← Library‹ さぶ 十三の一

風化ふうかした崖がけが自然しぜんと崩くずれるように、あるいはまた、崖がけの端はしにできた地割じわれが急きゅうにひろがり始はじめたように、もっこ部屋へやの空気くうきは眼めにみえてとげとげしく、険悪けんあくになっていった。義一よしかずのまわりに集あつまる者ものたちは、三さん月がつにはいると三十さんじゅう人にんちかい数かずになり、ときによって増減ぞうげんはあっても、十じゅう五ご人にん以下いかということはなかった。勝負しょうぶはつねに殺気さっきをおびて、腹巻はらまきに下帯したおびだけという、きおい立たった男おとこが二人ふたりや三さん人にんはいた。小頭こがしらの伝七でんしち老人ろうじんは、或あるとき「まるで鉄火てっか場じょうだな」と呟つぶやいた。栄二えいじにはその内容ないようはわからないが、言葉ことばの意味いみはおよそ見当けんとうがついた。そしていまでは、小島こじま良二りょうじ郎ろうのほかに役人やくにんが二人ふたり、この部屋へやの見張みはりに当あたっていた。

或ある夜よる、栄二えいじが海端うみばたで棒ぼう投なげをしていると、万吉まんきちがあとを跟つけて来きて呼よびかけた。栄二えいじのすることを暫しばらく見みていたらしく、そっと近ちかづいて来くると、それでやる気きか、と問といかけた。

「誰だれだ」栄二えいじは低ひくい声こえで咎とがめた。

「おれだよ」万吉まんきちは栄二えいじの前まえへまわった、「あにいに話はなしがあったもんで、後架こうかから出でるのを待まつつもりだった、そうしたらあにいがこっちへ来くるもんだから、どうするのかと思おもってついて来きたんだ」

「そんならもういってくれ、おれは躯むくろを馴ならしてるんだ」

「へーそうかい」と云いって万吉まんきちは急きゅうに話はなしを変かえた、「ときに、油あぶら部屋へやのこぶが出でてったそうだが、本当ほんとうかい」

「おれは知しらないな、出でていったのか」

「彫物ほりもの部屋へやの伊助いすけが、博奕ばくえき場じょうで饒舌しゃべってるのを聞きいたんだ」と万吉まんきちが云いった、「まえに噂うわさの高たかかった女おんなが呼出よびだしに来きたって、半月はんつきほどまえのことだそうだが、こぶはずいぶん迷まよったあげく、伊助いすけに相談そうだんをもちかけたっていう、伊助いすけはいっしょになれとすすめたそうだ」

ああ、と栄二えいじは心こころの中なかで嘆息たんそくをした。おれは薄情はくじょうな人間にんげんだ、どうしたらいいかときかれたとき、よせとひとこと云いうべきだった。半月はんつきも迷まよっていたとすると、清七せいしち自身じしんも女おんなが信しんじきれなかったに違ちがいない。あのときおれは、どう云いってもむだだと思おもった。よせと云いっても、女おんなへのみれんな気持きもちを引ひき戻もどすことはできないと思おもった。けれども、いま考かんがえてみるとそれは独ひとり合点がてんであり、心こころから清七せいしちのためを思おもったやりかたではなかった。

――おれにはこの撞木杖しゅもくづえを突つく権利けんりなんかないんだ。

栄二えいじは片手かたてで杖つえを撫なでながら、星ほしのいちめんにきらめいている空そらを見みあげた。

「伊助いすけはその話はなしを、まわりの者ものといいお笑わらいぐさにしていた」と万吉まんきちは語かたっていた、「――きっと五十ごじゅう日にちとは続つづかないだろうって、こぶの稼かせぎ溜ためた金かねがなくなるまえに、女おんなは幾いく人にんもの男おとこをつくるだろってな」

「おめえいま博奕ばくえき場じょうと云いったが、博奕ばくえき場じょうとはどこのことだ」

「おらあいまこぶの話はなしをしてるんだぜ」

「云いってみろ、博奕ばくえき場じょうとはどこのことだ」

「あにいが自分じぶんにきいてみろよ」と万吉まんきちはつよ気げにやり返かえした、「あにいは辛抱しんぼうづよくそっぽを向むいてる、やつらのほうへは眼めも向むけねえが、やつらのほうじゃあ一人ひとりひとりが、しょっちゅうあにいに眼めを光ひからしてる、あにいがちょっと身動みうごきをしても、幾いく人にんかの眼めがさっと集あつまるんだ、やつらはあにいの気持きもちをみぬいてるぜ」

「なにを云いいだすんだ、ばかばかしい」栄二えいじは顔かおをそむけた、「おめえ頭あたまがどうかしてやしねえか」

「そんならそうとしておこう、だがな、あにい、どんなうまい手てを使つかったって、一人ひとりじゃあとうてえむりだぜ」

栄二えいじは冷ひややかにきき返かえした、「清七せいしちの出でていったのはいつだ」

「いいよ、しらを切きるなら切きってるがいい、だがひとことだけ云いっておこう」万吉まんきちはそこで声こえをひそめた、「あにい一人ひとりにやらせやしねえ、そのときはおれたちもやるぜ、名なは云いわねえがおれのほかに四よん人にん、みんな道具どうぐも用意よういしてあるんだ」

「いけねえ」栄二えいじはわれ知しらず高たかい声こえをあげ、しかしすぐにその声こえをひそめた、「――そいつはいけねえ、あいつらは匕首ひしゅを持もってるって、このまえにも云いっといた筈はずだ、やつらは人ひとをあやめるくらいなんとも思おもっちゃあいねえ、おめえたちが四よん人にんや五ご人にんでかかったって、とてもかなう相手あいてじゃあねえんだ」

「そんならあにいはどうする気きだ」

「この寄場よせばには役人やくにんがいる」

「かな轡ぐつわを噛かまされてな」と万吉まんきちが云いった、「どれほど袖そでの下したをつかまされたか知しらねえが、お役人やくにん衆しゅうはやつらに酒さけまで運はこんでるぜ」

栄二えいじは頭あたまを左右さゆうに振ふり、胸むねに溜たまった毒気どくけでも吐はき出だすように、ほうと長ながく大おおきい息いきを吐はいた。

「おれは考かんがえてみる、このところずっと考かんがえているんだ」と栄二えいじはやがて云いった、「もっこ部屋へやのことが役所やくしょへ知しれていない筈はずはないし、全部ぜんぶの役人やくにんが買収ばいしゅうされるなんてこともないだろう、役所やくしょでまだ手てを出ださないのは、そこになにかわけがあると思おもうんだ、きっとなにかわけがある、だから、頼たのむからむちゃなことはよしてくれ、おれたちの四よん人にんや五ご人にんで片かたづくことじゃあねえんだから」

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