← Library‹ 五瓣の椿 第四話 二

それを聞きいてどきっとした、とおはなは続つづけた。なぜかというと、このあいだ蝶ちょう太夫たゆうが殺ころされたとき、いっしょに来きた女おんな、――つまり蝶ちょう太夫たゆうを殺ころしたと思おもわれる女おんなが、沢田さわだ屋やによく似にていた。身みごなしや口くちぶりの色いろっぽいところなど、沢田さわだ屋やそっくりにみえたからである。

「それであたし慥たしかめてみようと思おもって、お新しんちゃんと相談そうだんのうえお茶ちゃを替かえにいったんです」と云いっておはなは息いきをはずませた、「向むこうじゃあ忘わすれてるでしょう、あたしは側がわへいってようく見みてやりました」

「その女おんなだったのか」

おはなは重おもおもしい眼めつきで千之助せんのすけをみつめ、自分じぶんの証言しょうげんがどんなに重要じゅうような価値かちを持もつかということを示しめすように、極きわめてゆっくりと頷うなずいた。

「髪かみの結ゆいかたも、着物きものや帯おびも変かわっていました」とおはなは囁ささやくように云いった、「けれども躯むくろつきや顔かおだち、声こえまで変かえることはできやしません」

「間違まちがいはないな」

「慥たしかですとも、あのときのおりうという女おんなに間違まちがいはありません、あたしは証人しょうにんになってもようございます」

「よし」千之助せんのすけは頷うなずいて云いった、「ちょっとこのうちの主人しゅじんを呼よんでくれ」

おはなは立たってゆき、すぐに五十ごじゅうばかりの男おとこを伴つれて戻もどった。彼かれはこの「かね本ほん」のあるじで、名なは与助よすけであると云いった。

「おれは八丁堀はっちょうぼりの青木あおき千之助せんのすけという者ものだ」

与助よすけは辞儀じぎをして、「御ご苦労くろうさまでございます」と云いった。

「上総かずさ屋やの七なな造つくりから知しらせがあったのでとんで来きたんだが、あらましのことはそのほうも聞きいているだろう」

「はい、お新しんと二人ふたりから聞ききましたので、すぐ上総かずさ屋やの親分おやぶんへお知しらせにあがりました」

「考かんがえることがあって、この件けんはおれが係かかりを買かって出でた」と千之助せんのすけは云いった、「市し中ちゅうの目明めあかしにはぜんぶ通知つうちしたから、今日きょうまでに三さん度ど、それらしい女おんなをみつけたと云いって来きた、しかし三さん度どともまるで人違ひとちがいだった」

「あたしは人違ひとちがいなんかしやあしません」とおはなが口くちをはさんだ、「あたしはこの眼めでちゃんと」

「少すこし黙だまってくれ」と制せいして、千之助せんのすけはあとを続つづけた、「そういうわけで、人相にんそう風態ふうていだけが頼たよりだから、もしお新しんの云いうことが」

「あたしお新しんちゃんじゃありません、おはなですよ、旦那だんな」

「済すまなかった」千之助せんのすけは忍耐にんたいして云いった、「このおはなの眼めに間違まちがいがなかったにしても、これという動うごかぬ証拠しょうこがない」

「まあ、どうしてですか」おはなが憤然ふんぜんとくってかかった、「あたしという証人しょうにんがちゃんといるのに、ほかに証拠しょうこが要いるんですか」

「黙だまってくれ、頼たのむからもう少すこし黙だまっていてくれ」千之助せんのすけは哀願あいがんするようにおはなを見み、それから与助よすけに向むかって続つづけた、「――つまり、そのほうにはわかるだろうが否応いやおうを云いわせぬ証拠しょうこがなければ、むやみに人ひとをお繩なわにはできない、そうだろう」

「御尤ごもっともでございます」

「そこで頼たのみがある」千之助せんのすけはちょっと声こえをひそめた、「その女おんなを隣となり座敷ざしきで見みたいんだ、あとから伴つれが来くるそうだが、その伴ともなえれとどうするか見みていたい、そのようすによってこっちの出でかたをきめようと思おもう」

「わかりました」と云いって与助よすけはちょっと考かんがえた、「では座敷ざしきを変かえましょう、だが、――いや、こんなことはもうとっくに承知しょうちでございましょうが、変かわった好このみの客きゃくの頼たのみで作つくった拵こしらえですから、どうぞ御ご内聞ないぶんに願ねがいます」

