← Library‹ 五瓣の椿 第四話 八

「米べい八はち」と清一せいいちが喚わめいた、「なにをぼんやり見みているんだ、この気違きちがいを追おい出ださないか」

米べい八はちが立たち、おまさが立たち、左右さゆうから小こ幾いくを伴つれ出だそうとした。

「聞きいていられないのね」と、小しょう幾いくは身みもがきをしながら叫さけんだ、「小若こわか姐ねえさんは若わか旦那だんなひとりを守まもって来きたし、お金かねまで貢みついでたじゃありませんか、そのために八方はっぽうへ不ふ義理ぎりができて、吉原なかへでも身みを売うるほかはないような始末しまつになってるわ、それを枕まくら芸妓げいぎだなんて、――姐ねえさんは死しんでしまってよ」

米べい八はちとおまさが、むりやり小こ幾いくを伴つれ去さったが、姐ねえさんは死しんでしまう、と云いった言葉ことばは、まるで形かたちになって残のこったかのように、はっきりと、悲痛ひつうな余韻よいんをその座敷ざしきに残のこした。

「なにか陽気ようきなものでも弾ひきましょうか」と云いって松次まつじという若わかい芸妓げいぎが三味しゃみ線せんを持もった、「さ、若わか旦那だんななんになさいます」

「話はなしが途中とちゅうだ、あとを聞きかなくってもいいのか」

「うかがいますとも」菊弥きくやが気きのない調子ちょうしで熱心ねっしんそうに云いった、「そういう話はなしを途中とちゅうでやめるなんて罪つみよ、ねえ」

「そうですとも、ぜひうかがいたいわ」と吉奴きちやっこが云いった。

松次まつじが三味しゃみ線せんを置おき、おまさと米べい八はちが戻もどって来き、そこへ女中じょちゅうが酒さけと肴さかなを持もって来きた。

清一せいいちは飲のみながら話はなし続つづけた。聞きいている六ろく人にんは明あきらかに興きょうざめたようすで、酌しゃくをしたり肴さかなを取とり分わけたりする手てつきも、うわのそらのようにみえた。清一せいいちはいまの騒さわぎでしらけた気分きぶんを、自分じぶんからほぐすつもりで話はなしを続つづけたのであるが、「小若こわかは死しぬだろう」という叫さけびも、彼かれにはそれほど気きにならなかったものか、まもなくすっかり調子ちょうしづいて、その話はなしぶりもますます熱ねつを帯おびるばかりだった。

「その娘むすめはお倫りんといって、年としは十じゅう七ななか八はちだろう」と彼かれは上唇うわくちびるを舐なめた、「いかにも箱入はこいり娘むすめらしくて、縹緻きりょうもいいが、躯からだつきや身みごなし、ものの云いいようにこぼれるような、色気いろけと、おっとりと匂におうような品しながあった」

清一せいいちは浅草あさくさ瓦町かわらまちの横町よこちょうに自分じぶんの家いえを持もち、ばあやと二人ふたりでくらしていた。

道楽どうらくが過すぎて七なな年ねんまえに勘当かんどうされ、香屋かやへは出入でいりも止とめられていたが、母親ははおやから呉くれる毎月まいつきの生活せいかつ費ひは余あまるくらいあった。年としはもう三十さんじゅう五ごになるが、肉躰にくたい的てきな快楽かいらく以外いがいにはなんの関心かんしんもなく、精神せいしん的てきには十じゅう五、六ごろく歳さいのまま成長せいちょうが停とまっているようだ。男おとこぶりはいいほうだし、「香屋かや」は札差ふださしなかまでも指折ゆびおりの資産しさん家かだから、女おんなたちや取巻とりまきに不ふ自由じゆうはなかった。

――私わたくしは一人ひとりっ子こだ。

彼かれはいつもそういっていた。

――勘当かんどうになっていたって、おやじが死しねば香屋かやの主人しゅじんは私わたくしだ。

そんな気持きもちだから、身持みもちを直なおそうなどと思おもったことはない。勝手かってなことの仕す放題ほうだいで、困こまると母親ははおやにしりぬぐいをしてもらった。自分じぶんの家いえにいたころは外そとで遊あそぶだけではなく、女中じょちゅうでも下女げじょでも、触ふれる者ものに手てを付つけた。近所きんじょの鳶とびの女房にょうぼうと不ふ始末しまつをしたのが勘当かんどうされた原因げんいんであるが、その癖くせはいまも直なおらず、遊女ゆうじょや芸妓げいぎたちをべつにして、料理りょうり茶屋ちゃやのおかみから、ちょっと眼めにつく女中じょちゅうなどに、隙すきをみてはちょっかいを出だすというふうであった。

