← Library‹ さぶ 十二の四

そうだと答こたえながら、栄二えいじは撞木しゅもく杖つえを突つき突つきあるいていって、杭くいのまわりに落おちている丸まる薪たきぎを拾ひろいあげた。四よん本ほんはすぐにみつかったが、一いち本ほんは遠とおくへはねとんだらしく、どうしてもみつけることができなかった。

「まだその杖つえがいるのかね」

「おかげでどんなに助たすかってるかわからない、こいつはなにより有難ありがたかったよ」そう云いって栄二えいじは杖つえを撫なでた、「――おめえ、なにか用ようがあるんじゃねえのか」

「うん、その――」清七せいしちはもじもじした、「ちょっと相談そうだんがあるんだが、ぶしゅう、じゃあねえ栄ひさしさん立話たちばなしは疲つかれるだろう」

「なに、もう慣なれてるさ」

「じつはな」と云いって清七せいしちはそら咳せきをし、耳みみたぶをいじった、「じつはその、今日こんにち、おとよのやつが来きたんだ」

栄二えいじはほの白しろい夜気やきをすかして、清七せいしちの顔かおを見みまもった。

「知しってるな、おとよのこと」

「手鎖てぐさりはこたえたからな」と栄二えいじが云いった、「それで、どうした」

「あいつ、松造しょうぞうと別わかれたって云いうんだ、そしてから、おれといっしょになりてえって」

自分じぶんさえ望のぞめば、この寄場よせばから出でることができる。その点てんに差支さしつかえはないのだが、ここを出でてからのことが問題もんだいなのだ。まえにも話はなしたとおり、自分じぶんには土方どかたか荷揚にあげ人足にんそくぐらいしかできないし、どこへいっても人ひとからばかにされ、こき使つかわれるだけだった。こんどしゃばへ出でていっても、それよりいいくらしができようとは思おもえないし、また人ひとから笑わらいものにされたら、取返とりかえしのつかない間違まちがいをしでかしそうな気きがするのだ、と清七せいしちはまじめな口くちぶりで思おもいあぐねたように云いった。

「正直しょうじきなはなしおとよとはいっしょになりてえ、知しっているとおり、おらあおとよにはしんそこまいってる、おとよといっしょになるためならどんなことでもする気きなんだ」と云いって清七せいしちは大おおきな太息といきをついた、「――けれどもしゃばへ出でてからのことを考かんがえると、自分じぶんじゃあどうしていいかわからなくなっちまうんだ」

栄二えいじは暫しばらく黙だまっていてから「そいつはむずかしいな」と云いった。女おんながどこまで本気ほんきなのか、それがなにより肝心かんじんなことだ。この寄場よせばにいるときから、おとよは幾いく人にんもの男おとこと交渉こうしょうがあったという。現げんに清七せいしちと約束やくそくしていながら、元結もとゆい作つくりの松造しょうぞうとここから出でていった。その松造しょうぞうとどうして別わかれたのか、わざわざ寄場よせばまで来きて、清七せいしちと夫婦ふうふになりたいと云いいだしたのは、どういうわけか。そこのところだけでも、栄二えいじには腑ふにおちないものがあるように感かんじられた。

「むずかしいよ、その話はなしは」と栄二えいじは腋わきにかった杖つえのぐあいを直なおしながら云いった、「――しゃばでまえにそうだったからといって、こんども同おなじだとはきまっちゃあいないだろう、油あぶら部屋へやではずっとなかまを押おさえてたことだし、案外あんがいうまくいくんじゃないかと思おもう、けれども、こんなことはよけいなおせっかいかもしれないが、肝心かんじんなのはおとよっていう人ひとの気持きもちだと思おもうな」

「おらもそれは考かんがえた、それでよくよくおとよの心持こころもちをきいてみたんだ」清七せいしちは力ちからをこめて云いった、「あいつは泣なきどおしに泣ないて、あやまったり誓ちかったりした、これからはおら一人ひとりを守まもって、きっといいかみさんになるからってよ、涙なみだで顔かおをぐしゃぐしゃにしてた」

そんなにまで清七せいしちと夫婦ふうふになりたいというのか、本心ほんしんからそう望のぞんでいるのか、それともまた清七せいしちと夫婦ふうふになることで、なにか面倒めんどうなことから逭のがれるつもりではないのか。栄二えいじにはそこが、どうしても納得なっとくできなかった。

「薄情はくじょうなようだが、この話はなしはおれなんぞにゃあむりだ」と栄二えいじは詫わびるように云いった、「――どうだろう、役所やくしょの岡安おかやすさんなら、いい知恵ちえをかしてくれるんじゃないかと思おもうが」

「いい知恵ちえなんかおらいらねえ」と清七せいしちは首くびを振ふった、「おらあただ、おめえの気持きもちさえ聞きかしてもらえばいいんだ」

「だから、それは困こまると云いってるだろう」

「やってみろとか、よせとか、たったひと言ことでいいんだがな」清七せいしちはすがりつくような声こえで云いった、「おめえは若わけえけれど苦労くろうしているし、理屈りくつだけでものごとを片かたづけるような性分しょうぶんじゃあねえ、おめえならおよその見当けんとうはつく筈はずだ、なあ栄さかえさん、たったひと言ことでいい、やれとかよせとか云いってくれめえか」

栄二えいじは空そらを見みあげた。春はるとはいってもまだ二に月がつ中旬ちゅうじゅんのことで、夜よるの空気くうきは冷つめたく、月つきを孕はらんだ雲くもの白しろっぽい明あかるさには、地上ちじょうの人間にんげんたちの悲かなしみや嘆なげきや、よろこびのむなしさを劬いたわり慰なぐさめるような、ひそかなあたたかみが感かんじられた。

「どうしてもだめだ、勘弁かんべんしてくれ」やがて栄二えいじは顔かおをそむけたままで答こたえた、「おれにゃあなんと云いいようもないよ」

清七せいしちは栄二えいじの言葉ことばをよく噛かみしめてみるように、自分じぶんの足あしもとを見みながら考かんがえていて、それからそっと溜息ためいきをついた。

「むりなことを云いって済すまなかった」と清七せいしちは呟つぶやくように云いった、「おらもよく考かんがえてみるよ、じゃ、またな」

ああ、またなと答こたえて、栄二えいじは頭あたまを低ひくく垂たれた。よすほうがいい、およしなさいよ清きよしさん。去さってゆく清七せいしちの足音あしおとを聞ききながら、栄二えいじは心こころの中なかで叫さけんだ。あの女おんなとはうまくいかないよ、おめえまたひどいめにあうぜ。――だが、それが人間にんげんというものかもしれない、と栄二えいじは自分じぶんに云いった。よせと云いっても、やってみろと云いっても、清七せいしちの気持きもちを変かえることはできないだろう。おれがなんと云いっても、清七せいしちは自分じぶんのしたいようにするに違ちがいない。この世よで生いきてゆくということは、損得そんとく勘定かんじょうじゃあない。短みじかい一生いっしょうなんだ、自分じぶんの生いきたいように生いきるほうがいい、しっかりやってくれ清きよしさん。

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