「またそれだ、それがおめえのいちばん悪い癖だぜ、さぶ」と栄二が云った、「二人で店をやってゆくのに、どうしておめえが重荷になるんだ、おめえは誰にもひけをとらねえ立派な糊を作る、その糊でおれが仕事をする、おれたち二人の力を合わせてやるのに、重荷もへちまもねえじゃねえか」
さぶは吃った、「おら、思うんだが」
「よせったら」
「それでもおら、思うんだ」とさぶはねばりづよく云った、「おのぶのことだってそうだが、おれがいくじなしなために、栄ちゃんにとんでもねえ迷惑をかけちまった」
「おれが迷惑だなんて云ったか」
「おめえはなんにも云やあしねえ、いつだってなんにも云やあしねえ、けれどもそれだけよけいに、おら自分のいくじなしがやりきれなくなるんだ」と云ってさぶは暗がりの中でさぐるように栄二を見た、「――覚えているかい、栄ちゃん、十五のとしの冬だっけ、おれが店をとびだしたとき、おめえは雨に濡れながら追っかけて来た、横網河岸まで追っかけて来て、おれを伴れ戻してくれたことがあった」
「おめえだって雨に濡れてたぜ」
「おら、あのことは一生忘れねえが、伴れ戻される途中ずっと一つことを考えてた、おら、このままだときっと、栄ちゃんの厄介者になるだろうって、いつも栄ちゃんに面倒をかけて困らせるこったろうってな」
「おれも正直に云おう」と栄二が深く息を吸いこんで、大きく吐きだしてから云った、「――おめえはな、さぶ、おれにとっては厄介者どころか、いつも気持を支えてくれる大事な友達なんだ、正直に云うから怒らねえでくれよ、おめえはみんなからぐずと云われ、ぬけてるなどとも云われながら、辛抱づよく、黙って、石についた苔みてえに、しっかりと自分の仕事にとりついてきた、おらあその姿を見るたびに、心の中で自分に云いきかせたもんだ、――これが本当の職人根性ってもんだ、ってな」
「やい、いいかげんにしろ」と二人のうしろでどなる声がした、「なんの相談か知らねえが、こっちはいいかげん待ちくたびれたぜ、二人とも立ったらどうだ」
栄二とさぶが振り向いた。うしろに三人、暗がりでよくわからないが、やくざめいた男たちが立っていた。さぶは慌てて立ちあがろうとし、栄二がそれを抑えた。
「待てよ」と栄二はしゃがんだままで静かに云った、「いま大事な話をしているところなんだ、用があるならあとにしてくれ」
「そうはいかねえ」と次の男がひどく穏やかな声で云った、「こっちはもう待ちくたびれてしびれをきらしてるんだ、立ちな、若いの」
「栄ちゃん」とさぶが云った。
「構うなよ」と栄二が云った、「それよりもいま、おれの云ったことを」
男の一人が進み出て、さぶの着物の衿を掴んだ。それを待っていたように、栄二が立ちあがって振り返り、うしろにいる男の一人にとびかかった。そして右足の膝で、相手の下腹を烈しく突きあげ、その男がうっと声をあげて跼むのを見向きもせずに、次の男に躰当りをくれ、地面へ倒れるところを馬乗りになると、左手で首を絞めつけながら、右手の指二本をその男の両方の瞼の上へ当てた。
「眼を突きやぶるぞ」と栄二は叫んだ、「そっちにいる二人もよく見ろ、じたばたするとこいつの眼を二つとも突きやぶるぞ」
栄二に組み伏せられた男は動かなくなった。下腹を蹴あげられたやつは跼んだまま、まだ呻いていたし、さぶに掴みかかった男は、吃驚して棒立ちになった。縞の着物に角帯だから、お店者とあまくみたのであろう。それが予想外にすばしこく、しかも喧嘩馴れのした動作なのであっけにとられたらしい。さぶからはなれて棒立ちになった男は、大きく口をあいて、意味もなく右手を振った。
「おい、よせよあんちゃん、冗談だ」とその男は云った、「おれたちはただ、その、話をつけたかっただけなんだ」
「動くなよ」栄二は瞼の上へ当てた指に少しずつ力を入れながら云った、「動くとこの指をこのまま突込むぞ」
「とめてくれ、勝あにい」と栄二の下で男が悲鳴をあげた、「おれの眼が潰されちゃいそうだよ」
「てめえたちなんの用だ」と栄二が云った、「はっきり云え、話をつけるたあなんのこった」
「おのぶのことだよ」と棒立ちになった男が、まだ右手を振りながら、追従するような口ぶりで答えた、「すみよしにいるおのぶだ、そう云えばわかるだろう」
「おのぶがどうした」とさぶは立ちながら反問した。
「おらあおのぶの兄だ」とその男は云った、「おのぶには去年から、嫁にゆく約束の相手があるんだ、それだのにあにいたちが来るようになってから、急にあいつがいやだなんて云い始めたんだ」
このあいだに栄二は、すぐ向うに棒きれのあるのをみつけていた。男は話し続け、栄二はすばやく、組み伏せていた男を放してはね起きると、その棒きれを地面から拾って、右手に構えた。薪の荷からでも落ちたのだろう、太さ二寸あまり、長さ三尺ばかりの楢の枝であった。
「どうするんだ」話し続けていた男は、栄二のようすを見て、右手を前へ出しながら吃った、「おらもう乱暴はしねえよ、話を聞いてもらってるだけだ、わけを話してるだけじゃねえか」
「続けろよ」と栄二が云った、「断わっとくがな、へんなまねをすると一人は叩っ殺すぞ、こっちは堅気な職人だ、やくざに売られた喧嘩で一人や二人叩っ殺したって罪にゃあならねえ、さあ、三人ともそっちへいって並べ」
跼みこんでいたのと、組み伏せられた男とが立ちあがり、しぶしぶおのぶの兄と名のった男の脇へ寄っていった。