← Library‹ 五瓣の椿 第四話 七

香屋かや清一せいいちは酔よっていた。

「初はじめて会あったのは根岸ねぎしの古こ梅ばい庵あんだ」と彼かれは話はなしていた、「あれは二に月がつ下旬げじゅんだったかな、古こ梅ばい庵あんは六ろく月がつにつぶれてしまったが、精進しょうじん料理りょうりが看板かんばんで、長ながいこと繁昌はんじょうしたものさ」

「それより出会であいをするのに便利べんりなうちなんでしょ」と年増としま芸妓げいぎの一人ひとりが云いった、「若わか旦那だんなが精進しょうじん料理りょうりなんか喰たべにいらっしゃる筈はずはないわ、ねええ」

五ご人にんいる芸妓げいぎたちが「そうよそうよ」と声こえをあげ、幇間ほうかんの米べい八はちが二に丁ちょうの柝きを入いれた。とざいとうーざい、夜よどおし狂言きょうげんで腰こしを折おるのは御お勝手かってなれど、いま業平なりひらの香屋かやの若わか旦那だんなが、ざんげ話はなしの腰こしを折おることはまかりならぬ、いずれも静しずかにお控ひかえあれ、などと黄色きいろいような声こえで叫さけんだ。

「米べい八はちを伴つれていたんだ」と清一せいいちは続つづけた、「じつは小稲こいねの云いうとおり、古こ梅ばい庵あんにはべつ棟むねのはなれが三みつあって、人ひとめを忍しのぶ出会であいには都合つごうよくできているんだ」

「そら白状はくじょうした」と小稲こいねと呼よばれる芸妓げいぎが云いった、「きっとなかの梅次うめじ姐ねえさんよ」

「やかましい、私わたくしは仲人なこうど役やくだ」と清一せいいちが遮さえぎった、「濡衣ぬれぎぬはつまらないから云いっちまうが、本当ほんとうはこの米べい八はちにいいのができて」

「ちょちょ、ちょっとお待まち」米べい八はちは片手かたてでなにかを押おさえるような動作どうさをした、「ものには云いっていいことと悪わるいことがありやす、そういうあなた、男おとこと男おとこが血ちを啜すすりあって誓ちかった秘密ひみつを、取とるにも足たらぬ女おんなわらべの前まえで披露ひろうするということはござんすまい」

「ひと聞ききの悪わるいことを云いうな、私わたくしが米べい八はちなんぞと血ちを啜すすりあうか」と清一せいいちが云いった、「こいつに惚ほれるとはよっぽどの悪食あくじきらしい、ともかくどこかで逢曳あいびきということになったが、師匠ししょうがかりの身みで自由じゆうがきかない、どうか若わか旦那だんなのおなさけでと、――こいつが両手りょうてを合あわせて泣なくという始末しまつさ」

「米べい八はちさんのことなんかようござんすよ」と年増としま芸妓げいぎの一人ひとりが云いった、「そのお嬢じょうさんと馴なれそめの幕まくをあけて下くださいな、ねえ」

そうよそうよと他ほかの芸妓げいぎたちが云いった。

「では柝きを入いれて」と清一せいいちは云いって、一いちと口くち飲のんだ、「こいつとその婦人ふじんをしけこませてから、私わたくしは女中じょちゅうを相手あいてに飲のんでいた、するとおかみがあらわれて、あちらのお客きゃくさまが一いちと口くち差上さしあげたいと仰おっしゃっていますが、と云いうんだ、知しらない客きゃくとはいやだと云いうと、おきれいなお嬢じょうさまだけれど、それなら断ことわりましょうかと云いう」

「そこで眼めの色いろが変かわった」と小こ幾いくが云いった。

六ろく人にんいる芸妓げいぎたちの中なかで、小しょう幾いくはいちばん光ひかってみえた。年としは二十にじゅう一いちか二にであろう、縹緻きりょうも芸げいも他たの妓ぎたちとさして違ちがいはないがそれでなお一人ひとりだけ光ひかっているようにみえた。

「お嬢じょうさまというのが気きになった」

清一せいいちはちょっと小こ幾いくを見みたが、聞ききながして話はなしを続つづけた。

「そこで聞きいてみると、相手あいては大だい商人しょうにんの娘むすめらしい、小間こま使しを一人ひとり伴つれただけで飯めしを喰たべに来きたが、庭にわでおれの姿すがたを見みかけた、ちょっとわけがあってぜひおめにかかりたい、というんだ」彼かれは菊弥きくやという芸妓げいぎに酌しゃくをさせて、一いちと口くち飲のんだ、「どんなわけで会あいたいのか、と訊きいてみると、おかみはなにも知しらない、おめにかかったら申上もうしあげるそうだ、と云いう、これは知しっている娘むすめだなと私わたくしは思おもった」

