← Library‹ 五瓣の椿 第四話 十一

寮りょうにはおまさという女中じょちゅうがいたこと、母親ははおやが酒さけを飲のんだこと、娘むすめは長ながい看病かんびょう疲つかれで、かなり弱よわっているようにみえた。と語かたっていたことなどを、内村うちむら伊い太夫たゆうは記憶きおくをたどりながら話はなした。

「どうしたんだ」と話はなし終おわってから内村うちむらが訊きき返かえした、「あの件けんでなにか不審ふしんなことでもあるのか」

「いや」と千之助せんのすけはあいまいに云いった、「べつの事ことでひょっと思おもいついたんだが、どうやら見当けんとうが違ちがったようだ」

邪魔じゃまをして済すまなかったと云いって、千之助せんのすけはすぐに立たちあがった。

油あぶらがあったにしても、一いち軒けんの火事かじぐらいで三さん人にんが骨ほねになるほど焼やけるだろうか。まして母ははと娘むすめは丈夫じょうぶな躯むくろであった。母親ははおやは酔よい、娘むすめは看病かんびょう疲つかれで弱よわっていたにもせよ、――なにかそこにわけがありそうだ。油あぶら。一人ひとりは酔よい、一人ひとりは疲つかれてい、他たの一人ひとりは瀕死ひんしの病人びょうにん。油あぶらがひどく燃もえた。女中じょちゅうは夕方ゆうがたになってから急きゅうに暇ひまが出でて帰かえされた。

「こんなふうに偶然ぐうぜんの重かさなることは稀まれではない」と千之助せんのすけは呟つぶやいた、「しかし細工さいくをしたということも考かんがえられる、仮かりに細工さいくをしたとすれば、誰だれが、どんな理由りゆうだったろう」

彼かれはその点てんに考かんがえを集中しゅうちゅうした。

明あくる日ひ、青木あおき千之助せんのすけは「むさし屋や」へ当あたってみた。当とう主人しゅじんは伊い四郎しろうといい、分家ぶんけの亀屋かめや伊兵衛いへえの二男じなんが養子ようしにはいったものだが、店みせの雇人やといにんたちは殆ほとんど変かわっていない。手代てだいの徳次郎とくじろうだけが暇ひまを取とって自分じぶんの店みせを出だしたということであった。千之助せんのすけは番頭ばんとうの嘉助かすけから、手代てだい、小僧こぞうにまでそれとなくさぐりを入いれてみた。

だがなにも得えたものはなかった。

死しんだ主人しゅじんと娘むすめが、よほど店みせの者ものによくしたのだろう。かれらはみな二人ふたりを褒ほめちぎり、二人ふたりがあんなふうに死しんだことを、いまでも心こころから悲かなしみ嘆なげいていた。これに対たいして、主婦しゅふのおそのは好すかれていなかったらしく、もちろん悪わるく云いう者ものはなかったが、人ひとの好よさそうな番頭ばんとうの嘉助かすけでさえ、おそのについてはあまり話はなしたがらなかった。

千之助せんのすけは徳次郎とくじろうの店みせを聞きいてから、「むさし屋や」を出でた。

徳次郎とくじろうの実家じっかは荏原えばら在にあり、十じゅう数すう代だいも続つづく大だい地主じぬしで、苗字みょうじ帯刀たてはきをゆるされているという。彼かれはその二男じなんであるが、自分じぶんの望のぞみでむさし屋やへ奉公ほうこうにはいった。去年きょねんの秋あき、礼れい奉公ほうこうも済すんだので、今年ことしは暖簾のれんを分わけてもらうことにきまっていたという。この五ご月がつに、下谷御徒町したやおかちまちへ店みせを出だしたが、それには実家じっかから多額たがくな補助ほじょがあった、ということであった。

――徳次郎とくじろうに当あたってみよう。

そう思おもって八丁堀はっちょうぼりへ帰かえると、米沢よねざわ作さく馬ばという同心どうしんが待まちかねていて、「また椿つばきの花片かへんです」と云いった。千之助せんのすけは口くちをあいた。

「殺ころしか」

「男おとこが殺ころされて」と米沢よねざわが云いった、「その枕許まくらもとに赤あかい椿つばきの花片かへんが一いち枚まい」

「やっぱり、そうか」

「兇器きょうきは例れいの釵かんざしで心臓しんぞうを一いちと突つきだそうです」

「誰だれかいったか」と千之助せんのすけはせきこんで訊きいた、「場所ばしょはどこだ」

「場所ばしょは芝しばの露月町ろうげつちょう、大和屋やまとやという宿屋やどやの二に階かいだそうです」と米沢よねざわが答こたえた、「まだ、どなたもいってはいません、現場げんばに手てを付つけないように、井田いだが見張みはりに当あたっています、青木あおきさんのお帰かえりを待まっていたんです」

「すぐゆこう、支度したくをしてくれ」

あの道楽どうらく息子むすこめ、と千之助せんのすけは思おもった。

――きさま自分じぶんで招まねいたことだぞ。あのとき「許婚いいなずけのような者ものだ」とか、「私わたくしが世話せわをしている」などと云いった。こっちの話はなしをよく聞きいて、相手あいての素姓すじょうに疑うたがいをもつだけ頭あたまがはたらいたら、こんなことにはならなかったのだ。

――よっぽど惚ほれこんでいたんだな。

いい年としをしてばかなやつだ。

彼かれは一人ひとりだけ先さきに、駕籠かごをとばせながらそう思おもった。三十さんじゅう四よん、五ごにもなり、道楽どうらくも相当そうとうして来きたらしいのに、ばかなやつだと思おもい、同時どうじに、彼かれを救すくえなかった自分じぶんの無能むのうをも嘲笑ちょうしょうした。あんな十じゅう七ななか八はちの小娘こむすめに扱あつかわれて、うろうろ駆かけまわるなんて話はなしにもならない。よっぽどのお笑わらいぐさだぜ、彼かれは自分じぶんを罵ののしった。