放蕩者ほうとうものでも金かねばなれがいいとはきまらないだろうが、彼かれは徹底てっていした自己じこ中心ちゅうしんで、自分じぶんの快楽かいらくに対たいしてしか決けっして金きんは使つかわないし、使つかいぶりも吝嗇りんしょくに近ちかいほどしみったれていた。それでも女おんなや取巻とりまきたちがはなれないのは、母親ははおやから仕送しおくりがあるのと、「香屋かや」の名なにひかされてのことだろう。しかしいま、それも怪あやしくなっていた。母親ははおやから来くる金かねは、秋あきにはいって半減はんげんされたし、父親ちちおやの忠兵衛ちゅうべえは彼かれに見切みきりをつけて、親類しんるいから養子ようしを取とることにした、ということを母親ははおやが知しらせて来きた。

――養子ようしの話はなしは威おどしだ。

彼かれはそう思おもったけれども、噂うわさはたちまち弘ひろまって、ちかごろでは馴染なじみの茶屋ちゃやなども、勘定かんじょうが少すこし溜たまるといい顔かおをしなくなった。こういうときにお倫りんがあらわれたのである。どうして彼女かのじょが自分じぶんにうちこんで来きたか、彼かれには見当けんとうもつかなかったが、古こ梅ばい庵あんで置おき手紙てがみを受取うけとってから五いつ日かめに、瓦町かわらまちの家いえへ使つかいの者ものが手紙てがみを届とどけに来きた。

――どうしてこの家いえを知しったろう。

誰だれかに聞きいたのか、それともまえから知しっていたのか。お倫りんに逢あうとすぐに慥たしかめてみたが、彼女かのじょは微笑びしょうするばかりでなにも云いわなかった。

「どう思おもう、米べい八はち」

と彼かれは酔よってぐらぐらする躯むくろをまっすぐにしながら云いった、「――春はるから逢あいだして、もう冬ふゆだ、そのあいだ月つきに三さん度どか四よんたびは逢あっている、が、どこでおれをみそめたか、どうして瓦町かわらまちの家いえを知しっているか、どうしても云いわないんだ」

逢あうときは日ひと時刻じこくと場所ばしょを、お倫りんのほうから知しらせて来くる。逢あっているうちは極きわめて嬌かしく、いまにも肌はだをゆるしそうにみせながら、もう一いち歩ほというところで巧たくみに躱かわされてしまう。しかも、たび重かさなるにつれてその態度たいどは嬌かしさを増まし、十じゅう一いち月がつになって逢あったときは、夫婦ふうふになってくれるなら、と云いいだした。

「今日きょうまで本気ほんきかどうかためして来きた、と云いうんだ」清一せいいちは酒さけを呷あおった、「――浮気うわきならいやだけれど、ちゃんと夫婦ふうふになってくれるなら、……米べい八はち、おまさばばあもここのところを聞きいてくれ、いいか、夫婦ふうふになってくれるのなら、千せん両箱りょうはこを二ふたつ持もってゆこう、って云いうんだ、千せん両箱りょうはこ二ふたつだぜ」

「なんですかそれっぱっち」と米べい八はちが云いった、「仮かりにも香屋かやの若わか旦那だんなが、二千にせん両りょうばかりのはした金がねに声こえを高たかくすることはないでしょう」

「あたりきよ、金かねなんぞじゃあねえ、こころ意気いきだ、二千にせん両りょうは鼻び紙代しだいにもならねえが、それを持もって来こようというこころ意気いきがうれしいじゃねえか、そうだろうばばあ」

「それはようござんすけれど」とおまさが訝いぶかしそうに云いった、「いったいそれはどういうところのお嬢じょうさんなんですか」

「それがてんでわからなかった」と云いって、彼かれは左手ひだりての盃さかずきを口くちへ持もってゆきながら、右手みぎてをいそいで振ふった、「いや、いまはわかっている、一昨いっさく日にちへんな間違まちがいがあって、そのとき実家じっかのことも住居じゅうきょのこともわかった、歴れっきとした大だい商人しょうにんの娘むすめで、本郷ほんごうのほうに小間こま使しと二人ふたり別居べっきょしているんだ」

「これはまた」と米べい八はちが云いった、「よもや勘当かんどうなんてえことじゃあないでしょうな」

「よけいな頭痛ずつうを病やむな、――とにかく、一昨いっさく日ひの晩ばんおれは、本郷ほんごうのその家いえへいっしょにいったんだ」

そのとき女中じょちゅうが、結むすび文ぶみを持もって、いそぎ足あしにはいって来き、「いまお使つかいの人ひとがこれを」と云いいながら、清一せいいちに渡わたした。

「おっ」と彼かれは浮うき腰ごしになった、「来きたな、お召めし状じょうだぞ」

彼かれはふるえる指ゆびで文ぶんを解といた。

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