相変らず緊らねえやつだな、と栄二は思った。しかしそう思ったときには、自分の意志とは関係なしに、言葉が口をついて出た。
「よく来てくれたな、いろいろ心配をかけて済まなかった」と栄二は自分の口が云うのを聞いた、「おらあもう大丈夫だよ」
「よかった、よかった」さぶは手の甲で眼を横撫でにしながら頬笑んだ、「おすえちゃんから話を聞いて、おらあ胆をつぶしちまってね、ここへ来ても会っちゃあくれめえかと思ったんだが」
話が諄くなるのを避けるように、栄二が遮って反問した、「おらあ大丈夫だが、おめえのほうはどうだ、病気はもういいのか」
「ああ、おれなんざ心配してもらうこたあねえよ、おのぶちゃんがいい薬を教えてくれてね、腹くだしのほうなんだが、それが治ったら脚気のほうもおさまったよ」
「すみよしへいくのか」
さぶは顔を赤くして俯向いた、「――どうもね」と彼はきまり悪げに云った、「三日もいかねえと、気がおちつかねえもんだから」
「まだ葛西にいるんだろう」
「それがね、そうじゃねえんだが」さぶは口ごもった、「――そのことについちゃあ話があるんだが、その話はおすえちゃんから聞いてもらうほうがいいと思うんだ」
「どうして」と栄二はきつい調子できき返した。
さぶは言葉に詰ったのだろう、包みを解いて六つの折詰をそこへ並べ、そのうち二つを栄二のほうへ押しやりながら、これはおのぶが栄二のために作ったもので、うまくはないかもしれないが躯に精をつけるものだから、と云ったということづけを、しどろもどろに述べた。
「こっちの四つは、部屋の人たちにあげてくれってね、そういうことだったんだが」
「今日もすみよしから来たのか」
「おすえちゃんもいっしょなんだよ」
栄二は自分を抑えるように頷き、それから静かにきいた、「――おすえもいっしょに来ているのか、それともすみよしへいっしょにいったっていうのか」
さぶは困惑したように口をつぐみ、右手の甲で額をこすった。なにか云いそびれているともみえ、云うべき言葉がみつからないようにも思えた。そして、まるで逃げ道でも発見したように、四つの折詰を持って立ちあがり、小屏風の外へ出ていって、与平にそれを渡しながらくどくどと挨拶をした。栄二は蒲団に凭れたまま、腕組みをして眼をつむった。なにを云いそびれているんだ、なにかあったらしいが、いったいどんなことだ、と彼は思った。さぶが戻って来て、おずおずと坐っても、栄二は眼をつむったままでいた。
「その」とさぶが云った、「――足のぐあいはどうなんだね、栄ちゃん」
「跛になるそうだ」
「まさか」とさぶは息を引いた、「まさかそんな、跛になるなんて」
「だてなもんだそうだぜ」と云ってから、栄二は自分を抑え、眼をあいて微笑した、「――まだそうときまったわけじゃあねえが、跛になるかもしれねえっていう、医者のみたてなんだ」
さぶは口をあいたまま、なにも云わずに栄二の顔を見まもった。
「驚くこたあねえさ、その代り命びろいをしたんだから」と栄二は云った、「おまけにこっちは居職だ、ちっとばかり跛になったって、しょうばいにゃあ差支えはねえからな」
さぶは急に頭を垂れ、右手で眼を押えたとみると、声を忍んでむせびあげた。
「ひでえ」とさぶは嗚咽しながら云った、「そりゃあひどすぎるぜ」
「その代り命びろいをしたと云ったろう」
「それにしたって、栄ちゃんが跛になるなんて、そんなことがあっていいだろうか」
「よせ、人に聞えるぜ」栄二が低い声で制止した、「――とにかく死なずに済んだんだ、跛になるとはっきりきまったわけじゃあねえ、いまはそんなことを忘れて、おめえのことを聞かしてくれ、え、おめえまだ葛西にいるのか、そうじゃあないのか、どっちなんだ」
「その話は、おすえちゃんから聞いてもらうほうがいいんだ、おれは口べただから」
「おめえはじれってえ男だな」
「そうじゃねえんだよ」さぶはまだ嗚咽で喉を鳴らしながら、眼を拭いて云った、「――ほんとはなんでもねえんだ、ただうっかり饒舌って、栄ちゃんの気を悪くさせるといけねえと思ったからなんだ」
栄二は黙ってあとの言葉を待った。
「葛西は九月いっぱいでひきあげた」とさぶは額を撫でながら云った、「なにしろ兄嫁がまた赤んぼを産んだもんだから」
「それは手紙で読んだよ」
「そうだっけか」さぶは済まなそうに肩をちぢめた、「それで、――小舟町へは帰れねえし、おら、とにかくおすえちゃんと相談してみた、そうして、なにしろ栄ちゃんが出て来たときのことがあるから、いろいろ話したうえ、うちを借りようってことになったんだ」
栄二の顔をうかがったが、なにも云いそうもないので、さぶは吃りながら続けた。
「そうすると、おすえちゃんのうちの近くに、裏長屋だけれど空いているうちがあって、店賃も安いもんだからそれを借りてね」
「じゃあ下谷金杉だな」
さぶは頷いた、「ひとまずそこへおちついたんだが、栄ちゃんが出て来たときに困るからってね、横丁でもいいから、せめて裏長屋でねえところをって」
「いちいちおれを引合いにだすなよ」と栄二が云った、「おれはこの寄場に大きな借りができたんだ、ちっとやそっとで出られやあしねえから、おれのことは考えねえでやってくれ」
さぶはまるい眼をみはり、口をあけて栄二を見た。
「だって栄ちゃん」とさぶは唾をのみこんでから云った、「おめえいつか、おれといっしょに、そうじゃねえ、おめえが店を持つときには、おれを糊の仕込みに使ってくれるって、約束したじゃあねえか」
「それはしゃばにいたときのことだ」と云って栄二はそっぽを向いた、「――いまのおれは寄場人足なんだぜ」