「米八」と清一が喚いた、「なにをぼんやり見ているんだ、この気違いを追い出さないか」
米八が立ち、おまさが立ち、左右から小幾を伴れ出そうとした。
「聞いていられないのね」と、小幾は身もがきをしながら叫んだ、「小若姐さんは若旦那ひとりを守って来たし、お金まで貢いでたじゃありませんか、そのために八方へ不義理ができて、吉原へでも身を売るほかはないような始末になってるわ、それを枕芸妓だなんて、――姐さんは死んでしまってよ」
米八とおまさが、むりやり小幾を伴れ去ったが、姐さんは死んでしまう、と云った言葉は、まるで形になって残ったかのように、はっきりと、悲痛な余韻をその座敷に残した。
「なにか陽気なものでも弾きましょうか」と云って松次という若い芸妓が三味線を持った、「さ、若旦那なんになさいます」
「話が途中だ、あとを聞かなくってもいいのか」
「うかがいますとも」菊弥が気のない調子で熱心そうに云った、「そういう話を途中でやめるなんて罪よ、ねえ」
「そうですとも、ぜひうかがいたいわ」と吉奴が云った。
松次が三味線を置き、おまさと米八が戻って来、そこへ女中が酒と肴を持って来た。
清一は飲みながら話し続けた。聞いている六人は明らかに興ざめたようすで、酌をしたり肴を取り分けたりする手つきも、うわのそらのようにみえた。清一はいまの騒ぎでしらけた気分を、自分からほぐすつもりで話を続けたのであるが、「小若は死ぬだろう」という叫びも、彼にはそれほど気にならなかったものか、まもなくすっかり調子づいて、その話しぶりもますます熱を帯びるばかりだった。
「その娘はお倫といって、年は十七か八だろう」と彼は上唇を舐めた、「いかにも箱入り娘らしくて、縹緻もいいが、躯つきや身ごなし、ものの云いようにこぼれるような、色気と、おっとりと匂うような品があった」
清一は浅草瓦町の横町に自分の家を持ち、ばあやと二人でくらしていた。
道楽が過ぎて七年まえに勘当され、香屋へは出入りも止められていたが、母親から呉れる毎月の生活費は余るくらいあった。年はもう三十五になるが、肉躰的な快楽以外にはなんの関心もなく、精神的には十五、六歳のまま成長が停っているようだ。男ぶりはいいほうだし、「香屋」は札差なかまでも指折りの資産家だから、女たちや取巻きに不自由はなかった。
――私は一人っ子だ。
彼はいつもそういっていた。
――勘当になっていたって、おやじが死ねば香屋の主人は私だ。
そんな気持だから、身持を直そうなどと思ったことはない。勝手なことの仕放題で、困ると母親にしりぬぐいをしてもらった。自分の家にいたころは外で遊ぶだけではなく、女中でも下女でも、触れる者に手を付けた。近所の鳶の女房と不始末をしたのが勘当された原因であるが、その癖はいまも直らず、遊女や芸妓たちをべつにして、料理茶屋のおかみから、ちょっと眼につく女中などに、隙をみてはちょっかいを出すというふうであった。
放蕩者でも金ばなれがいいとはきまらないだろうが、彼は徹底した自己中心で、自分の快楽に対してしか決して金は使わないし、使いぶりも吝嗇に近いほどしみったれていた。それでも女や取巻きたちがはなれないのは、母親から仕送りがあるのと、「香屋」の名にひかされてのことだろう。しかしいま、それも怪しくなっていた。母親から来る金は、秋にはいって半減されたし、父親の忠兵衛は彼に見切りをつけて、親類から養子を取ることにした、ということを母親が知らせて来た。
――養子の話は威しだ。
彼はそう思ったけれども、噂はたちまち弘まって、ちかごろでは馴染の茶屋なども、勘定が少し溜るといい顔をしなくなった。こういうときにお倫があらわれたのである。どうして彼女が自分にうちこんで来たか、彼には見当もつかなかったが、古梅庵で置き手紙を受取ってから五日めに、瓦町の家へ使いの者が手紙を届けに来た。
――どうしてこの家を知ったろう。
誰かに聞いたのか、それともまえから知っていたのか。お倫に逢うとすぐに慥かめてみたが、彼女は微笑するばかりでなにも云わなかった。
「どう思う、米八」
と彼は酔ってぐらぐらする躯をまっすぐにしながら云った、「――春から逢いだして、もう冬だ、そのあいだ月に三度か四たびは逢っている、が、どこでおれをみそめたか、どうして瓦町の家を知っているか、どうしても云わないんだ」
逢うときは日と時刻と場所を、お倫のほうから知らせて来る。逢っているうちは極めて嬌かしく、いまにも肌をゆるしそうにみせながら、もう一歩というところで巧みに躱されてしまう。しかも、たび重なるにつれてその態度は嬌かしさを増し、十一月になって逢ったときは、夫婦になってくれるなら、と云いだした。
「今日まで本気かどうかためして来た、と云うんだ」清一は酒を呷った、「――浮気ならいやだけれど、ちゃんと夫婦になってくれるなら、……米八、おまさばばあもここのところを聞いてくれ、いいか、夫婦になってくれるのなら、千両箱を二つ持ってゆこう、って云うんだ、千両箱二つだぜ」
「なんですかそれっぱっち」と米八が云った、「仮にも香屋の若旦那が、二千両ばかりのはした金に声を高くすることはないでしょう」
「あたりきよ、金なんぞじゃあねえ、こころ意気だ、二千両は鼻紙代にもならねえが、それを持って来ようというこころ意気がうれしいじゃねえか、そうだろうばばあ」
「それはようござんすけれど」とおまさが訝しそうに云った、「いったいそれはどういうところのお嬢さんなんですか」
「それがてんでわからなかった」と云って、彼は左手の盃を口へ持ってゆきながら、右手をいそいで振った、「いや、いまはわかっている、一昨日へんな間違いがあって、そのとき実家のことも住居のこともわかった、歴とした大商人の娘で、本郷のほうに小間使と二人別居しているんだ」
「これはまた」と米八が云った、「よもや勘当なんてえことじゃあないでしょうな」
「よけいな頭痛を病むな、――とにかく、一昨日の晩おれは、本郷のその家へいっしょにいったんだ」
そのとき女中が、結び文を持って、いそぎ足にはいって来、「いまお使いの人がこれを」と云いながら、清一に渡した。
「おっ」と彼は浮き腰になった、「来たな、お召し状だぞ」
彼はふるえる指で文を解いた。