとした。だがしがみついたおそのの力ちからはおどろくほど強つよく、すぐにはふり放はなすことができなかった。

「放はなさなくっちゃだめだ」と栄二えいじが云いった、「それじゃあ鼠ねずみが追おえやしないよ」

「いや、こわい」とおそのはもっと腕うでに力ちからをいれた、「あたし息いきが止とまりそうよ」

「鼠ねずみを追おっぱらうんだから」栄二えいじはようやく躯むくろを自由じゆうにし、おそのを押おしやった、「さあおきみさんもどいてください」

そして、その抽出ちゅうしゅつの中なかを覗のぞいてみたが、鼠ねずみのいるようすはなかった。手てを入いれて、重かさねてある帯おびの片方かたほうをつぎつぎとあげ、底そこまでさぐってみたけれども、鼠ねずみどころか虫むし一いち疋ぴきもみあたらなかった。栄二えいじは抽出ちゅうしゅつの中なかを元もとのようにして立たちあがり、おそのの顔かおをにらんだ。おきみは両手りょうてで胸むねを抱かかえ、怯おびえたような表情ひょうじょうで栄二えいじを見みあげていた。

「ほんとよ、嘘うそつかない」とおそのは栄二えいじの眼めを眩まぶしそうに避さけて云いった、「帯おびを取とろうとしたらすぐそこにしゃがんでいて、あたしのこと食くいつこうとしたのよ」

栄二えいじがなにか云いおうとしたとき、廊下ろうかから名なを呼よばれ、振ふり返かえるとおすえがいた。

「多た市しさんが呼よんでいます」とおすえはこっちを見みずに云いった、「尺取しゃくとりをするから来きて下くださいって」

栄二えいじはそれに頷うなずいてから、おそのに向むかって帯おびのぎっしり詰なじっている抽出ちゅうしゅつの中なかを指ゆびさしてみせた。そこにはどんな小ちいさな鼠ねずみでもしゃがんでいる余地よちなどはない、ということを示しめしたのであろう。おそのはひょいと肩かたをすくめて云いった。

「でもいたのよ、ほんと、こんなふうにしゃがんで、あたしのこと食くいつこうと思おもって、こんなように歯はを剥むきだしていたのよ」

おそのはそんなような恰好かっこをしてみせたが、栄二えいじはなにも云いわずに出でていった。

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