「念ねんには及およばない」千之助せんのすけは苦笑くしょうした、「おれはまだ知しらないが、べつに珍めずらしいことでもないだろう」

「ではちょっとお待まち下ください」

与助よすけは出でていった。

そこでまたおはなが饒舌しゃべり始はじめた。こんどは身みの上うえ話はなしで、別わかれた亭主ていしゅのことや里子さとこにやってある小ちいさい娘むすめのこと、いくら稼かせいでも帯おび一いち本ほん買かうゆとりもない、などというぐち話はなしをしたあと、これがもし本当ほんとうにあの女おんなだとわかったら、お上かみからなにか褒美ほうびでもあるのだろうか、などと云いいだした。

青木あおき千之助せんのすけは不ふ愉快ゆかいそうに、眉まゆをしかめておはなを見みた。こいつ褒賞ほうしょうがめあてで訴人そにんしたのか、と思おもったのであるが、そうだとするとその女おんなは怪あやしい。蝶ちょう太夫たゆうを殺ころした女おんなだ、ということはうっかり信しんじられないぞ、と千之助せんのすけは思おもった。

「もし本当ほんとうにこれが下手げしゅ人にんだったら、幾いくらか御ご褒美ほうびがさがるかもしれない」と彼かれはおはなに答こたえた、「けれども、もしまったくの人違ひとちがいで、そんな疑うたがいをかけられるような女おんなでないとすると、お上かみに手数てすうをかけ、罪つみのない人間にんげんに迷惑めいわくをかけたことで、きびしいお咎とがめがあるかもしれないぞ」

おはなの口くちがあき、黄色きいろくて大おおきな前歯まえばがあらわれた、「そんな、――」と彼女かのじょは吃どもった、「だってそんな、あたしはただお上かみのお役やくに立たつつもりで、せっかくの休やすみに寄席よせへゆくのもやめて、こうやってなにしてるんですのに」

「その女おんなが下手げしゅ人にんなら、御ご褒美ほうびのさがるようにしてやるよ」

おはなは唇くちびるを舐なめて、「でももしかして」と云いいかけたが、そこへ与助よすけが戻もどって来きた。

「支度したくができました」と与助よすけが云いった、「私わたくしが御ご案内あんないいたします」

「おまえも来きてくれ」と千之助せんのすけがおはなに云いった。

伴つれてゆかれたのは離はなれだった。

こっちも田舎いなかふうの造つくりらしいが、二人ふたりのはいった部屋へやは納戸なんどのような六ろく帖じょうで、床とこの間まと違ちがい棚だなはあるが窓まどはない。灯あかりのはいった行燈あんどんと、燗鍋かんなべのかかった火鉢ひばちの側がわに酒肴しゅこうの膳ぜん、そして角樽つのだるが置おいてあった。一方いっぽうの壁かべには、坐すわっていて眼めの高たかさに小ちいさな窓まどのような枠わくがあり、縦たて三さん寸すん横よこ一いち尺しゃくほどの滑すべり戸どが付ついていた。

「ちょっとごらん下ください」あるじは千之助せんのすけを呼よんだ、「この戸とをあけると隣となりが見みえます、いいえ向むこうはまだ来きてはおりません」

千之助せんのすけは戸とをあけた。桐きりで作つくってあるし、みぞには蝋ろうをひいたらしく、その戸とは軽かるく、そして音おともなくあいた。戸とのうしろは紫檀したんの板いたが嵌はめてあり、その中央ちゅうおうに小ちいさな、横よこに細ほそい穴あなが二ふたつあいていて、覗のぞいてみると隣となり座敷ざしきがかなりよく見みえた。千之助せんのすけはその穴あなをしらべ、そこに黒くろい紗しゃの張はってあるのを認みとめた。

「隣となりの壁かべはそこが貼はり絵えになっていまして」と与助よすけが説明せつめいした、「こちらの明あかりを強つよくしない限かぎり、向むこうに気きづかれる心配しんぱいは決けっしてございません」

罪つみな仕掛しかけをするものだ、千之助せんのすけはそう思おもったが、口くちに出だしてはなにも云いわなかった。

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