← Library‹ 五瓣の椿 第四話 十

八丁堀はっちょうぼりの組屋敷くみやしきへ帰かえる途中とちゅう、青木あおき千之助せんのすけはしきりに、後手ごてを取とった自分じぶんのふがいなさを責せめた。

一昨いっさく日ひの晩ばん、――彼かれは二人ふたりのあとを跟つけたのである。七なな造つくりでもよかったが、大事だいじをとって自分じぶんで跟つけていった。そして湯島ゆしま横町よこちょうの家いえへ、二人ふたりがはいるのを慥たしかめてから、近所きんじょの者ものにお倫りんのことを訊きいた。

――温和おとなしくって、きれいで、お人柄ひとがらないい娘むすめさんですよ。

三さん軒けんで訊きいたが、三さん軒けんとも同おなじように褒ほめていた。実家じっかは下町したまちで大おおきい商家しょうからしい、茶ちゃの師匠ししょうの看板かんばんを出だしているが弟子でしは取とらない。躯むくろが弱よわくて保養ほようでもしているのか、小間こま使しと二人ふたりぐらしで、訪たずねて来くる客きゃくもなし、まして浮ういたような噂うわさもない。というように、お倫りんの云いったこととみな口くちが合あっていた。

――では的まとが外はずれたか。

そう思おもってそのまま帰かえった。

昨日きのうは奉行ぶぎょう所しょへ出頭しゅっとうした。吟味ぎんみにかける盗賊とうぞくがあり、係かかりの与力よりきと打合うちあわせをするためで、そのあと夕方ゆうがたまで役所やくしょで事務じむをとった。そうして今日きょう、北町きたまち奉行ぶぎょう所しょに用ようがあってでかけたが、帰かえりにふと思おもいだしたので、念ねんのために石町こくちょうへまわってみた。

伊勢屋いせやという紙かみ問屋とんやはあった。あるじの名なは喜兵衛きへえ、妻女さいじょは二に年ねんまえに亡なくなっていたし、十じゅう七ななになる息子むすこは政吉まさきちという。そこまでは合あっていたが、肝心かんじんの娘むすめのことが違ちがっていた。伊勢屋いせやの娘むすめは名なをおいせといい、日本橋にほんばし槇まき町まちの吉野よしの屋やという、糸いと綿めん問屋とんやへ嫁よめにいっている。もちろん現在げんざいも吉野よしの屋やにいるし、懐妊かいにんちゅうで、来月らいげつが産うみ月づきだ、ということであった。

――お倫りんという女おんなを知しらないか。

青木あおき千之助せんのすけはそう訊きいた。お倫りんの人柄ひとがらや、現在げんざいの住居じゅうきょや、茶ちゃの師匠ししょうの看板かんばんを出だしていることなど、できるだけ詳くわしく訊きいてみたが、伊勢屋いせやは思おもい当あたる者ものはないと答こたえた。

――しかし、向むこうではこの家いえのことをよく知しっているらしいから、娘むすめさんの友達ともだちとか、近所きんじょの者ものでこれと思おもう娘むすめがある筈はずだが。

――うちのおいせは引込ひっこみ思案しあんな子こで、友達ともだちも二、三にさん人にんしかいませんでしたし、近所きんじょにそれらしい娘むすめがいたという覚おぼえもないように思おもいます。

――二に、三さん人にんいたという友達ともだちはどうだ。

青木あおき千之助せんのすけはそう問とい進すすめた。

――さようでございますな。

喜兵衛きへえはちょっと考かんがえてから答こたえた。

――二人ふたりはこの町内ちょうないの娘むすめで、一人ひとりは婿むこを取とりましたし、一人ひとりはまだ家いえにおります、もう一人ひとり、おいせといちばん仲なかの良よかった娘むすめがいましたが、それは今年ことしの正月しょうがつに亡なくなってしまいました。

――死しんだ、それはどこの娘むすめだ。

本石ほんごく町ちょうに「むさし屋や」という薬種やくしゅ問屋とんやがございますが、そこの一人娘ひとりむすめで、名なはおしのさんと云いいました。

――むさし屋や、むさし屋や。

友達ともだちの二人ふたりは町内ちょうないに住すんでい、一人ひとりは死しんだという。「むさし屋や」という屋号やごうになにか記憶きおくがあるようだったが、お倫りんを押おさえるほうが先さきだと思おもい、そのまま辻駕籠つじかごをひろって本郷ほんごうへとばした。

だがお倫りんはもういなかった。隣となりで聞きくと、昨日きのうの朝あさ早はやく引越ひっこしたという、「実家じっかへ帰かえることになった」と挨拶あいさつにまわったそうで、そのほかにゆき先さきを知しっている者ものはなかった。

