← Library‹ さぶ 十四の二

下谷したやの家いえは、坂本さかもと二に丁目ちょうめの横丁よこちょうにある二に戸こ建だてで、隣となりには増ぞう六ろくという、中年ちゅうねんの夫婦ふうふが住すんでいた。間取まどりは六ろく帖じょうふた間まに、八はち帖じょうほどの板いたの間ま。勝手かってに厠かわやが付ついていた。井戸いどはすぐ裏うらで、勝手かってには造つくりつけのへっついがあり、手桶ておけから水瓶みずがめ、鍋釜なべかままで揃そろっていた。――さぶは戸納とだなをあけて、新あたらしいふた組くみの蒲団ふとんをみせ、ひと組くみはおすえが作つくって来きたものだと説明せつめいした。そのふた組くみは唐草からくさの油単ゆたんに包つつんであり、べつのところに、もうひと組くみの蒲団ふとんがあった。

「これがおらのさ」とさぶは云いった、「栄ひさしさんたちのには手てもつけなかったよ、おすえちゃんが来きたら、おらあべつになるからな」

「べつになるって」

「この間取まどりで三さん人にんはむりだ、そう思おもったから金杉かなすぎ町まちのもとの長屋ながやに手てが打うってあるんだ」

なぜそんなむだなことをした、これで充分じゅうぶんじゃあないか、そう云いおうとしたが、栄二えいじは口くちには出ださなかった。奥おくの六ろく帖じょうには長なが火鉢ひばち、箪笥たんす、茶ちゃ箪笥たんす、衣桁いこう、鏡架かがみかけなどが並ならんでい、板いたの間まには仕事しごと道具どうぐが揃そろえてあった。

「これだけを独ひとりでやったのか」

「そうじゃねえ、奥おくのほうはおすえちゃんと二人ふたりで揃そろえたんだ」

「よくそんな金かねがあったな」

「怒おこられるかもしれねえが」とさぶがあやまるように云いった、「見みてもらいてえものがあるんだ」

栄二えいじは火ひのない長なが火鉢ひばちの脇わきに坐すわり、おちつかないようすで、その長なが火鉢ひばちのふちや、猫板ねこいたなどを撫なでた。さぶは箪笥たんすの小物こもの入いれの抽出ひきだしから、半紙はんし三さん枚まいを折おった書付かきつけを取出とりだして来きて、栄二えいじの前まえに坐すわり、それを手渡てわたした。

「栄さかえちゃんから預あずかった金かねで、これだけの物ものを揃そろえた、断ことわりなしに勝手かってなまねをして済すまなかったが、品物しなものの値段ねだんはそれにちゃんとつけておいたよ」とさぶは云いった、「――たぶん間違まちがいはねえと思おもうが、念ねんのために見みておいてくれないか」

栄二えいじは三さん枚まいの書付かきつけにざっと眼めをとおしたが、もちろん帳尻ちょうじりを見みるようなつもりはまったくない、彼かれはふところから財布さいふを出だすと、それを書付かきつけといっしょに、さぶの前まえへ押おしやった。

「おめえになにもかもやってもらって、済すまないというのはこっちのことだ、この財布さいふの中なかには石川島いしかわじまで稼かせいだものがはいってる。僅わずかなもんで恥はずかしいが取とっといてくれ、埋うめ合あわせはあとでするから」

「埋うめ合あわせだって」さぶは訝いぶかしげな眼めつきをした、「なんのことだい」

「まあいい」と栄二えいじは云いった、「晩ばんめしに二人ふたりで、なにかうまい物ものでも取とるとしようか」

書付かきつけをしらべるまでもなく、栄二えいじの預あずけた金かねだけで、この家具かぐ什器じゅうきが買かえるわけはない、さぶの金かねが加くわわっていることは疑うたがう余地よちがなかった。脚気かっけを病やんで帰郷ききょうしているあいだ、葛西かさいの家いえでも相当そうとうな食くい扶持ふちを取とられたであろう、そのうえこれだけの世帯せたい道具どうぐを買かい揃そろえたのだから、おそらくさぶは財布さいふの底そこをはたいたに違ちがいない。そう思おもったけれども、これまた礼れいを云いって済すむことではないから、彼かれは話はなしをそらしたのであった。

家主やぬしの源助げんすけと隣となりの増ぞう六ろくの家いえ、そしてまた通とおりを隔へだてた、向むこう三さん軒けんへ挨拶あいさつにいってから、二人ふたりで晩ばんめしを喰たべた。めしだけはさぶが炊たき、表通おもてどおりの「魚ぎょ喜久よしひさ」という仕出しだし屋やから、汁しると焼物やきもの、刺身さしみ、酢すの物ものなどを取とり、酒さけも二に本ほんつけた。これまでの習慣しゅうかんどおり、二人ふたりは徳利とっくりも盃さかずきもべつべつで、酌しゃくをしあったり盃さかずきのやりとりをするようなことはなかった。

「これはおれたちの店みせだ」栄二えいじは初はじめの盃さかずきを啜すすってから、ぐるっと家いえの中なかを見みまわした、「――この店みせから、おれたちは始はじめるんだ、さぶ、しっかりやろうぜ」

「できるだけお荷物にもつにならねえようにするから」と云いってさぶは頭あたまをさげた、「よろしく頼たのむよ、栄さかえちゃん」

ばかなことを云いうな、と叱しかりつけようとしたが、栄二えいじは自分じぶんを制せいして云いった、「――お互たがいさまだ、おれもよろしく頼たのむぜ」

「ようやくここまできた」さぶは酒さけを啜すすって云いった、「そのうちに二人ふたりで店みせを持もとうって、いつか栄さかえちゃんに云いわれてから、おら夢ゆめにまでみたけれども、それが本当ほんとうのことになろうとは思おもわなかった、おらあいま嬉うれしいような、おっかねえような心持こころもちだよ」

「おれだって同おなじこった、世よの中なかはあまくあねえ、せっかくこうして店みせを持もっても、うまくやってゆけるかどうかはわからねえからな、考かんがえてみればおれだっておっかなくなるぜ」

さぶは怯おびえでもしたように、眼めをみはって栄二えいじを見みた。

「そんなことがあるもんか」さぶはむきになって云いい返かえした、「栄さかえちゃんだけの腕うでがあれば、どこへ出でたって押おしも押おされもしやしねえ、そんな弱気よわきなことを云いうなんて、てんで栄さかえちゃんらしくもねえや」

「そう思おもってくれるのはおめえだけだ」と栄二えいじはまじめに云いった、「おれはあしかけ三さん年ねんも仕事しごとをしなかった、以前いぜんのような腕うでにいつ戻もどれるか、正直しょうじきに云いって自分じぶんでも見当けんとうがつかない、ただ、――いまのおれにとっては、おめえが側がわにいてくれるというだけが大おおきな頼たのみだ、これだけは忘わすれないでくれな、さぶ」

「そんなことを云いわれる柄がらじゃあねえ、おらあいまでも頓馬とんまでぐずで能のうなしなんだ、けれども」とさぶは屹きっと眼めをあげて云いった、「もし栄さかえちゃんの役やくに立たつんなら、おらどんなことでもするよ」

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