← Library‹ さぶ 二の四

「またそれだ、それがおめえのいちばん悪わるい癖くせだぜ、さぶ」と栄二えいじが云いった、「二人ふたりで店みせをやってゆくのに、どうしておめえが重荷おもにになるんだ、おめえは誰だれにもひけをとらねえ立派りっぱな糊のりを作つくる、その糊のりでおれが仕事しごとをする、おれたち二人ふたりの力ちからを合あわせてやるのに、重荷おもにもへちまもねえじゃねえか」

さぶは吃どもった、「おら、思おもうんだが」

「よせったら」

「それでもおら、思おもうんだ」とさぶはねばりづよく云いった、「おのぶのことだってそうだが、おれがいくじなしなために、栄さかえちゃんにとんでもねえ迷惑めいわくをかけちまった」

「おれが迷惑めいわくだなんて云いったか」

「おめえはなんにも云いやあしねえ、いつだってなんにも云いやあしねえ、けれどもそれだけよけいに、おら自分じぶんのいくじなしがやりきれなくなるんだ」と云いってさぶは暗くらがりの中なかでさぐるように栄二えいじを見みた、「――覚おぼえているかい、栄さかえちゃん、十じゅう五ごのとしの冬ふゆだっけ、おれが店みせをとびだしたとき、おめえは雨あめに濡ぬれながら追おっかけて来きた、横網よこあみ河岸かしまで追おっかけて来きて、おれを伴つれ戻もどしてくれたことがあった」

「おめえだって雨あめに濡ぬれてたぜ」

「おら、あのことは一生いっしょう忘わすれねえが、伴つれ戻もどされる途中とちゅうずっと一ひとつことを考かんがえてた、おら、このままだときっと、栄さかえちゃんの厄介やっかい者しゃになるだろうって、いつも栄さかえちゃんに面倒めんどうをかけて困こまらせるこったろうってな」

「おれも正直しょうじきに云いおう」と栄二えいじが深ふかく息いきを吸すいこんで、大おおきく吐はきだしてから云いった、「――おめえはな、さぶ、おれにとっては厄介やっかい者しゃどころか、いつも気持きもちを支ささえてくれる大事だいじな友達ともだちなんだ、正直しょうじきに云いうから怒おこらねえでくれよ、おめえはみんなからぐずと云いわれ、ぬけてるなどとも云いわれながら、辛抱しんぼうづよく、黙だまって、石いしについた苔こけみてえに、しっかりと自分じぶんの仕事しごとにとりついてきた、おらあその姿すがたを見みるたびに、心こころの中なかで自分じぶんに云いいきかせたもんだ、――これが本当ほんとうの職人しょくにん根性こんじょうってもんだ、ってな」

「やい、いいかげんにしろ」と二人ふたりのうしろでどなる声こえがした、「なんの相談そうだんか知しらねえが、こっちはいいかげん待まちくたびれたぜ、二人ふたりとも立たったらどうだ」

栄二えいじとさぶが振ふり向むいた。うしろに三さん人にん、暗くらがりでよくわからないが、やくざめいた男おとこたちが立たっていた。さぶは慌あわてて立たちあがろうとし、栄二えいじがそれを抑おさえた。

「待まてよ」と栄二えいじはしゃがんだままで静しずかに云いった、「いま大事だいじな話はなしをしているところなんだ、用ようがあるならあとにしてくれ」

「そうはいかねえ」と次つぎの男おとこがひどく穏おだやかな声こえで云いった、「こっちはもう待まちくたびれてしびれをきらしてるんだ、立たちな、若わかいの」

「栄さかえちゃん」とさぶが云いった。

「構かまうなよ」と栄二えいじが云いった、「それよりもいま、おれの云いったことを」

男おとこの一人ひとりが進すすみ出でて、さぶの着物きものの衿えりを掴つかんだ。それを待まっていたように、栄二えいじが立たちあがって振ふり返かえり、うしろにいる男おとこの一人ひとりにとびかかった。そして右足みぎあしの膝ひざで、相手あいての下腹したはらを烈はげしく突つきあげ、その男おとこがうっと声こえをあげて跼かがむのを見向みむきもせずに、次つぎの男おとこに躰当たいあたりをくれ、地面じめんへ倒たおれるところを馬乗うまのりになると、左手ひだりてで首くびを絞しめつけながら、右手みぎての指ゆび二に本ほんをその男おとこの両方りょうほうの瞼まぶたの上うえへ当あてた。

