← Library‹ さぶ 十二の五

栄二えいじは小机こづくえの上うえにさぶの手紙てがみをひろげ、それをにらみながら習字しゅうじをしていた。部屋へやの向むこうでは、義一よしかずを囲かこんで、五、六ごろく人にんの男おとこが博奕ばくえきをしながら、酒さけを飲のんでいた。――その中なかには金太きんたもいたし、富三郎とみさぶろうや仁兵衛じんべえ、そして彫物ほりもの部屋へやの伊助いすけもいた。みんな水玉みずたま模様もようの仕着しきせでなく、縞しまかめくら縞しまのふだん着ぎで、あぐらをかいたり片膝かたひざ立たてをしたりして、湯呑ゆのみで冷ひや酒ざけを飲のみながら、茣蓙ござの上うえの花札はなふだに眼めを凝こらしていた。――義一よしかずとりゅうのほかは、みな病気びょうきだと云いって仕事しごとを休やすんだ者ものばかりだし、りゅうは戸口とぐちの外そとに立たって、見廻みまわりの来くるのを見張みはっていた。

――こんなことがいつまで続つづくんだろう、と栄二えいじは筆ふでを動うごかしながら思おもった。これじゃあまるで、本式ほんしきの賭場とばと同おなじことじゃあないか、役所やくしょの人ひとたちはどうしているんだ。

人間にんげんは欲よくには弱よわいものだ、と栄二えいじはいつか万吉まんきちに云いった。役人やくにんたちも人間にんげんだから、金かねを掴つかまされれば弱よわくなる。ことに僅わずかな扶持ふちで寄場よせばなどに勤つとめている人ひとたちには、その誘惑ゆうわくに勝かつのはむずかしいかもしれない。しかし全部ぜんぶが全部ぜんぶということはないだろう、火事かじが起おこって煙けむりが立たっているのに、一人ひとりもそれを見みないなどということはない、岡安おかやすさんはなにをしているのだ。これはずっとまえから彼かれの頭あたまにひっかかっていたことだ。たとえ寄場よせば奉行ぶぎょうが買収ばいしゅうされたとしても、岡安おかやす喜兵衛きへえの手てを汚けがすことだけはできないだろう。あの人ひとだけは信しんじてもいい、たぶんあの人ひとはなにかのきっかけを待まっているんだ、栄二えいじはそう思おもった。

「あにき」と戸口とぐちでりゅうが云いった、「――誰だれかやって来くるぜ」

「誰だれかとはなんだ」

「この字じでねえこたあ慥たしかだ」りゅうはちょっと待まってから云いった、「わかったよ、いつものかぼちゃだ」

そしてくすっと笑わらった。栄二えいじは口くちをあいてそっと息いきを吐はいた。かぼちゃとはさぶのことである、かれらがここにいついてから二に度ど、さぶがたずねて来きたとき、義一よしかずとりゅうがそう呼よんで笑わらうのを聞きいた。――こんなことで怒おこるなよ、栄二えいじは自分じぶんにそう云いいきかせながら、筆ふでを置おいてうしろの撞木しゅもく杖つえを取とり、土間どまのほうへいざっていった。そのときさぶが、風呂敷ふろしき包つつみを持もって戸口とぐちから覗のぞいた。りゅうの躯むくろが邪魔じゃまになって、すぐには中なかへはいれないのであった。

「いまそっちへいくよ」と栄二えいじが呼よびかけた、「外そとで話はなそう」

ゆっくりしな、と義一よしかずのまわりで誰だれかの云いうのが聞きこえ、二、三にさん人にんがくすくす笑わらった。栄二えいじが戸口とぐちへ近ちかよってゆくと、りゅうはさも面倒めんどうくさそうに、のろのろと脇わきへよけた。

「なにかあったのかい」いっしょにあるきだしながらさぶがきいた。

栄二えいじは首くびを振ふった、「外そとへ出でてみたかったんだ、足あしもならさなくちゃあならないからな」

「しかしいまのあの連中れんちゅう」

「あいつらのことは云いうな」と栄二えいじはさぶの言葉ことばを遮さえぎった、「海うみのほうへいってみよう」

杖つえを使つかってあるく栄二えいじの姿すがたを、さぶはしんそこいたましそうな眼めで見みた。すぐに顔かおをそむけたが、栄二えいじは「あれだ」あの眼めだ、と心こころの中なかで叫さけんだ。いつか夢ゆめの中なかでみた、石いしと石いしのあいだから覗のぞいていたさぶは、いまとそっくりな眼めつきだった。死しなないでおくれ栄さかえちゃん、おらあおめえだけが頼たよりなんだ、とあの眼めつきで叫さけんでいたのだ。

「すみよしへはもういかないのか」

「ときたまいくよ」とさぶが答こたえた、「おのぶちゃんの気持きもちを聞きいてっから、妙みょうな話はなしだが、おらあ自分じぶんでもおかしいほどさばさばしちゃった」

「自分じぶんをごまかすのはよくねえぞ」

「ごまかしじゃあねえ、ほんとなんだ」とさぶは云いった、「好すきなことはむろん好すきさ、一生いっしょうおのぶさんのことは忘わすれねえだろう、けれどもさばさばした気持きもちになったことも本当ほんとうなんだ」

「よかろう」栄二えいじは調子ちょうしを変かえた、「暮くれの二十にじゅう六ろく日にちだかにのぶ公こうが来きて、なにか困こまったことができたように云いってたが、おめえなにか知しらねえか」

「困こまったことって、なんだろう」さぶはちょっと考かんがえてから云いった、「おらなんにも気きづかなかったが、――おとつい寄よったら、坂本さかもと二に丁目ちょうめにうちを借かりたってこと、云いい忘わすれたって云いってたよ」

「なんだ、坂本さかもと二に丁目ちょうめのうちとは」

「おれたちのうちさ、横丁よこちょうの古ふるい二に戸こ建だてなんだが、もと桶屋おけやが住すんでたんだって、仕事場しごとばに使つかえる板いたの間まがあるんだ」

「ちょっと見みろよ」と栄二えいじは海うみのほうへ顎あごをしゃくった、「もう汐干狩しおひがりをやってるぜ」

二人ふたりは南みなみの海端うみばたへ来きていて、すぐ向むこうの、一いち里りも潮しおがひいたかと思おもえる広ひろい干潟ひがたに、貝かいを拾ひろう人ひとの姿すがたがあちらこちらに見みえた。

「いつかおれたちもいったっけ」とさぶが眩まぶしそうに眼めをそばめて云いった、「――三さん月がつの大おお汐しおのときだったな」

「川崎かわさきの大師だいしからまわったんだ」と云いって栄二えいじはさぶに振ふり向むいた、「――うちを持もつのは勝手かってだが、おれを当あてにしねえでくれよ」

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