← Library‹ さぶ 十四の六

万吉まんきちはいい声こえだったが、明あきらかに木遣きやりの声こえであったし、節ふしまわしも木遣きやりそのままであった。もとが鳶とびの者ものだからしぜんとそうなるのだろう、月つきもろともにいでふねの、というところまでくると、自分じぶんで急きゅうに笑わらいだし、額がくを二ふたつ三みつ叩たたきながら、躯むくろをゆすってげらげらと笑わらいこけた。

「てめえで笑わらってりゃあ世話せわあねえや、このすっとこどっこい」と松田まつだがどなった、「せっかく無事ぶじにおさまるところを、てめえのおかげで茶番ちゃばんになっちまったぞ」

「そんなことはないよ松田まつださん」と栄二えいじが云いった、「本式ほんしきにやってもらうより、たとえへたでも祝いわってやろうという、友達ともだちの気持きもちのほうがよっぽど有難ありがたい、万よろずさん有難ありがとうよ」

「さあ松田まつださん」と与平よへいが徳利とっくりを取とって差出さしだした、「今夜こんやは格別かくべつだ、たまには裃かみしもをぬいで酔よいませんか」

「かみしもだと」松田まつだはまた眼めを剥むいた。

「それが松田まつださんの裃かみしもだ」と伝七でんしちがなにか喰たべながら云いった、「あんたは自分じぶんの気性きしょうのやさしいのを隠かくすために、わざと乱暴らんぼうな口くちをききなさる、私わたくしどもにはもうわかっているんだから、そうむりをなさるこたあねえですよ」

「人ひとをなめるな」と松田まつだはどなった、「きさまたちくそ野郎やろうどもに、おれがどんな気持きもちでいるかわかるもんか」

彼かれの顔かおは赤黒あかぐろくなった。それは例れいの悪罵あくばの始はじまる前兆ぜんちょうなのだが、そのときは逆ぎゃくに、眼めを伏ふせて口くちをつぐみ、いかにも自分じぶんをもてあましたというふうに、せかせかと酒さけを飲のみ続つづけた。――寄場よせばには刻限こくげんがある、今日きょうは特別とくべつに許ゆるしを受うけて来きたというが、七なな時じになったと聞きくと与平よへいが「おひらきにしよう」と云いって盃さかずきを伏ふせた。栄二えいじは与平よへいに話はなすことがあった。寄場よせばを出でてここへ来きてくれ、親子おやことしていっしょにくらそうと、――けれども栄二えいじは云いいださなかった。それはこっちから寄場よせばへいって、二人ふたりだけで話はなすことだ、と思おもったからである。やがて四よん人にんが立たちあがり、平蔵へいぞうも立たちあがった。平蔵へいぞうが立たちあがったとき、みんなは吃驚びっくりしたように彼かれを見みた。平蔵へいぞうがそれまでそこにいたということを、みんながすっかり忘わすれてしまったほど、彼かれは口くちもきかず笑わらいもしなかったのである。

栄二えいじとおすえとさぶとで、みんなを表通おもてどおりまで見送みおくった。

「仕合しあわせにやってくれよ、なあ」別わかれるときに松田まつだが云いった、「おかみさんはおすえさんとかいったな、もしこの野郎やろうが不実ふじつなことでもしやあがったら、いいからすぐさまおれんとこへ捻ねじ込こんで来きてくれ、いいな、そうすればおれがすぐさま野郎やろうに性しょうをつけてやるから」

どうか仕合しあわせにやってくれ、と繰返くりかえしながら、松田まつだ権蔵ごんぞうはだらしなく涙なみだをこぼした。

「へーおっどろいた」万吉まんきちが云いった、「鬼おにの眼めにも涙なみだってなあ嘘うそじゃなかったんだな」

「なにをぬかす、くそ野郎やろう、鬼おには鬼おにでもただの鬼おにじゃあねえ、赤鬼あかおにさまだぞ」松田まつだは涙なみだと水洟みずばなを横よこ撫なでにしながら、万吉まんきちの肩かたに凭もたれかかった、「ああ酔よった、肩かたを貸かせ、このかぼちゃ野郎やろう」

そのとき平蔵へいぞうと与平よへいの姿すがたはもう見みえなかった。

三さん人にんが家いえへ帰かえり、おすえが隣となりの妻女さいじょと差配さはいの妻女さいじょとで、あと片かたづけにかかると、栄二えいじはさぶと向むかい合あって坐すわり、酒さけの残のこっている徳利とっくりを集あつめて、飲のみだした。二人ふたりとも強つよいほうではない。さぶは量りょうだけは多おおくなったようだが、相あい変かわらず酔よわない酒さけであった。

「一いち遍へんだけ礼れいを云いわしてくれ」栄二えいじが両手りょうてを膝ひざに突ついて頭あたまをさげた、「――有難ありがとうよ、さぶ、本当ほんとうに有難ありがとう」

さぶは片手かたてを額がくのところで振ふったが、口くちではなにも云いわなかった。

「おれたち二人ふたり、組くんで」と云いって栄二えいじは俯向うつむいた、「――しっかりやろうぜ」

さぶはなにか云いおうとして、うまく言葉ことばが出でてこないのをもどかしそうに、首くびを振ふったり口くちをもぐもぐさせたりした。

「おらあ、その」とさぶが云いった、「おらもそろそろおひらきにしようと思おもうんだが」

「ばかなことを云いうな、おめえは泊とまってゆくにきまってるじゃねえか、飲のめよ」

「うう」とさぶは云いった、「じゃあ、あとこれ一いち本ほんだけ」

手伝てつだいに来きた二人ふたりの妻女さいじょを送おくり出だして、おすえが手てを拭ふきながら栄二えいじの側がわへ坐すわった。

「おすえさん、申もうし訳わけねえ」とさぶがまわらない舌したで、おじぎをしながら云いった、「もっと早はやくふけるつもりだったけれど、ついなが居きょをしちまった、この分ぶんだと、おらあやっぱり二人ふたりのお荷物にもつになりそうだ」

「こっちは飲のみあかしだ」と栄二えいじはおすえに云いった、「おめえ疲つかれてるだろう、いいから先さきに寝ねちまいな」

「だって栄ひさしさん」

「二人ふたりっきりのほうがいいんだ」と云いって栄二えいじは眼めくばせをした、「おめえにゃあ明日あすがあるんだ、寝しずまろったら寝ねろよ」

おすえは栄二えいじの云いうことを、眼めで慥たしかめてから、さぶに言葉ことばをかけて立たっていった。

飲のみあかしだと云いったが、栄二えいじはもう酒さけの匂においを嗅かぐのもいやになっていたし、酔よわない酒さけのさぶがすっかり酔よって、躯むくろは不ふ安定あんていにぐらぐらするし、呂律ろれつがまわらなくなってしまった。

「もう寝ねるか、さぶ」とやがて栄二えいじが云いった、「おめえ起おきているのが辛つらそうだぜ」

そう云いいながら振ふり向むくと、半分はんぶんあけてあるからかみの間あいだから、隣となりの六ろく帖じょうでおすえの着替きがえている姿すがたが見みえた。着物きものをぬぎ、寝衣ねまきをひっかけたところで、なめらかにひき緊った小ちいさな肩かたと、くびれた裸はだかの脇腹わきばらとが、おどろくほど新鮮しんせんに嬌めかしく感かんじられた。

「おらあだめなやつだ」さぶはそう云いって横よこに転ころがった、「おらあ一生いっしょう、半端はんぱもんだ」

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