万吉はいい声だったが、明らかに木遣りの声であったし、節まわしも木遣りそのままであった。もとが鳶の者だからしぜんとそうなるのだろう、月もろともにいでふねの、というところまでくると、自分で急に笑いだし、額を二つ三つ叩きながら、躯をゆすってげらげらと笑いこけた。
「てめえで笑ってりゃあ世話あねえや、このすっとこどっこい」と松田がどなった、「せっかく無事におさまるところを、てめえのおかげで茶番になっちまったぞ」
「そんなことはないよ松田さん」と栄二が云った、「本式にやってもらうより、たとえへたでも祝ってやろうという、友達の気持のほうがよっぽど有難い、万さん有難うよ」
「さあ松田さん」と与平が徳利を取って差出した、「今夜は格別だ、たまには裃をぬいで酔いませんか」
「かみしもだと」松田はまた眼を剥いた。
「それが松田さんの裃だ」と伝七がなにか喰べながら云った、「あんたは自分の気性のやさしいのを隠すために、わざと乱暴な口をききなさる、私どもにはもうわかっているんだから、そうむりをなさるこたあねえですよ」
「人をなめるな」と松田はどなった、「きさまたちくそ野郎どもに、おれがどんな気持でいるかわかるもんか」
彼の顔は赤黒くなった。それは例の悪罵の始まる前兆なのだが、そのときは逆に、眼を伏せて口をつぐみ、いかにも自分をもてあましたというふうに、せかせかと酒を飲み続けた。――寄場には刻限がある、今日は特別に許しを受けて来たというが、七時になったと聞くと与平が「おひらきにしよう」と云って盃を伏せた。栄二は与平に話すことがあった。寄場を出てここへ来てくれ、親子としていっしょにくらそうと、――けれども栄二は云いださなかった。それはこっちから寄場へいって、二人だけで話すことだ、と思ったからである。やがて四人が立ちあがり、平蔵も立ちあがった。平蔵が立ちあがったとき、みんなは吃驚したように彼を見た。平蔵がそれまでそこにいたということを、みんながすっかり忘れてしまったほど、彼は口もきかず笑いもしなかったのである。
栄二とおすえとさぶとで、みんなを表通りまで見送った。
「仕合せにやってくれよ、なあ」別れるときに松田が云った、「おかみさんはおすえさんとかいったな、もしこの野郎が不実なことでもしやあがったら、いいからすぐさまおれんとこへ捻じ込んで来てくれ、いいな、そうすればおれがすぐさま野郎に性をつけてやるから」
どうか仕合せにやってくれ、と繰返しながら、松田権蔵はだらしなく涙をこぼした。
「へーおっどろいた」万吉が云った、「鬼の眼にも涙ってなあ嘘じゃなかったんだな」
「なにをぬかす、くそ野郎、鬼は鬼でもただの鬼じゃあねえ、赤鬼さまだぞ」松田は涙と水洟を横撫でにしながら、万吉の肩に凭れかかった、「ああ酔った、肩を貸せ、このかぼちゃ野郎」
そのとき平蔵と与平の姿はもう見えなかった。
三人が家へ帰り、おすえが隣りの妻女と差配の妻女とで、あと片づけにかかると、栄二はさぶと向い合って坐り、酒の残っている徳利を集めて、飲みだした。二人とも強いほうではない。さぶは量だけは多くなったようだが、相変らず酔わない酒であった。
「一遍だけ礼を云わしてくれ」栄二が両手を膝に突いて頭をさげた、「――有難うよ、さぶ、本当に有難う」
さぶは片手を額のところで振ったが、口ではなにも云わなかった。
「おれたち二人、組んで」と云って栄二は俯向いた、「――しっかりやろうぜ」
さぶはなにか云おうとして、うまく言葉が出てこないのをもどかしそうに、首を振ったり口をもぐもぐさせたりした。
「おらあ、その」とさぶが云った、「おらもそろそろおひらきにしようと思うんだが」
「ばかなことを云うな、おめえは泊ってゆくにきまってるじゃねえか、飲めよ」
「うう」とさぶは云った、「じゃあ、あとこれ一本だけ」
手伝いに来た二人の妻女を送り出して、おすえが手を拭きながら栄二の側へ坐った。
「おすえさん、申し訳ねえ」とさぶがまわらない舌で、おじぎをしながら云った、「もっと早くふけるつもりだったけれど、ついなが居をしちまった、この分だと、おらあやっぱり二人のお荷物になりそうだ」
「こっちは飲みあかしだ」と栄二はおすえに云った、「おめえ疲れてるだろう、いいから先に寝ちまいな」
「だって栄さん」
「二人っきりのほうがいいんだ」と云って栄二は眼くばせをした、「おめえにゃあ明日があるんだ、寝ろったら寝ろよ」
おすえは栄二の云うことを、眼で慥かめてから、さぶに言葉をかけて立っていった。
飲みあかしだと云ったが、栄二はもう酒の匂いを嗅ぐのもいやになっていたし、酔わない酒のさぶがすっかり酔って、躯は不安定にぐらぐらするし、呂律がまわらなくなってしまった。
「もう寝るか、さぶ」とやがて栄二が云った、「おめえ起きているのが辛そうだぜ」
そう云いながら振り向くと、半分あけてあるからかみの間から、隣りの六帖でおすえの着替えている姿が見えた。着物をぬぎ、寝衣をひっかけたところで、なめらかにひき緊った小さな肩と、くびれた裸の脇腹とが、おどろくほど新鮮に嬌めかしく感じられた。
「おらあだめなやつだ」さぶはそう云って横に転がった、「おらあ一生、半端もんだ」