「無沙汰をして済まなかった」とさぶが包みを脇へ置いて云った、「気になってたんだが、来られない用ができちゃってね」
「よせよ、無沙汰なんかしちゃあいねえ、おめえちゃんと来てくれてるじゃねえか」と栄二が遮るように云った、「それにまたそんな物を持って来て、――もうよしてくれと念を押しといた筈だぜ」
「そんなに云われるほどのもんじゃねえんだよ、部屋の人たちにほんのしるしと、あとはおすえちゃんが切った晒だけなんだ」
「断わっておくが、この足のことをきくのはごめんだぜ」
さぶは小さなまるい眼をそばめた、「――よくねえんじゃねえだろうな」
「それをきくなっていうんだ」
「だって、――」と云いかけたが、栄二の眼つきを見てさぶは頷いた、「わかった、もう云わねえことにするよ」
「すみよしへはいってるのか」
「ああ、ときたまだけれどな、こないだはおのぶちゃんが、またここへ会いに来たいって云ってたっけ」
「またおめえが唆したんだろう」
「そうじゃあねえ、唆しなんぞするもんか、おのぶちゃんは少し酔ってたから、酔ったまぎれに云ったのかもしれねえが、近いうち会いにいきたいって、二度も三度も云ってたんだ」
「おめえを煽ってるんだ、そいつは」
「煽るって、なにを」
「いつまでもはっきりしねえから、おれをだしに使っておめえにふんぎりをつけさせよう、っていうこんたんなのさ」
さぶは泣きべそをかくように、唇を曲げて苦笑いをし、あいまいに首を振った。
「栄ちゃんがそう云ってくれるのは、おらあうれしい」とさぶは云った、「――けれども、いまはもう違うんだ、おのぶちゃんは自分の気持をすっかり話してくれたんだ」
栄二は口をつぐんだ。
「ああ、忘れてたけれどね」とさぶが急に思いだしたという調子で云った、「おのぶちゃんの八重歯が抜けたんだよ」
「どうして話をそらすんだ」
「忘れたのかい、あの人の歯のここんとこに」
「知ってるよ、八重歯はいつか抜けるもんなんだ」
「はたちまでにはって云ってたけれど、本当なんでたまげたよ、ちょうど十九の十月だったんだから」
栄二はじっとさぶの顔を見まもった。
「さぶ」と栄二は屹とした口ぶりで云った、「おめえたまには本気で口がきけねえのか」
「本気でって、なにかおれが」
「のぶ公がなにを云ったんだ、自分の気持を話したってのはどういうことなんだ」
さぶは力なくうなだれ、肩をちぢめて太息をついた。悲しげな、頼りなげな姿である。どうしておれはこうだ、と栄二は思った。はなれているときはもっとやさしくし、劬ってやろうと思うのに、面と向きあえばすぐにじれったくなって、つい荒っぽい口をきいてしまう、おれはいやなやつだな、そう思いながら、態度をやわらげることはできなかった。
「――おら、思うんだが」とうなだれたままでさぶが呟くように云った、「ときどきそう思うんだが、おれがあの人に惚れたのは間違ってた、おれなんか初めっから、女に惚れるような柄じゃねえんだ、おれのようなのろまがおのぶちゃんに惚れるなんて、まったくのお笑いぐさだったんだ」
「はっきり云ってみろ、のぶ公がおめえを笑ったのか」
さぶは首を左右に振った、「笑やあしねえ、あの人は泣いてた」
栄二はまた口をつぐんだ。
「おのぶちゃんはまえっから、栄ちゃんのことが好きだった、って云ってた」
「酔ってたんだろう、あいつは酒にも強いが、酔うと口も強くなるんだ、心にもないことをわざと云い張ったり、思ってることの逆を云ったりする、酔っているのぶ公の云うことなんか本気にするやつがあるかい」
さぶはゆっくりと、繰返し左右へ首を振った。
「おれがおすえといっしょになるつもりだってことも、のぶ公はちゃんと知っている、そいつはおめえにもわかってるじゃねえか」
「おのぶちゃんもそう云ってた」とさぶは低い声で云った、「けれどもそれでいいんだって、夫婦になれなくったっていい、一生涯でも栄ちゃんを好きとおすんだって」
栄二は笑った、「子供みてえなことを云やあがる、そいつは酔っぱらいのくだだ、一生でも好きとおすなんて、草双紙じゃああるめえし、なま身の人間にできるこったと思うのか」
「おれのような者ならばな」と云ってさぶは顔をあげ、弱よわしく微笑した、「――おら、あの人のことを一生忘れねえつもりだ」
それから急に調子を変え、栄二のうしろを指さしながら、手習いを始めたのか、とさぶがきいた。
「五、六日まえからな」と栄二が答えた、「おれが字を書くんでみんな吃驚したっけ、それから自分たちも習いてえっていうんで、いま五人ばかりに仮名を教えてるんだ」
よかったなあ、とさぶは云った。栄二がそんな気持になったので、しんそこ安堵したというようすだった。
「やっぱり栄ちゃんは」とさぶは続けて云った、「どこへいっても人の上へ立つようにできてるんだな」
「みせようか」と云って、栄二はうしろへいざり、小机の上から巻紙を取って戻ると、それをさぶに渡した、「それを見てくれ」
さぶは巻紙を披いてみ、それから不審そうに栄二を見あげた、「――これはおいらの手紙じゃあねえか」
「おれの手本なんだ」と栄二は云った、「おれはその字を手本にして字を習ってるんだぜ」
「冗談じゃあねえ、とんでもねえ」
「嘘だと思うんなら机の上を見てくれ、これを手本にした書き反故が溜ってるから」
「だってそんな、おれのようなこんなへたくそな字をおめえ」さぶは戸惑って吃った、「そいつは栄ちゃん罪だよ」