「そこで、――」と彼かれはまた飲のんだ、「おかみに案内あんないされていってみると、酒さけを付つけた二人ふたり前まえの膳ぜんがあり、その一方いっぽうの膳ぜんの上うえに紅梅こうばいの枝えだがのせてあるだけで、娘むすめはいなかった」

「あの辺へんにも」と小こ幾いくが云いった、「気きのきいた鼬いたちがいるんですね」

清一せいいちは飲のんだ酒さけが喉のどにつかえでもしたように、ぐっといいながら、ちょっと口くちをつぐんだ。

「その人ひと」と菊弥きくやが云いった、「急きゅうに恥はずかしくなったんですね」

「そうらしい」と清一せいいちが続つづけた、「おかみや女中じょちゅうが捜さがしてみると、ついいましがた帰かえったという、そのとき、膳ぜんの上うえにある紅梅こうばいの枝えだに気きがついた、その枝えだになにか結むすびつけてある、取とってみると置おき手紙てがみで、――ここでおめにかかるのは恥はずかしくなった、近ちかいうちにお宅たくのほうへ知しらせるから、そのときはどうぞ会あいに来きてくれ、という文面ぶんめんさ」

「憎にくいことをなさるじゃないの」いちばん年嵩としかさのおまさという芸妓げいぎが云いった、「へええ、いまどきそんな乙おつなことをなさるお嬢じょうさんがいらっしゃるんですかねえ」

「さしずめ五条ごじょう橋はしてえところですな」と米べい八はちが云いった。

「なにが五条ごじょう橋はしだ」

「走はしりかかってちょうと切きれば」と米べい八はちは謡うたいがかりに身振みぶりをした、「そむけて右みぎに飛とびちがう、取とり直なおして裾すそを薙なぎはらえば」

「洒落しゃれにもならねえ」と清一せいいちが遮さえぎった、「こっちの相手あいては帰かえっちまったんだ」

「ははあ、牛若うしわかは鞍馬くらまへ御ご帰館きかんですか」

「黙だまって聞きけ」と清一せいいちが云いった、「――私わたくしも憎にくいことをすると思おもった、こっちを呼よんでおきながら、紅梅こうばいの枝えだへ置おき手紙てがみを残のこしてさっと帰かえる、いかにもすっきりとして、しかも人ひとの気きをそそるやりかたじゃあないか」

「古ふるい手てだわ」と小こ幾いくが云いった、「人情にんじょう本ほんを読よめばそんな手てはいくらでも出でて来きますよ」

清一せいいちは持もっていた盃さかずきの酒さけを、いきなり小こ幾いくの顔かおへあびせかけた。

「あっ」と菊弥きくやが清しん一いちの手てを掴つかんだ、「いけませんよ若わか旦那だんな、どうなすったんです」

「いちいちちゃちゃ入いれやがる」と清一せいいちは云いった、「眼障めざわりだ、帰かえれ」

米べい八はちはじめ他ほかの芸妓げいぎたちがとめにかかった。小しょう幾いくは顔かおや衿えりを拭ふきながら、「いいえとめないで下ください」と、ぎらぎらするような眼めで清一せいいちを睨にらんだ。

「あたしはこれで帰かえらせてもらいます」と小こ幾いくは云いった、「その代かわりみなさんの前まえで、一いちとこと云いいたいことがあります」

「うるせえ、帰かえれと云いったら帰かえれ」

「云いわれるのが怖こわいんですか」

「小こ幾いくちゃん」とおまさが云いった。

「放ほっといて下ください」と小こ幾いくは坐すわり直なおして、清一せいいちの眼めをきつく睨にらんだ、「香屋かやさんの若わか旦那だんな、あたしの云いうことが怖こわいんですか、小若こわか姐ねえさんのことを云いわれるのが怖こわいんでしょ」

「云いってみろ」と清一せいいちは菊弥きくやに酌しゃくをさせながら云いった、「おれのほうこそあいつには手てを噛かまれたんだ、男おとこだからおれは黙だまってるが、もしあいつに文句もんくがあるんなら云いってみろ」

「男おとこだから黙だまってるんですって、へえ、若わか旦那だんなはそれで男おとこのつもりなんですか」小しょう幾いくはせせら笑わらいをした、「弱よわい女おんなをさんざんおもちゃにして、子供こどもができたと聞きいたらそれっきり、おれはそんなものは知しらない、ちゃんと枕まくら代だいはやってある、枕まくら芸妓げいぎの孕はらんだ子こが誰だれの子こかわかるもんかって、――姐ねえさんは若わか旦那だんなひとりを守まもって来きました、あたしは側がわにいて始はじめからのことを知しっています」

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