← Library‹ さぶ 十の五

相あい変かわらず緊らねえやつだな、と栄二えいじは思おもった。しかしそう思おもったときには、自分じぶんの意志いしとは関係かんけいなしに、言葉ことばが口くちをついて出でた。

「よく来きてくれたな、いろいろ心配しんぱいをかけて済すまなかった」と栄二えいじは自分じぶんの口くちが云いうのを聞きいた、「おらあもう大丈夫だいじょうぶだよ」

「よかった、よかった」さぶは手ての甲こうで眼めを横よこ撫なでにしながら頬笑ほうえんだ、「おすえちゃんから話はなしを聞きいて、おらあ胆きもをつぶしちまってね、ここへ来きても会あっちゃあくれめえかと思おもったんだが」

話はなしが諄まことくなるのを避さけるように、栄二えいじが遮さえぎって反問はんもんした、「おらあ大丈夫だいじょうぶだが、おめえのほうはどうだ、病気びょうきはもういいのか」

「ああ、おれなんざ心配しんぱいしてもらうこたあねえよ、おのぶちゃんがいい薬くすりを教おしえてくれてね、腹はらくだしのほうなんだが、それが治なおったら脚気かっけのほうもおさまったよ」

「すみよしへいくのか」

さぶは顔かおを赤あかくして俯向うつむいた、「――どうもね」と彼かれはきまり悪わるげに云いった、「三み日かもいかねえと、気きがおちつかねえもんだから」

「まだ葛西かさいにいるんだろう」

「それがね、そうじゃねえんだが」さぶは口くちごもった、「――そのことについちゃあ話はなしがあるんだが、その話はなしはおすえちゃんから聞きいてもらうほうがいいと思おもうんだ」

「どうして」と栄二えいじはきつい調子ちょうしできき返かえした。

さぶは言葉ことばに詰なじったのだろう、包つつみを解といて六むいつの折詰おりづめをそこへ並ならべ、そのうち二ふたつを栄二えいじのほうへ押おしやりながら、これはおのぶが栄二えいじのために作つくったもので、うまくはないかもしれないが躯むくろに精せいをつけるものだから、と云いったということづけを、しどろもどろに述のべた。

「こっちの四よんつは、部屋へやの人ひとたちにあげてくれってね、そういうことだったんだが」

「今日きょうもすみよしから来きたのか」

「おすえちゃんもいっしょなんだよ」

栄二えいじは自分じぶんを抑おさえるように頷うなずき、それから静しずかにきいた、「――おすえもいっしょに来きているのか、それともすみよしへいっしょにいったっていうのか」

さぶは困惑こんわくしたように口くちをつぐみ、右手みぎての甲こうで額がくをこすった。なにか云いいそびれているともみえ、云いうべき言葉ことばがみつからないようにも思おもえた。そして、まるで逃にげ道みちでも発見はっけんしたように、四よんつの折詰おりづめを持もって立たちあがり、小しょう屏風びょうぶの外そとへ出でていって、与平よへいにそれを渡わたしながらくどくどと挨拶あいさつをした。栄二えいじは蒲団ふとんに凭もたれたまま、腕組うでぐみをして眼めをつむった。なにを云いいそびれているんだ、なにかあったらしいが、いったいどんなことだ、と彼かれは思おもった。さぶが戻もどって来きて、おずおずと坐すわっても、栄二えいじは眼めをつむったままでいた。

「その」とさぶが云いった、「――足あしのぐあいはどうなんだね、栄さかえちゃん」

「跛びっこになるそうだ」

「まさか」とさぶは息いきを引ひいた、「まさかそんな、跛びっこになるなんて」

「だてなもんだそうだぜ」と云いってから、栄二えいじは自分じぶんを抑おさえ、眼めをあいて微笑びしょうした、「――まだそうときまったわけじゃあねえが、跛びっこになるかもしれねえっていう、医者いしゃのみたてなんだ」

さぶは口くちをあいたまま、なにも云いわずに栄二えいじの顔かおを見みまもった。

「驚おどろくこたあねえさ、その代かわり命いのちびろいをしたんだから」と栄二えいじは云いった、「おまけにこっちは居職いじょくだ、ちっとばかり跛びっこになったって、しょうばいにゃあ差支さしつかえはねえからな」

さぶは急きゅうに頭あたまを垂たれ、右手みぎてで眼めを押おさえたとみると、声こえを忍しのんでむせびあげた。

「ひでえ」とさぶは嗚咽おえつしながら云いった、「そりゃあひどすぎるぜ」

「その代かわり命いのちびろいをしたと云いったろう」

「それにしたって、栄さかえちゃんが跛びっこになるなんて、そんなことがあっていいだろうか」

「よせ、人ひとに聞きこえるぜ」栄二えいじが低ひくい声こえで制止せいしした、「――とにかく死しなずに済すんだんだ、跛びっこになるとはっきりきまったわけじゃあねえ、いまはそんなことを忘わすれて、おめえのことを聞きかしてくれ、え、おめえまだ葛西かさいにいるのか、そうじゃあないのか、どっちなんだ」

「その話はなしは、おすえちゃんから聞きいてもらうほうがいいんだ、おれは口くちべただから」

「おめえはじれってえ男おとこだな」

「そうじゃねえんだよ」さぶはまだ嗚咽おえつで喉のどを鳴ならしながら、眼めを拭ふいて云いった、「――ほんとはなんでもねえんだ、ただうっかり饒舌しゃべって、栄さかえちゃんの気きを悪わるくさせるといけねえと思おもったからなんだ」

栄二えいじは黙だまってあとの言葉ことばを待まった。

「葛西かさいは九きゅう月がついっぱいでひきあげた」とさぶは額がくを撫なでながら云いった、「なにしろ兄嫁あによめがまた赤あかんぼを産うんだもんだから」

「それは手紙てがみで読よんだよ」

「そうだっけか」さぶは済すまなそうに肩かたをちぢめた、「それで、――小舟こぶね町まちへは帰かえれねえし、おら、とにかくおすえちゃんと相談そうだんしてみた、そうして、なにしろ栄さかえちゃんが出でて来きたときのことがあるから、いろいろ話はなしたうえ、うちを借かりようってことになったんだ」

栄二えいじの顔かおをうかがったが、なにも云いいそうもないので、さぶは吃どもりながら続つづけた。

「そうすると、おすえちゃんのうちの近ちかくに、裏うら長屋ながやだけれど空あいているうちがあって、店賃たなちんも安やすいもんだからそれを借かりてね」

「じゃあ下谷金杉したやかなすぎだな」

さぶは頷うなずいた、「ひとまずそこへおちついたんだが、栄さかえちゃんが出でて来きたときに困こまるからってね、横丁よこちょうでもいいから、せめて裏うら長屋ながやでねえところをって」

「いちいちおれを引合ひきあいにだすなよ」と栄二えいじが云いった、「おれはこの寄場よせばに大おおきな借かりができたんだ、ちっとやそっとで出でられやあしねえから、おれのことは考かんがえねえでやってくれ」

さぶはまるい眼めをみはり、口くちをあけて栄二えいじを見みた。

「だって栄さかえちゃん」とさぶは唾つばをのみこんでから云いった、「おめえいつか、おれといっしょに、そうじゃねえ、おめえが店みせを持もつときには、おれを糊のりの仕込しこみに使つかってくれるって、約束やくそくしたじゃあねえか」

「それはしゃばにいたときのことだ」と云いって栄二えいじはそっぽを向むいた、「――いまのおれは寄場よせば人足にんそくなんだぜ」

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