栄二はわれ知らず微笑した。相変らず歯切れのいい口ぶりだし、自分の手で出しながら「あたしの土産」とはっきり云うところなど、いかにもおのぶらしかったからである。
「さぶがどうかしたのか」
「やっぱり知らさなかったのね」おのぶはたたんだ手拭で額の汗を拭きながら云った、「あのひと小舟町から暇を出されたのよ」
栄二は疑わしげな眼をした、「だってあいつは、病気で葛西へ帰ってるんだろう」
「それが六月限りで暇を出されたんですって、おまけに手紙一本でよ」
「誰から聞いた」
「さぶちゃんからじかによ」とおのぶは自分のことのようにけしきばんで云った、「――そんな手紙を貰ったので、さぶちゃんはすぐに小舟町へいったんですって、その帰りにすみよしへ寄ったの」
「脚気のうえに腹までわるくしていたって聞いたがな」
「そうよ、ひどい恰好」おのぶは眉をしかめた、「顔も手も痩せっこけちゃって、足だけがこんなにむくんでるの、おじいさんみたいに杖をついて、一つ拾いにそろそろあるく恰好ったら、ほんとに見られたもんじゃなかったわ」
ひどい下痢が十日も続いたあとで、まだ寝ていたのだが出て来た。小舟町へいったが親方には会えず、兄弟子の五郎が応対に出た。仕事がひまになったので人べらしをする、おまえの病気は治りにくいようだし、先の見込みもあまりないから、この辺で身をひいてもらうことになった。そう云って、預かっていた給銀に一両添えて出した、ということであった。
「そのときすぐ隣りの部屋で、おかみさんが誰かと話していたんですって」とおのぶはきつい眼つきをして云った、「大きな声で話したり笑ったりしているくせに、おしまいまで顔も見せないし声もかけなかったっていうわ」
栄二は静かに首を振った、「そいつはなにかわけがあるな、仕事がひまになったからって、夏場になれば毎年のこった、おまけにさぶは病気じゃあねえか、いくらなんだってそんなことで病人に暇を出す筈がねえ、そいつはなにかわけがあるに相違ねえ」
「あたしもそう思ったわ、それでいろいろきいてみたんだけれど、さぶちゃんにはなんにも思い当ることがないって云うの」
「あいつはてんで鈍いからな」
「そう思って、栄さん」おのぶは怒ったように栄二を見た、「さぶちゃんが思い当ることはないって云ったのは、さぶちゃんがてんで鈍いから、だっていうの」
栄二は眼を細めて、じっとおのぶの顔を見まもった。
「栄さんは苦労知らずよ」とおのぶは静かな口ぶりで云った、「――金襴の切のことや、そのあと、あんたがどんなひどいめにあったかということは聞いたわ、あんたがすみよしで酔いつぶれたとき、あたしそんな栄さんは嫌いだって云ったわね、わけを聞いたときすぐにそれを思いだして、たとえ知らなかったにしてもなんて悪いことを云ったんだろうって、あたしずいぶん自分を憎んだもんだわ」
あたしはすぐにとんで来たかった、自分が思い遣りのないことを云ったからではない、さぶちゃんは与力の青木さんていう人から詳しい話を聞いたし、三月には金襴のこともわかった。さぶちゃんからそれをうちあけられて、あんたがどんな気持でいるかと思うと、いても立ってもいられなくなった。けれどもさぶちゃんはあたしを止め、おすえさんにもまだないしょにしている、栄さんは気が立っていて会いたがらないし、いま会いにゆけば、却って怒りをかきたてるだけだろう、もう少しようすをみてからにするほうがいいと、繰返し云った。
「病気で葛西へ帰るまで、さぶちゃんの頭は栄さんのことでいっぱいだったのよ、あんたの身になって考えて、会いにいこうとするあたしのこともよせと止めたし、おすえさんには心配させまいとして、なにもかもないしょにしていたのよ、――それだのに」と云っておのぶは声を低くした、「あんたはそうやってあぐらをかいて、さぶはてんで鈍いやつだなんて云って、すましてる、そんなにひどいめにあったっていうのに、栄さんはちっとも変ってはいないわ、元どおり頭のいい、おとこまえの、苦労知らずよ」
「褒めてもらうほどのことじゃあねえさ」と栄二が云い返した、「けれども、さぶを鈍いやつだと云ったのは悪くちじゃあねえぜ」
「そんなことわかってるわよ、あんたとさぶちゃんの仲ですもの、あんたが悪い気持でそんなことを云う筈がないじゃないの」
「そんならなにを怒ってるんだ」