四月の二十一日に、栄二とおすえは祝言をした。寄場の休みの日を選んだので、石川島からは小頭の伝七と、与平、万吉、赤鬼の松田権蔵ら四人が来た。かれらは炭取とか十能、めおと箸、箱膳、一反の晒木綿などに、洗いあげた浴衣が三枚、という祝い物を並べた。
「この古浴衣はおれの心ざしだ」と松田が怒ったように云った、「こんな物くその役にも立たねえと思うだろうが、もしそんなふうに思うなら、すっとこどっこいのぼけなす野郎のおけら頭だ」
相変らずだな、と思いながら栄二は微笑したが、おすえは怯えたような眼をしていた。松田はそのおすえに向って、ちょっとここへおいでと手招きをした。
「おめえさんは知るめえがな」と松田は坐り直して、しかつめらしく云った、「生れたての赤ん坊の肌着やおしめには、新しい切地を使うもんじゃねえ、幾十たびとなく洗いぬいて、やわらかくなった木綿を使うんだ、赤ん坊の肌なんてものはおまえさん、まるっきり搗きたての餅も同様だからな、ちょっと手荒に扱ってもすぐにひっちゃぶけちゃうもんなんだ、万吉、なにが可笑しいんだ」
「いや可笑しかあねえが」と万吉は笑いをこらえながら云った、「まだ婚礼もしねえのに赤ん坊の講釈は早いだろう、みなよ、おすえさんは恥ずかしさに身をちぢめているぜ」
「まだってったってべらぼうめ、今夜からいっしょに寝るんだろう」と云って松田は慌てて話をそらした、「だからよ、その、あれだ、おれたちはいつまた来られるかわかりゃあしねえだろ、だから話すのはいまだと思ったんだ、わるかったらあやまるよ」
「有難う、松田さん」と栄二は頭をさげながら云った、「なによりの祝い物だ、みなさんにもいちいち礼は云いません、有難くいただきます」
万吉がめんくらったように「どう致しまして」と答え、みんなが笑いだした。
隣りの増六の妻と、差配の妻が手伝いに来て、膳拵えや酒の支度を引受けていた。金杉の平蔵はこういうことは嫌いだそうで、三軒ほどある親類も呼ばず、日の昏れがたになって一人で来た。さぶは栄二に、せめてもとの兄弟子たち二、三人ぐらいは呼ぼう、とすすめたが、栄二はかたく拒み、与平さんが親代り、おめえが親類代りだ、と主張したし、形式だけでも仲人を、というのも承知しなかった。
「仲人があって知りあったならともかく」と栄二は云った、「おれたちはお互いどうしで知りあい、お互いどうしでいっしょになろうときめたんだ、式だけの仲人なんて、そんなごまかしはまっぴらだ」
「それはそうだろうが、世間てものもあるし」とさぶは太息をつきながら云った、「ゆく先なにかあった場合にも、中に立つ人がいたほうがよかあねえかと思うんだが」
「おめえがいるじゃねえか」栄二はさぶに指を向けて云った、「おれにもおすえにも、さぶっていう相談相手がいるだけで充分だよ」
さぶはてれくさそうな、けれども深い感動を眼に湛えながら、「栄ちゃん」と口の中で呼びかけた。――それは昨日のことだったが、今日は朝から、さぶは独りでうちそとを駆けまわり、寄場から四人が来ると、すぐに膳を並べたり酒を運んだりした。おまえは今日は主人役なんだから、雑用は任せて坐っていろ、と幾たびか栄二に云われたが、そんなはれがましいまねは苦手だとか、肩が凝ってだめだ、などと云って少しもおちつかなかった。
平蔵はそれでも紋付袴で、一升入りの角樽を二つ、酒屋の男に持たせてあらわれた。おすえは紬縞の着物に厚板の帯、足袋もはかないふだん同様の着つけだし、栄二も木綿縞の着物に三尺帯という恰好だった。栄二が平蔵に、寄場の人たちひとりひとりを、自分の恩人だと云ってひきあわせると、平蔵はそのたびに礼を述べ、丁寧に挨拶をした。寄場の者と聞いてもいやなようすは決してみせなかったし、言葉かずこそ少なかったが、挨拶のしかたも極めて尋常だった。
祝言といってもざっとしたものであった。二人が並んで坐り、貰ったばかりの箱膳を三方の代りに、三三九度の盃を交わしただけである。盃は与平の持って来た土器で、酒は燗徳利を使った。盃が終ると、おすえは給仕に立ち、栄二は下のほうへさがって坐った。
「おかげで無事にかための盃ができました、有難うございます」栄二は両手を突いて云った、「――ごらんのとおり私たちはすっ裸です、祝っていただいてもお返しはできません、さぶとおすえと私と三人、すっ裸で仕事に取りつきます、楽でないことはおすえもわかってくれるでしょうが、私は寄場で辛抱ということを教えられました、五年や十年は冷やめしを食っても辛抱し、きっと人並みの店を持つ覚悟です」
どうか見ていてもらいたいと、珍しく力んだ口ぶりで結んだ。
「おれが御祝儀をやろう」と万吉が酔いの出た赤い顔で云った、「いけねえかな松田さん、たかさごやだよ」
松田権蔵が眼を剥いた、「なんだと、おめえそんな芸当ができるのか」
「芸当たあ痛えな」
「やっておくれ」と与平が云った、「それで今夜のおめでたが締るよ」
万吉はうたい始めた。