「勘かんのいい女おんなだ、おそろしく勘かんがいい」と歩あるきながら彼かれは呟つぶやいた、「せめて香屋かやの伜せがれをと思おもったが、それさえ一いちと足あし違ちがいで先せんを越こされた、ざまはないぞ」

彼かれは舌打したうちをした。

――香屋かやの伜せがれはやられるかもしれない。

無事ぶじに帰かえるかもしれないが、女おんなが急きゅうに引越ひっこしたのは危険きけんを感かんじたからであろう。とすれば、つまり女おんなが彼かれを覘ねらっているとすれば、おそらく無事ぶじに帰かえるようなことはないだろうし、それを防ふせぐ方法ほうほうもない。

「なにか手段しゅだんがあるか」と青木あおきは自分じぶんに問といかけた、「一昨いっさく日ひの晩ばんで懲こりたうえに、これだけ勘かんのいい娘むすめなら、おいそれと捉つかまるような場所ばしょを選えらぶことはあるまい」

仮かりにまた料理りょうり茶屋ちゃやへ呼よびつけたとしても、この広ひろい江戸えど市中しちゅうぜんたいに手てを打うつことは不ふ可能かのうである。

「一昨いっさく日ひの晩ばん思おもいきって挙あげればよかった」そう呟つぶやいて、彼かれはくっと首くびを振ふった、「ぐちはよせ、問題もんだいはこれからどうするかだ、香屋かやの道楽どうらく息子むすこは諦あきらめよう、どうしたらあの娘むすめを押おさえることができるか」

彼かれの歩調ほちょうはゆるくなり、堀ほりに沿そった片側かたがわ町まちを、暫しばらく黙だまって歩あるいていった。それから、江戸えど橋はしと思おもわれる橋はしを渡わたったとき、道傍みちばたによたか蕎麦そばが荷にをおろして、釜下かましたの火ひを煽あおぎながら、湯ゆを沸わかしているのを見みた。ちょっと見みただけで通とおり過すぎたが、一いち丁ちょうばかりいってからふと立停たちどまり、じっと夜空よぞらを見みあげた。

――むさし屋や。

よたか蕎麦そばの行燈あんどんに「べんけい」と書かいてあった。なにげなく見みて通かよったのだが、弁慶べんけいという字じから連想れんそうがうかんだのであろう。彼かれはそのとき初はじめて、親子おやこ三さん人にんの焼死しょうし、という出来事できごとを思おもいだした。

「亀戸かめいどのほうの寮りょうで、両親りょうしんと娘むすめが焼やけ死しんだ、慥たしかそんな事ことだったな」歩あるきだしながら彼かれは声こえに出だして云いった、「――うろ覚おぼえだが、母親ははおやと娘むすめは達者たっしゃだった、父親ちちおやは病気びょうきで危篤きとくだったが、母ははと娘むすめはまったく丈夫じょうぶだった、それがどうしていっしょに焼やけ死しんだか不審ふしんだと、云いっているのを聞きいた」

伊勢屋いせやの娘むすめともっとも親したしかったのは、そのむさし屋やの娘むすめだったという。――彼かれはいそぎ足あしになり、かいぞく橋きょうの袂たもとで辻つじ駕籠かごをひろうと、八丁堀はっちょうぼりへいそがせた。

組屋敷くみやしきへ帰かえると、同心どうしんの井田いだ十兵衛じゅうべえを呼よんで、「むさし屋や」親子おやこの検屍けんしをしたのは誰だれだったかしらべさせた。そして、定廻じょうまわりの内村うちむら伊い太夫たゆうだとわかると、すぐにその住居じゅうきょを訪たずねていった。内村うちむらは酒さけを飲のんでい、まず一いちと口くちつきあえとすすめたが、千之助せんのすけは断ことわって用件ようけんを述のべた。

「ああ、あれはよく覚おぼえている」相当そうとうに酔よってはいたが、役目やくめのことになるとさすがにしゃっきりとした、「――危篤きとくの病人びょうにんはともかく、丈夫じょうぶな妻つまと娘むすめが焼やけ死しぬというのはおかしいので、かなり念入ねんいりに調しらべてみた」

「死躰したいはどんなだった」

「すっかり焼やけて、三さん人にんとも殆ほとんど骨ほねだけになっていた」と内村うちむらが云いった、「医者いしゃにも立会たちあわせたが、二に躰からだは男おとこと女おんな、もう一いち躰からだは小柄こがらで、骨ほねの質しつが明あきらかに若わかい、それで娘むすめのものだということにきまった」

「骨ほねになるほど焼やけることがあるだろうか」

「油あぶらのためだったと思おもう、現場げんばはひどく油臭あぶらくさかったし、納戸なんどに燈あかり油あぶらがだいぶしまってあったようだ、しょうばいは薬種やくしゅ問屋とんやだが、油屋あぶらやも兼業けんぎょうしていたからね」

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