「眼めを突つきやぶるぞ」と栄二えいじは叫さけんだ、「そっちにいる二人ふたりもよく見みろ、じたばたするとこいつの眼めを二ふたつとも突つきやぶるぞ」

栄二えいじに組くみ伏ふせられた男おとこは動うごかなくなった。下腹したはらを蹴けあげられたやつは跼かがんだまま、まだ呻うめいていたし、さぶに掴つかみかかった男おとこは、吃驚びっくりして棒立ぼうだちになった。縞しまの着物きものに角帯かくおびだから、お店者たなものとあまくみたのであろう。それが予想よそう外がいにすばしこく、しかも喧嘩けんか馴なれのした動作どうさなのであっけにとられたらしい。さぶからはなれて棒立ぼうだちになった男おとこは、大おおきく口くちをあいて、意味いみもなく右手みぎてを振ふった。

「おい、よせよあんちゃん、冗談じょうだんだ」とその男おとこは云いった、「おれたちはただ、その、話はなしをつけたかっただけなんだ」

「動うごくなよ」栄二えいじは瞼まぶたの上うえへ当あてた指ゆびに少すこしずつ力ちからを入いれながら云いった、「動うごくとこの指ゆびをこのまま突込つっこむぞ」

「とめてくれ、勝かちあにい」と栄二えいじの下もとで男おとこが悲鳴ひめいをあげた、「おれの眼めが潰つぶされちゃいそうだよ」

「てめえたちなんの用ようだ」と栄二えいじが云いった、「はっきり云いえ、話はなしをつけるたあなんのこった」

「おのぶのことだよ」と棒立ぼうだちになった男おとこが、まだ右手みぎてを振ふりながら、追従ついしょうするような口くちぶりで答こたえた、「すみよしにいるおのぶだ、そう云いえばわかるだろう」

「おのぶがどうした」とさぶは立たちながら反問はんもんした。

「おらあおのぶの兄あにだ」とその男おとこは云いった、「おのぶには去年きょねんから、嫁よめにゆく約束やくそくの相手あいてがあるんだ、それだのにあにいたちが来くるようになってから、急きゅうにあいつがいやだなんて云いい始はじめたんだ」

このあいだに栄二えいじは、すぐ向むこうに棒ぼうきれのあるのをみつけていた。男おとこは話はなし続つづけ、栄二えいじはすばやく、組くみ伏ふせていた男おとこを放はなしてはね起おきると、その棒ぼうきれを地面じめんから拾ひろって、右手みぎてに構かまえた。薪たきぎの荷にからでも落おちたのだろう、太ふとさ二に寸すんあまり、長ながさ三さん尺しゃくばかりの楢ならの枝えだであった。

「どうするんだ」話はなし続つづけていた男おとこは、栄二えいじのようすを見みて、右手みぎてを前まえへ出だしながら吃どもった、「おらもう乱暴らんぼうはしねえよ、話はなしを聞きいてもらってるだけだ、わけを話はなしてるだけじゃねえか」

「続つづけろよ」と栄二えいじが云いった、「断ことわっとくがな、へんなまねをすると一人ひとりは叩たたっ殺ころすぞ、こっちは堅気かたぎな職人しょくにんだ、やくざに売うられた喧嘩けんかで一人ひとりや二人ふたり叩たたっ殺ころしたって罪つみにゃあならねえ、さあ、三さん人にんともそっちへいって並ならべ」

跼かがみこんでいたのと、組くみ伏ふせられた男おとことが立たちあがり、しぶしぶおのぶの兄あにと名なのった男おとこの脇わきへ寄よっていった。

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