与平の言葉の終りの一句が、栄二の頭に強くひっかかった。ばかを云え、賢くあろうがなかろうが、鏡を使えば自分の背中ぐらい誰にだって見えるぜ。そう心の中でやり返したけれども、与平がそんな意味で云ったのでないことはわかっているし、仮に同じ意味だとしても「鏡」という物なしに自分の背中を見ることはできない。とすれば、すぐにそういう考えのうかぶ頭の切れかたが、さぶの云うことすることをじれったがり、つい辛く当るのだと、与平は指摘したのだろうか。
「ええ、ばかばかしい」栄二は自分を罵った、「どうしてそんなに、人の云うことにこだわるんだ、なにか云われるたびにいちいちそうこだわっていてなんの役に立つ、てめえはてめえでいいじゃねえか」
こんな癖はやめなければいけない、と栄二は自分に云いきかせた。
字を習いたいという者が少しずつふえ、雨や雪で人足仕事を休むときや、晩めしのあとは毎日、机に向う者が十人ちかくにまでなった。机は役所の物置に古いのがあったし、大工部屋の者に作ってもらったのもあった。硯と筆と墨などは外使いの者に頼んで買ったのだが、紙は高くつくので、水書きというやり方ももちいた。つまり紙いっぱいに字を書いてしまうと、それをすっかり墨で塗りつぶし、乾かしてから、その上へ水で字を書くのである。書いた字はむろん乾けば消えるが、運筆の練習には役立つので、一枚の半紙でもかなりながく使うことができた。こうしているうちに或る日、人見張役の小島良二郎が来て、それは寄場の規則に反すると文句を云った。
「人足部屋などで勝手に字を教えたり習ったりしてはいけない」と小島はわざと栄二を見ずに云った、「手習いをしたいというのは神妙な心がけだから、まじめにやるつもりなら願い出るがいい、文字を習うというのはおろそかなことではない、筋も知れぬ者などに習うと、あとあと取返しのつかないことになるだろう」
役所の許しを受けるか、さもなければ手習いは禁ずる、というのであった。
筋も知れない者、というのは栄二のことを指したのだろう。栄二は芳古堂で十年も手習いをし続け、朋輩の中では上手の内にかぞえられていた。彼は広沢と菱湖が好きであり、唐様も和様も本筋に習った。小島に眼があれば、そのくらいのことはわかったろうに、と栄二は思ったが、いや、とすぐに首を振った。そうではない、規則に反するというのは事実かもしれない。願い出ろというのならそうするのが順序だ、と思い直した。
部屋の者も許しを受けようというので、栄二は自分の書いた手本数冊を揃え、与平に持たせて役所へやった。そのときは下役同心が、考えておくと云ったそうであるが、翌日、岡安喜兵衛が自分で部屋へやって来た。みんな仕事に出たあとで、栄二と与平の二人しかいなかったが、岡安は与平をも遠ざけた。
「まずいことに伯翁が書をやるのだ」と岡安は前置きなしに云った、「――役所でおまえだけ別扱いをすると、つねづねひがみをもっている者があって、それが伯翁に耳うちをしたらしい、私の知らないうちに奉行へ訴えが出てしまった」
伯翁とは心学教師の立松のことだ。これも報酬なしで講義に来ているのに、自分をさしおいて人足が字を教えると聞いたため、ひどく自尊心を傷つけられたとみえ、奉行の成島治右衛門に強く申し入れた。文字を習うのは初めが肝心であり、単に字を覚えるだけでなく心構えが大切である。明窓浄机とはいわないまでも、心身を清め、無念無想になって筆をとらなければならない。ごたごたした人足部屋などで、作法もなく勝手にやるのは、却って害になるばかりである、と主張したそうであった。
「それにも一理はあるし」と岡安は続けた、「この部屋よりも、役所の座敷のほうが静かでいいだろう、そう思わないか」
「みんながいくかどうかですね」と栄二が答えた、「この部屋だから気やすく筆を持ちますが、役所までいくとなると、おそらく続かないんじゃないかと思いますがね」
そこで栄二がふきだし、声をあげて笑った。岡安は不審そうに見ていて、それから「なにが可笑しい」ときいた。栄二は立松伯翁のいつかの講話を思い出したのである、木村重成がいかに忍耐づよかったか、人間にはいかに忍耐が大切であるかということを、伯翁はことば巧みに説いて聞かせた。その当人が怒ったのだ。栄二が手習いを教えているというので、いいとしをした心学教師が自尊心を傷つけられ、奉行にまでどなり込んだのである。そう気がつくと思わずふきだしてしまったのだが、もちろん岡安にはそんなことは云わなかった。
「みんなが帰ったら話してみます」と栄二は笑いやんでから云った、「私は足がこのとおりですから、いっしょにはまいれません、これまでどおりここでやらせていただきます」
「こんなことで気持をくさらせないようにな」
岡安喜兵衛はそう云って去った。