大和屋やまとやは大おおきな構かまえの宿屋やどやで、主人しゅじんは仁左衛門にざえもんといい、二人ふたりの町役まちやくと鳶とびの者ものなどが彼かれを出迎でむかえた。千之助せんのすけは係かかりの女中じょちゅうと、番頭ばんとうや仁左衛門にざえもんからざっと事情じじょうを聞きいた。――事ことの始終しじゅうはまえの二に件けんと同様どうようで、男おとこが先さきに来き、すぐに女おんなが来きて、酒さけと食事しょくじを注文ちゅうもんした。女おんなは小間こま使しを伴つれず、一人ひとりだったという。男おとこは初はじめからかなり酔よっていたが、そこでも一いち升しょうちかく飲のみ、食事しょくじには手てを付つけず、「泊とまってゆく」と云いうので、女中じょちゅうが寝ねる支度したくをした。

「それから、――半刻はんときばかり経たったでしょうか」と係かかりの女中じょちゅうが云いった、「酔よいざめの水みずを忘わすれていたことに気きがついたので、その支度したくをしてお座敷ざしきへゆきました、そっと声こえをかけましたが、もう寝ねていらっしゃるだろうと思おもって、音おとのしないように障子しょうじをあけましたら、……女おんなのお客きゃくさまがこっちへ向むいて、長襦袢ながじゅばんを着きていらっしゃるところで、あたしはっとして」

女中じょちゅうは恥はずかしそうに口くちごもった。

女客おんなきゃくはいま起おきたところらしく、二布ふたの一いち枚まいで上じょう半身はんしんはあらわだった。女中じょちゅうが声こえをかけたのも聞きこえなかったものか、吃驚びっくりして、美うつくしい胸乳むなぢを隠かくしたが、自分じぶんはこれから帰かえる、と声こえをひそめて云いった。

「自分じぶんはうちが近ちかいから帰かえるが、この人ひとはわる酔よいをしているし、あのとおりよく眠ねむっているから、朝あさまでそっと寝ねかしておいてくれ、と仰おっしゃいました」と女中じょちゅうは云いった、「それから、お二人ふたりの勘定かんじょうと多分たぶんなこころづけを頂いただきましたし、べつにおかしいようなふうもみえませんでしたので」

男おとこが殺ころされているのをみつけたのは、午前ごぜん十じゅう時じすぎだと云いった。

聞きいているうちに、同心どうしんと書役かきやくが来きたので、千之助せんのすけは二に階かいへあがっていった。現場げんばは端はしにある八はち帖じょうで、井田いだ十兵衛じゅうべえが退屈たいくつそうに莨たばこをふかしていた。――座敷ざしきのまん中なかに夜具やぐが延のべられ、頭あたまのほうを枕屏風まくらびょうぶで囲かこってある。死し躰からだは香屋かやの清一せいいちで、掛かけ夜具やぐが捲まくってあり、はだかった胸むねの、左ひだりの乳ちちの下したに、平打ひらうちの銀ぎんの釵かんざしが突つき刺ささっていた。

千之助せんのすけはぞっとそうけ立たった。

黄色おうしょくみを帯おびた蝋ろうのような肌はだへ、深ふかく、まっすぐに突つき刺ささっている銀ぎんの釵かんざしが、怨念おんねんと呪のろいの声こえをあげているように思おもえたのである。彼かれは眼めをそらして枕許まくらもとを見みた。そこには血ちを落おとしたかのように、椿つばきの赤あかい花片かへんが一いち枚まい、なにかを暗示あんじするものの如ごとく置おかれてあった。

「こんな物ものがありました」と井田いだ十兵衛じゅうべえが云いった、「枕まくらの下したに覗のぞいていたので、取とり出だしてみたんですが」

それは巻まいて折おった手紙てがみで、表ひょうに「青木あおきさま」と書かいてあった。自分じぶんの姓せいだからちょっとおどろき、彼かれは跼かがんだ恰好かっこのままそれを披ひらいた。読よんでみると正ただしく彼かれに宛あてたもので、次つぎのようなことが書かいてあった。

――先夜せんやおめにかかった倫りんでございます、その節ふしはあなたさまをお騙だまし申もうし、こんどまたお手数てすうをかけます、さぞ憎にくい女おんなとおぼしめすことでしょうが、これには深ふかい仔細しさいがございますし、また、わたくしに運うんがありましたら、あと二に度どだけお手数てすうをかけることになると思おもいます、それが済すみましたら、あなたさまのところへ自首じしゅしにまいり、仔細しさいをお話はなし申もうすつもりでございますが、いま一ひと言ことだけ申上もうしあげます、それは……この世よには御定法ごじょうほうでは罰ばっすることのできない罪つみがある、ということでございます。倫りん。

千之助せんのすけは唇くちびるをひき緊しめた。

――法ほうで罰ばっすることのできない罪つみ。

彼かれはその一句いっくを、ながいこと、息いきをひそめて見みまもった。

「あと二人ふたり、――」と彼かれは独ひとり言ごとのように呟つぶやいた、「それを止とめる法ほうはないか、……いったいこの男おとこたちはなにをしたのだ、椿つばきの花片かへんはどういう意味いみだ」

井田いだ十兵衛じゅうべえがきせるをはたき、その音おとで千之助せんのすけはわれに返かえった。

「倉橋くらはし」と彼かれは手紙てがみを巻まきながら書役かきやくに云いった、「見取みとり図ずを描えがいてくれ」

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