「銀の平打の釵」と青木千之助は呟いた、「片方は裏梅の彫りで片方は花菱だった、注文して打たせたものではなく、小間物屋で買った品だろう」
早くとばしている駕籠が揺れるので、あぐらをかいた膝のあいだに抱えている刀の鍔がうるさく顎へ当るため、千之助は無意識に顔を脇へそらした。刀のぐあいを直すほうが簡単なのだが、考えごとに頭をとられていて、そんなことにさえ気づかないようすであった。
「下手人は一人だ」とまた彼は呟いた、「寝床へいっしょに引入れてから、釵で心臓を一と突き、手口は二度とも符節を合わせたように同じだし、おまけに死躰の枕許に赤い山椿の花びらが一枚、――どっちも女だというから、下手人がその女だということに紛れはないだろう」
一人は芸人、一人は町医者、どちらも評判のよくない人間だった、と彼は思った。初めに殺された岸沢蝶太夫には、恨みを持つ人間がいた。彼の兄弟子で仲次郎といい、彼のために腕を折られた。岸沢のたて三味線を横取りするのが目的でやくざ者を使い、仲次郎の利き腕を折ったのだという。そこでいちおう仲次郎をしらべたところ、「おりう」という女の名が出た。住居もなにもわからない、年は十八、九で縹緻がよく、大店の娘のような感じだった。むささびの六助というならず者も伴れて来て、腕を折ったのは蝶太夫に頼まれたからだと云い、深川の門前仲町にある「岡田」という料理茶屋を教えられた。そこで仲次郎は蝶太夫に会い、事実を慥かめてから、相手の腕を折ってやろうと思ったが、おりうという娘に止められて帰った。そのときおりうは、仲次郎に金子五十両を呉れ、なにかしょうばいに取り付くように、と云ったそうである。
「ここがわからない」と千之助は呟いた、「そのあとで蝶太夫をあやめたんだが、どうしてそのまえに仲次郎を呼んだのか、むささびの六とどんな関係があるのか、なんのために五十両という大枚な金を仲次郎に遣ったのか、そのところがまるでわからない」
次の医者のときもそうだ、と彼は思った。
海野得石という医者は、いかがわしい治療をして金を儲け、大川端町で「海石」という料理茶屋を、そして日本橋平松町で「豊島屋」という宿屋を経営していた。いかがわしい治療のことも耳にはいっていたし、兼業を許されない医者が料理茶屋をやり、宿屋のほうでは「日済し貸し」までやっているという事実もわかった。すると、蝶太夫が殺されてから七日めに、浅草みよし町の「ひらの」で、得石もまた若い女に殺された。女はおみのという名で、こんどは貸金の証文を残らず持ち去った。
――これも謎のようだ。
得石が貸金の証文をまとめて持っていったことは、豊島屋の番頭がはっきり認めている。だが「ひらの」にはなにもなかった。死躰の側には、証文を入れたという手提さえもなかった。「瓦版に出たから、借金をしている連中はよろこんだろう」と千之助は呟いた、「――まえには仲次郎に金を恵み、二番めには日済しの借金で困っている者たちを助けた、しかし、二人を殺すのが目的だったことに紛れはない」
それは殺しかたと、椿の花弁を一枚だけ置いたことでわかる。殺すことは初めから計画されたもので、金を与えたり証文を破棄したのはついでの仕事だ。
「紅い一枚の椿の花片」とまた彼は呟いた、「いったいなんの意味だ、そんなに若く、縹緻も人一倍いいという娘が、どういうわけで二人の男を手に掛けたんだ、――椿の花片はなんの意味だ」
駕籠が停り「着きました」という声がした。草履を揃えたのは、迎えに来た上総屋の七造であった。街はもう黄昏が濃く、眼の前にある料理茶屋の門口にも「かね本」という掛け行燈に火がいれてあった。
「女はいるだろうな」
「大丈夫です」と七造が云った、「どうぞ」
「駕籠屋は待たせておけ」
門口をはいると土間で、それが向うまで続いており、右側に部屋が並んでいた。田舎ふうの造りだろう、七造は土間をずっといって、端から一つ手前の障子をあけた。――そこは四帖半の小部屋で、行燈が明るく、手焙りの側に中年増の女が一人坐ってい、千之助を見るとうしろへさがって手を突いた。千之助はあがって、刀を右に置きながら坐った。
「辞儀には及ばない、楽にしろ」と千之助は云った、「おまえ門前仲町の『岡田』の女中だそうだな」
「はい、『岡田』ではつるといってますが、本名ははな、年は二十六でございます」
「手短かに話してくれ」
「このうちに妹が奉公しているもんですから、今日はあたしの休み番なもので、ちょっと用もあって遊びに来たんです、妹はここではお初と云ってますけれど、本名は」
「肝心な話だけ聞こう」
「済みません」おはなはおじぎをした、「今日はこのうちもひまなもんですから、よかったら二人で寄席へでもゆくがいいって、おかみさんが云ってくれたもんですから、それじゃあそうさせて頂こうって、妹が着替えにかかったんです」
「よけいなことはぬきだ」
「よけいなことじゃありません、ここが肝心なところなんです」おはなはむっとしたようにやり返した、「それとも妹が着替えをしちゃあいけないんですか」
千之助はおとなしく兜をぬいだ、「着替えさせよう、続けてくれ」
「済みませんが邪魔をしないで下さいな」とおはなは云った、「口を出されるとあたし頭がこんがらがっちゃうんですから、――どこまで話したんですかしら、ああそう、妹が着替えにかかったところでしたね」
「そうだ」と千之助は辛抱づよく頷いた。
「それであたし女中部屋から出て、お新ちゃんていう人と、――妹の仲良しでやっぱりこのうちの女中なんですけれど、その人と廊下で立ち話をしていたんです、お新ちゃんはあのとおり芝居きちがいですから、――済みませんが口を出さないで下さいまし」
千之助は頷いた。
「今月の中村座の狂言が面白いって、夢中になって話しだしたんです、そのうちに」と云っておはなは声を低くした、「そのうち急にお新ちゃんが、いまうちに沢田屋そっくりのお客が来ているって云いだしたんです、旦那は沢田屋を御存じでしょう」
「知らないな」と千之助が云った。
「あらいやだ」とおはなは片手で彼を打つまねをした、「沢田屋というのは屋号、島村東蔵といって、いま売出しの評判な女形じゃありませんか」