← Library‹ さぶ 十一の二

「無む沙汰さたをして済すまなかった」とさぶが包つつみを脇わきへ置おいて云いった、「気きになってたんだが、来こられない用ようができちゃってね」

「よせよ、無む沙汰さたなんかしちゃあいねえ、おめえちゃんと来きてくれてるじゃねえか」と栄二えいじが遮さえぎるように云いった、「それにまたそんな物ものを持もって来きて、――もうよしてくれと念ねんを押おしといた筈はずだぜ」

「そんなに云いわれるほどのもんじゃねえんだよ、部屋へやの人ひとたちにほんのしるしと、あとはおすえちゃんが切きった晒さらしだけなんだ」

「断ことわっておくが、この足あしのことをきくのはごめんだぜ」

さぶは小ちいさなまるい眼めをそばめた、「――よくねえんじゃねえだろうな」

「それをきくなっていうんだ」

「だって、――」と云いいかけたが、栄二えいじの眼めつきを見みてさぶは頷うなずいた、「わかった、もう云いわねえことにするよ」

「すみよしへはいってるのか」

「ああ、ときたまだけれどな、こないだはおのぶちゃんが、またここへ会あいに来きたいって云いってたっけ」

「またおめえが唆そそのかしたんだろう」

「そうじゃあねえ、唆そそのかしなんぞするもんか、おのぶちゃんは少すこし酔よってたから、酔よったまぎれに云いったのかもしれねえが、近ちかいうち会あいにいきたいって、二に度ども三さん度ども云いってたんだ」

「おめえを煽あおってるんだ、そいつは」

「煽あおるって、なにを」

「いつまでもはっきりしねえから、おれをだしに使つかっておめえにふんぎりをつけさせよう、っていうこんたんなのさ」

さぶは泣なきべそをかくように、唇くちびるを曲まげて苦笑にがわらいをし、あいまいに首くびを振ふった。

「栄さかえちゃんがそう云いってくれるのは、おらあうれしい」とさぶは云いった、「――けれども、いまはもう違ちがうんだ、おのぶちゃんは自分じぶんの気持きもちをすっかり話はなしてくれたんだ」

栄二えいじは口くちをつぐんだ。

「ああ、忘わすれてたけれどね」とさぶが急きゅうに思おもいだしたという調子ちょうしで云いった、「おのぶちゃんの八重歯やえばが抜ぬけたんだよ」

「どうして話はなしをそらすんだ」

「忘わすれたのかい、あの人ひとの歯はのここんとこに」

「知しってるよ、八重歯やえばはいつか抜ぬけるもんなんだ」

「はたちまでにはって云いってたけれど、本当ほんとうなんでたまげたよ、ちょうど十じゅう九きゅうの十じゅう月がつだったんだから」

栄二えいじはじっとさぶの顔かおを見みまもった。

「さぶ」と栄二えいじは屹きっとした口くちぶりで云いった、「おめえたまには本気ほんきで口くちがきけねえのか」

「本気ほんきでって、なにかおれが」

「のぶ公こうがなにを云いったんだ、自分じぶんの気持きもちを話はなしたってのはどういうことなんだ」

さぶは力ちからなくうなだれ、肩かたをちぢめて太息といきをついた。悲かなしげな、頼たよりなげな姿すがたである。どうしておれはこうだ、と栄二えいじは思おもった。はなれているときはもっとやさしくし、劬いたわってやろうと思おもうのに、面めんと向むきあえばすぐにじれったくなって、つい荒あらっぽい口くちをきいてしまう、おれはいやなやつだな、そう思おもいながら、態度たいどをやわらげることはできなかった。

「――おら、思おもうんだが」とうなだれたままでさぶが呟つぶやくように云いった、「ときどきそう思おもうんだが、おれがあの人ひとに惚ほれたのは間違まちがってた、おれなんか初はじめっから、女おんなに惚ほれるような柄がらじゃねえんだ、おれのようなのろまがおのぶちゃんに惚ほれるなんて、まったくのお笑わらいぐさだったんだ」

「はっきり云いってみろ、のぶ公こうがおめえを笑わらったのか」

さぶは首くびを左右さゆうに振ふった、「笑わらいやあしねえ、あの人ひとは泣ないてた」

栄二えいじはまた口くちをつぐんだ。

「おのぶちゃんはまえっから、栄さかえちゃんのことが好すきだった、って云いってた」

「酔よってたんだろう、あいつは酒さけにも強つよいが、酔ようと口くちも強つよくなるんだ、心こころにもないことをわざと云いい張はったり、思おもってることの逆ぎゃくを云いったりする、酔よっているのぶ公こうの云いうことなんか本気ほんきにするやつがあるかい」

さぶはゆっくりと、繰返くりかえし左右さゆうへ首くびを振ふった。

「おれがおすえといっしょになるつもりだってことも、のぶ公こうはちゃんと知しっている、そいつはおめえにもわかってるじゃねえか」

「おのぶちゃんもそう云いってた」とさぶは低ひくい声こえで云いった、「けれどもそれでいいんだって、夫婦ふうふになれなくったっていい、一いち生涯しょうがいでも栄さかえちゃんを好すきとおすんだって」

栄二えいじは笑わらった、「子供こどもみてえなことを云いやあがる、そいつは酔よっぱらいのくだだ、一生いっしょうでも好すきとおすなんて、草くさ双紙そうしじゃああるめえし、なま身みの人間にんげんにできるこったと思おもうのか」

「おれのような者ものならばな」と云いってさぶは顔かおをあげ、弱よわよわしく微笑びしょうした、「――おら、あの人ひとのことを一生いっしょう忘わすれねえつもりだ」

それから急きゅうに調子ちょうしを変かえ、栄二えいじのうしろを指ゆびさしながら、手習てならいを始はじめたのか、とさぶがきいた。

「五ご、六むい日かまえからな」と栄二えいじが答こたえた、「おれが字じを書かくんでみんな吃驚びっくりしたっけ、それから自分じぶんたちも習ならいてえっていうんで、いま五ご人にんばかりに仮名かなを教おしえてるんだ」

よかったなあ、とさぶは云いった。栄二えいじがそんな気持きもちになったので、しんそこ安堵あんどしたというようすだった。

「やっぱり栄さかえちゃんは」とさぶは続つづけて云いった、「どこへいっても人ひとの上うえへ立たつようにできてるんだな」

「みせようか」と云いって、栄二えいじはうしろへいざり、小机こづくえの上うえから巻紙まきがみを取とって戻もどると、それをさぶに渡わたした、「それを見みてくれ」

さぶは巻紙まきがみを披ひらいてみ、それから不審ふしんそうに栄二えいじを見みあげた、「――これはおいらの手紙てがみじゃあねえか」

「おれの手本てほんなんだ」と栄二えいじは云いった、「おれはその字じを手本てほんにして字じを習ならってるんだぜ」

「冗談じょうだんじゃあねえ、とんでもねえ」

「嘘うそだと思おもうんなら机つくえの上うえを見みてくれ、これを手本てほんにした書かき反故ほごが溜たまってるから」

「だってそんな、おれのようなこんなへたくそな字じをおめえ」さぶは戸惑とまどって吃どもった、「そいつは栄さかえちゃん罪つみだよ」

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