香屋清一は酔っていた。
「初めて会ったのは根岸の古梅庵だ」と彼は話していた、「あれは二月下旬だったかな、古梅庵は六月につぶれてしまったが、精進料理が看板で、長いこと繁昌したものさ」
「それより出会いをするのに便利なうちなんでしょ」と年増芸妓の一人が云った、「若旦那が精進料理なんか喰べにいらっしゃる筈はないわ、ねええ」
五人いる芸妓たちが「そうよそうよ」と声をあげ、幇間の米八が二丁の柝を入れた。とざいとうーざい、夜どおし狂言で腰を折るのは御勝手なれど、いま業平の香屋の若旦那が、ざんげ話の腰を折ることはまかりならぬ、いずれも静かにお控えあれ、などと黄色いような声で叫んだ。
「米八を伴れていたんだ」と清一は続けた、「じつは小稲の云うとおり、古梅庵にはべつ棟のはなれが三つあって、人めを忍ぶ出会いには都合よくできているんだ」
「そら白状した」と小稲と呼ばれる芸妓が云った、「きっとなかの梅次姐さんよ」
「やかましい、私は仲人役だ」と清一が遮った、「濡衣はつまらないから云っちまうが、本当はこの米八にいいのができて」
「ちょちょ、ちょっとお待ち」米八は片手でなにかを押えるような動作をした、「ものには云っていいことと悪いことがありやす、そういうあなた、男と男が血を啜りあって誓った秘密を、取るにも足らぬ女わらべの前で披露するということはござんすまい」
「ひと聞きの悪いことを云うな、私が米八なんぞと血を啜りあうか」と清一が云った、「こいつに惚れるとはよっぽどの悪食らしい、ともかくどこかで逢曳きということになったが、師匠がかりの身で自由がきかない、どうか若旦那のおなさけでと、――こいつが両手を合わせて泣くという始末さ」
「米八さんのことなんかようござんすよ」と年増芸妓の一人が云った、「そのお嬢さんと馴れそめの幕をあけて下さいな、ねえ」
そうよそうよと他の芸妓たちが云った。
「では柝を入れて」と清一は云って、一と口飲んだ、「こいつとその婦人をしけこませてから、私は女中を相手に飲んでいた、するとおかみがあらわれて、あちらのお客さまが一と口差上げたいと仰しゃっていますが、と云うんだ、知らない客とはいやだと云うと、おきれいなお嬢さまだけれど、それなら断わりましょうかと云う」
「そこで眼の色が変った」と小幾が云った。
六人いる芸妓たちの中で、小幾はいちばん光ってみえた。年は二十一か二であろう、縹緻も芸も他の妓たちとさして違いはないがそれでなお一人だけ光っているようにみえた。
「お嬢さまというのが気になった」
清一はちょっと小幾を見たが、聞きながして話を続けた。
「そこで聞いてみると、相手は大商人の娘らしい、小間使を一人伴れただけで飯を喰べに来たが、庭でおれの姿を見かけた、ちょっとわけがあってぜひおめにかかりたい、というんだ」彼は菊弥という芸妓に酌をさせて、一と口飲んだ、「どんなわけで会いたいのか、と訊いてみると、おかみはなにも知らない、おめにかかったら申上げるそうだ、と云う、これは知っている娘だなと私は思った」
「そこで、――」と彼はまた飲んだ、「おかみに案内されていってみると、酒を付けた二人前の膳があり、その一方の膳の上に紅梅の枝がのせてあるだけで、娘はいなかった」
「あの辺にも」と小幾が云った、「気のきいた鼬がいるんですね」
清一は飲んだ酒が喉につかえでもしたように、ぐっといいながら、ちょっと口をつぐんだ。
「その人」と菊弥が云った、「急に恥ずかしくなったんですね」
「そうらしい」と清一が続けた、「おかみや女中が捜してみると、ついいましがた帰ったという、そのとき、膳の上にある紅梅の枝に気がついた、その枝になにか結びつけてある、取ってみると置き手紙で、――ここでおめにかかるのは恥ずかしくなった、近いうちにお宅のほうへ知らせるから、そのときはどうぞ会いに来てくれ、という文面さ」
「憎いことをなさるじゃないの」いちばん年嵩のおまさという芸妓が云った、「へええ、いまどきそんな乙なことをなさるお嬢さんがいらっしゃるんですかねえ」
「さしずめ五条橋てえところですな」と米八が云った。
「なにが五条橋だ」
「走りかかってちょうと切れば」と米八は謡がかりに身振りをした、「そむけて右に飛びちがう、取り直して裾を薙ぎはらえば」
「洒落にもならねえ」と清一が遮った、「こっちの相手は帰っちまったんだ」
「ははあ、牛若は鞍馬へ御帰館ですか」
「黙って聞け」と清一が云った、「――私も憎いことをすると思った、こっちを呼んでおきながら、紅梅の枝へ置き手紙を残してさっと帰る、いかにもすっきりとして、しかも人の気をそそるやりかたじゃあないか」
「古い手だわ」と小幾が云った、「人情本を読めばそんな手はいくらでも出て来ますよ」
清一は持っていた盃の酒を、いきなり小幾の顔へあびせかけた。
「あっ」と菊弥が清一の手を掴んだ、「いけませんよ若旦那、どうなすったんです」
「いちいちちゃちゃ入れやがる」と清一は云った、「眼障りだ、帰れ」
米八はじめ他の芸妓たちがとめにかかった。小幾は顔や衿を拭きながら、「いいえとめないで下さい」と、ぎらぎらするような眼で清一を睨んだ。
「あたしはこれで帰らせてもらいます」と小幾は云った、「その代りみなさんの前で、一とこと云いたいことがあります」
「うるせえ、帰れと云ったら帰れ」
「云われるのが怖いんですか」
「小幾ちゃん」とおまさが云った。
「放っといて下さい」と小幾は坐り直して、清一の眼をきつく睨んだ、「香屋さんの若旦那、あたしの云うことが怖いんですか、小若姐さんのことを云われるのが怖いんでしょ」
「云ってみろ」と清一は菊弥に酌をさせながら云った、「おれのほうこそあいつには手を噛まれたんだ、男だからおれは黙ってるが、もしあいつに文句があるんなら云ってみろ」
「男だから黙ってるんですって、へえ、若旦那はそれで男のつもりなんですか」小幾はせせら笑いをした、「弱い女をさんざんおもちゃにして、子供ができたと聞いたらそれっきり、おれはそんなものは知らない、ちゃんと枕代はやってある、枕芸妓の孕んだ子が誰の子かわかるもんかって、――姐さんは若旦那ひとりを守って来ました、あたしは側にいて始めからのことを知っています」