← Library‹ さぶ 十三の三

栄二えいじの動作どうさは狂気きょうきじみていたが、頭あたまの中なかは冷静れいせいであった。彼かれが義一よしかずに襲おそいかかったのは怒いかりの衝動しょうどうで、判断はんだん力りょくよりも本能ほんのう的てきな怒いかりに支配しはいされたものだ。けれども初はじめに一撃いちげきを与あたえた刹那せつなに、判断はんだん力りょくが動うごきだし、この機会きかいをのがしてはならない、いまここで徹底てってい的てきにやらなければ、却かえって災厄さいやくの根ねを残のこすことになるぞ。この男おとこを人間にんげんと思おもうな、こいつは毒どくを持もった蛇へびだ、蛇へびだと思おもってやれ。栄二えいじは頭あたまの中なかで自分じぶんにそう命めいじていた。

りゅうは棒立ぼうだちになったままだったが、義一よしかずがめった打うちにされ、頭あたまや顔かおから血ちがふき出だすのを見みると、まっ蒼さおになってふるえながら、ふところの匕首あいくちを抜ぬき、栄二えいじのほうへすり寄よった。――博奕ばくえきをしていた連中れんちゅうも、手習てならいの机つくえに向むかっていた者ものも老人ろうじんたちも、それまではみな身動みうごきさえしなかった。眼めに見みえない鎖くさりで縛しばりつけられでもしたように、その場ばのすさまじいありさまに圧倒あっとうされていたが、りゅうが動うごきだし、その手てで匕首あいくちの刃はが光ひかったとき、万吉まんきちが夢ゆめからさめたようにとびあがった。

「あにいうしろだ」と万吉まんきちは叫さけんだ。

栄二えいじはりゅうに眼めをやり、義一よしかずを殴なぐっていた杖つえを持もち変かえながら、こっちへ来くる万吉まんきちに背せを向むけたままどなった。

「手てを出だすな、万まんの字じ」栄二えいじの声こえは部屋へやいっぱいにひびきわたった、「おめえ役所やくしょへいってくれ、誰だれも手出てだしをするな、これはおれの仕事しごとなんだ」

りゅうは匕首ひしゅの刃先はさきを上うえに向むけ、こっちの耳みみに聞きこえるほど荒あらい息いきをしながら、じりじりとまをちぢめて来きた。栄二えいじはすばやく、義一よしかずがのびたまま動うごかないのを見みてとり、そこへりゅうが躯むくろごと突つっかけて来くると、撞木しゅもく杖つえを右みぎから左ひだりへと振ふった。りゅうの突つっかけた匕首あいくちは栄二えいじの左ひだりの肩かたに突つき刺ささったが、杖つえで首くびを強打きょうだされたりゅう自身じしんは横よこへすっとび、板いたの間まの上あがり端はなへ転ころげ込こんだ。栄二えいじは隙すきを与あたえず駆かけ寄より、杖つえを振ふりあげて殴なぐりつけた。杖つえは頭あたまに当あたり胸むねに当あたり、横よこから顔かおを打うった。

「お願ねがいだ、助たすけてくれ」りゅうは倒たおれたまま、両手りょうてで頭あたまを抱かかえながら叫さけんだ、「もう勘弁かんべんだ、誰だれか助たすけてくれ、死しんじまうよう」

だが栄二えいじは力ちからをゆるめなかった。りゅうもまた見みるまに血ちまみれになり、動うごかなくなった。栄二えいじは殴なぐるのをやめ、義一よしかずのほうを見みた。義一よしかずは俯伏うつぶせになり、流ながれだす自分じぶんの血ちに顔かおを浸ひたしたまま呻うめいていた。

「――さあ」と栄二えいじは博奕ばくえきをしていた集あつまりのほうへ呼よびかけた、「もうすぐに役所やくしょから来くるだろう、ほかの部屋へやの者ものはいまのうちに帰かえってくれ、早はやくしないとかかりあいになるぞ」

十じゅう五、六ごろく人にんいた集あつまりの中なかから、半数はんすう以上いじょうの者ものが立たちあがり、怯おびえたように土間どまへとびおりると、はだしのまま戸口とぐちから逃にげだしていった。

「与平よへいさん」と栄二えいじが云いった、「万まんの字じは役所やくしょへいったか」

「いったよ」と与平よへいが答こたえた。

そのとき戸口とぐちから小島こじま良りょう二郎じろうがはいって来きた。彼かれは走はしって来きたとみえ、肩かたで息いきをしながら部屋へやの中なかを見みまわし、のびている義一よしかずとりゅうの姿すがたから、栄二えいじへと眼めを移うつした。

「私わたくしがやりました」と栄二えいじは云いった、「いま役所やくしょへ届とどけたところです」

小島こじまの顔かおが硬こわばり、なにか云いおうとして口くちをあいたが、ものは云いわずに刀かたなを抜ぬいた。栄二えいじはすばやく撞木しゅもく杖つえを取とって構かまえた。

「よしたほうがいい、小島こじまさん」と栄二えいじは静しずかに云いった、「あっしを斬きったところで、証人しょうにんはほかにいくらでもいるんだ、また、あっしを斬きるにはちょっと骨ほねが折おれますぜ」

小島こじまの顔かおに思おもい惑まどったような表情ひょうじょうがうかんだ。すると三さん人にんの男おとこたちが、六ろく尺しゃく棒ぼうのような物ものを持もってこっちへ進すすみ出でた。

「いけねえ、出でちゃあいけねえ」と栄二えいじは小島こじまを睨にらんだままで叫さけんだ、「これはおれ一人ひとりの仕事しごとだ、坐すわっててくれ」

小島こじま良りょう二郎じろうは部屋へやにいる人足にんそくたちの顔かおを、恐怖きょうふに襲おそわれたような眼めで、すばやく眺ながめまわした。

「刀かたなをおしまいなさい」と栄二えいじが云いった、「あんたのことはなにも云いやあしない、こんどは役所やくしょから人ひとが来くるでしょう、じたばたしてもだめだ、刀かたなをしまってここから出でることです」

小島こじまは抜身ぬきみを持もったまま、じりじりとあとじさりをし、戸口とぐちから外そとへ出でていった。

与平よへいは二人ふたりの小頭こがしらとともに、義一よしかずとりゅうの傷きずをしらべながら、誰だれかさんてつ先生せんせいを呼よんでくれ、と云いった。先生せんせいは夜よるはいないよ、と二、三にさん人にんが答こたえた。小島こじま良りょう二郎じろうが去さったとたんに、部屋へやぜんたいが生いき返かえったようになり、みんながうろうろと動うごきまわったり、やかましく話はなしあったりしていた。駆かけ戻もどった万吉まんきちが戸口とぐちに顔かおを見みせたとき、栄二えいじは自分じぶんの躯むくろからなにかが抜ぬけ出だしてゆくような、非常ひじょうな疲つかれと虚脱きょだつ感かんのため、板いたの間まの上あがり端ばたへ力ちからなく腰こしをおろした。

「岡安おかやすさんが来くるよ」と万吉まんきちはうしろ手でに戸外こがいを指ゆびさして、喘あえぎながら云いった、「もうそこまで来きている、大丈夫だいじょうぶか、あにい」

栄二えいじは頷うなずいて眼めをつむり、頭あたまを垂たれた。

Next chapter →
Click a word · hold for the whole sentence 0%