← Library‹ さぶ 二の三

五ご月がつに和助わすけが芳かおる古こ堂どうを出でて、浅草あさくさの東ひがし仲町なかちょうに「香和堂こうわどう」という自分じぶんの店みせを持もち、十じゅう五ご歳さいになる小僧こぞうの半次はんじをもらっていった。そのまえに卯吉うきち、定ていという二人ふたりの小僧こぞうがはいっていたし、秋あきまでは店みせもひまなので、半次はんじを付つけてやったのであった。

栄二えいじとさぶは、休やすみの日ひになると「すみよし」へかよった。どうやらさぶはおのぶが好すきになったらしく、なんとか口実こうじつをつくっては手土産てみやげを買かってゆくが、自分じぶんではそうする勇気ゆうきがないのだろう、栄二えいじに頼たのんで渡わたすのが例れいになっていた。――そろそろ寒さむくなりはじめた十じゅう月がつの十じゅう五ご日にち、二人ふたりはまた夕ゆうめしのあとで「すみよし」へ飲のみにいった。その夜よるもまたおのぶのために、縫取ぬいとりのある半襟はんえりを買かい、栄二えいじに預あずかってもらっていったのだが、すみよしの店みせの、いつもの小しょう座敷ざしきへあがると、栄二えいじは包つつみをさぶに返かえした。

「もういいだろう」と栄二えいじはわざと冷淡れいたんに云いった、「十じゅう七ななや十じゅう八はちの小僧こぞうじゃあねえ、これからは自分じぶんでやれよ」

「わかってるだろう」さぶはとり縋すがるような眼めつきをした、「おれにはできやしないよ」

「のぶ公こうは知しってるんだぜ」と栄二えいじが云いった、「おれが云いったんじゃあねえ、のぶ公こうが自分じぶんで勘かんづいたんだ、あんたはこんなことしてくれる人ひとじゃないって、おれは面めんと向むかって云いわれちまった、いいつらの皮かわさ」

「いつのことだ」

「このまえのとき、おめえが手洗てあらいに立たったあとでよ」

さぶは包つつみを脇わきに置おいて、恥はずかしそうに低ひくくうなだれた。まもなくおのぶが来き、注文ちゅうもんをとおしてから、先さきに酒さけだけ持もって戻もどった。そしていつものように飲のみ始はじめたのだが、さぶはすっかりふさいでしまい、例れいになく盃さかずきは重かさねるが酔ようようすはなく、少すこしも気持きもちがはずまないので、二人ふたりはまもなくすみよしを出でた。

「なぜそれを渡わたさなかったんだ」暗くらい堀端ほりばたを小舟こぶね町まちのほうへ歩あるきながら栄さかえ二にが云いった、「のぶ公こうはその包つつみを見みていたぜ」

さぶは堀ほりの角かどで急きゅうに立停たちどまった。

「おら、酔よっちまったらしい」さぶはちょっとよろよろしたが、そこへしゃがみこんでしまった、「――今夜こんやは栄さかえちゃんに話はなしがあったんだよ」

「こんな堀ほりっ端はしでどうするんだ、風邪かぜをひいちまうぜ」

「和助わすけあにいは店みせを持もった」とさぶは口くちごもりながら云いった、「栄さかえちゃんもそのうちに店みせを持もつだろう、けれどもおれはだめだ」

「そんな話はなしは帰かえってからにしろよ」

「おら、思おもうんだが」さぶの声こえはみじめに弱よわよわしかった、「どうせゆく先さきに望のぞみがねえんなら、いっそいまのうちに、職しょくを変かえるほうがいいんじゃねえだろうか」

「ばかなことを云いうな、おめえほど糊のりの仕込しこみ上手じょうずな者ものはほかにいやあしねえ、親方おやかたがいつもそう云いってるのは自分じぶんでも聞きいて知しってるじゃねえか」

さぶはちょっと黙だまっていてから云いった、「――栄さかえちゃんはいつか、糊のりの仕込しこみで日本にっぽん一いちになれば、それで立派りっぱな職人しょくにんだと云いってくれた、そのとおりだろう、その場ばかぎりの慰なぐさめじゃあねえだろうが、糊のり作つくりだけじゃあ自分じぶんの店みせは持もてやしねえ、よくいって一いち生涯しょうがい、芳かおる古こ堂どうの飼かいごろしじゃあねえか」

「話はなしってなあそのことか」答こたえを捜さがすためのように栄二えいじは問とい返かえし、そして、答こたえが出でてこないのだろう、独ひとりで頷うなずいてから静しずかに云いった、「――にんげんは一寸ちょっとさきのことだって、本当ほんとうはどうなるか見当けんとうもつきあしねえ、まして五ご年ねんさき十じゅう年ねんさきのことなんか、神かみほとけにだってわかりゃあしねえだろう、けれどもな、おめえがそう云いうからおれの気持きもちも聞きいてもらうんだが、このまま順当じゅんとうにゆくとして、もしもおれが自分じぶんの店みせを持もつようになったら、おめえといっしょに仕事しごとをしようと考かんがえているんだ」

さぶはゆっくりと栄二えいじの顔かおを見みあげ、栄二えいじはさぶと並ならんでしゃがみこんだ。

「どんな店みせが持もてるかわからねえが、二人ふたりでいっしょに住すみ、おめえの仕込しこんだ糊のりでおれが表具ひょうぐでも経師きょうじでも、立派りっぱな仕事しごとをしてみせる、お互たがいにいつか女房にょうぼうをもらうだろう、そして子供こどももできるだろうが、それからも二人ふたりははなれやしねえ」と栄二えいじはひそめた声こえに感情かんじょうをこめて云いった、「――いつまでも二人ふたりでいっしょにやっていって、芳かおる古こ堂どうに負まけねえ江戸えど一いち番ばんの店みせに仕上しあげるんだ、おれはこう考かんがえているんだが、おめえはどう思おもう、おれとやるのはいやか」

さぶは考かんがえてみてから首くびを振ふった、「だめだ、そう思おもってくれるのは有難ありがてえが、おら、おめえの重荷おもにになるばかりだ」

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