← Library‹ 五瓣の椿 第五話 三

常陸ひたちは気きの強つよいおくにぶりだという。そうばかりともいえないが、おつるは気きの強つよいほうであった。源次郎げんじろうには妻つまもあり三さん人にんの子こもある。「丸まる梅うめ」の店みせは繁昌はんじょうしているし、勝手かってもとも裕福ゆうふくである。これでは主婦しゅふになる望のぞみなどとうていないし、黙だまっていれば慰なぐさみものになるだけであろう。そう思おもったので、源次郎げんじろうに今後こんごの身みの保証ほしょうを求もとめた。

――ああいいとも、私わたくしもそのつもりだ。

源次郎げんじろうはそう云いった。いますぐといってもおまえは年ねんが若わかすぎる、二に、三さん年ねんもしたら家いえを持もたせ、袋物ふくろものの店みせを出だしてやろう。私わたくしは女房にょうぼうよりおまえのほうがすきだから、そうなったらこっちは店みせの者ものに任まかせ、おまえといっしょにくらすことにする、そう約束やくそくをしてくれた。それは嘘うそではなかった。十じゅう七ななの年としにみごもると、堀江ほりえ三さん丁目ちょうめの横丁よこちょうに家いえを借かり、ばあやを一人ひとり雇やとって気楽きらくにくらすようになった。

一いち年ねんあまりは手当てあても充分じゅうぶんにあり、着物きものや頭あたまの物ものなども買かってくれたが、そのうちにだんだん足あしが遠とおくなり、手当てあても減へるばかりで、去年きょねんの秋あき、二に番ばんめの子こをみごもったときは、おれの子こではない、などと云いいだした。おれは月つきに一いち度どか二にた月つきに一いち度どぐらいしか来こない。そのあいだおまえがなにをしていたか、こっちにはちゃんとわかっている。その子この親おやはほかにある、とはっきり云いった。

「それを聞きいたときわたし、気きが遠とおくなりそうでした」とおつるは云いった、「そのときはもうくらしが苦くるしいので、ばあやには暇ひまを出だしたあとなんですけど、ことによるとばあやがなにか根ねもない告つげ口ぐちでもしたんでしょうか、こっちには証人しょうにんがいるんだという口くちぶりでした」

およねはそっと頷うなずいてみせた。

「それっきりよりつかなくなり、僅わずかずつでも届とどいていた手当てあてさえ、一いち文ぶんも来こなくなったんです」おつるは機械きかい的てきに眼めを拭ふいた、「それでなくとも手て内職ないしょくをしなければやってゆけなかったのに、身重みおもになって手当てあてが一いち文ぶんも来こないんですから、どうにもしようがありません、その家いえをたたんで、同おなじ二に丁目ちょうめの裏店うらだなへ引越ひっこしました」

それから出産しゅっさんまで、出産しゅっさんしてから今日きょうまで、買かって貰もらった着物きものや帯おびや、頭あたまの道具どうぐなどを売うって、内職ないしょくの足たしにしながらどうやら凌しのいで来きた。けれども源次郎げんじろうの気きの変かわる望のぞみもないし、このままでは親子おやこ三さん人にんが飢うえ死じにするかもしれないので、いっそ常陸ひたちの田舎いなかへ帰かえろうと思おもった。

「まだ二にた親おやがいますからね、まさか追おい帰かえしもしないでしょうけれど」とおつるは続つづけた、「こんな小ちいさなのを二人ふたりも伴つれてゆくんですから、兄あによめの手前てまえもまさか手てぶらじゃあ帰かえれません、それで思おもいきって丸まる梅うめの店みせへ訪たずねてゆきました」

蕎麦そばを喰たべ終おわった子こが、母親ははおやのところへ寄よって来きてぐずりだした。もっとなにか喰たべるのだという、およねは小銭こぜにを出だして与あたえ、もう夜よるだからそれでがまんをし、明日あすになったらすきな物ものを買かってお喰たべなさい、となだめた。

「だめなことはわかってました」おつるは礼れいを述のべてから続つづけた、「旦那だんなは留守るすだといい、おかみさんが出でて来きて、わたしのことを犬いぬ畜生ちくしょうのように云いうんです」

むろん一言ひとこともない、相手あいてにすれば亭主ていしゅを寝取ねとられたのだ。どんなに憎にくんでも憎にくみたりないであろう、おつるはなにも云いわずに帰かえって来きた。そのときたった一いち度ど「死しんでしまおうか」と思おもったということだ。

「そんなことを考かんがえたのはそのとき一いち度どだけで、すぐに、いやなこったと思おもい直なおしました」とおつるは云いった、「ちゃんとした夫婦ふうふでいて亭主ていしゅに先さきだたれ、二人ふたりも、三さん人にんもの子こをかかえてやってゆく人ひとが世間せけんには幾いくらもいる、なにくそ死しんでたまるものかって思おもいました」

それから源次郎げんじろうを外そとで捉つかまえようとし、暇ひまをみては店みせから出でて来くるのを見張みはっていた。三さん度どばかり捉つかまえたが、力ちからずくで突つき放はなされてしまったので、今夜こんやは他人たにんのいる前まえで話はなしをつけようと思おもい、ばくろ町まちまで跟つけていった、ということであった。

「たいへんだったわねえ」およねは溜息ためいきをついて云いった、「――でもあなたの云いうとおりよ、あんな人ひとにみれんを持もっていたら、それこそ一生いっしょうをめちゃめちゃにされてしまうわ、女おんなだって自分じぶんの産うんだ子この一人ひとりや二人ふたりそだてられないことはない、田舎いなかへ帰かえって立派りっぱにそだてあげて、そういう人ひとでなしを見返みかえしてやるがいいわ」

そしておよねは袱紗ふくさ包つつみをあけ、金きん二十にじゅう両りょうと、小粒こつぶで二に両りょうを合あわせ、紙かみに包つつんでさしだした。おつるはあっけにとられて見みていたが、自分じぶんの前まえにさしだされたので、首くびを振ふりながらしりごみをした。

「これでは足たりないけれど、手土産てみやげくらいは買かってゆけるでしょう」とおよねは云いった、「これを持もって一いち日にちも早はやく田舎いなかへお帰かえりなさい、ちっとも遠慮えんりょすることはないのよ」

「どういうわけですか」おつるは訝いぶかしげにおよねを見みた、「こんなたいまいなお金かねを、見みず知しらずのあたしにどうして下くださるんですか」

「あたしも女おんなだからよ、女おんな同士どうしであんたの苦労くろうがよくわかるし、このお金かねはあたしには要いらないからよ」

「あなたはあたしを」

「いいえなにも云いわないで」およねは袱紗ふくさをたたみながらかぶりを振ふった、「いまは意地いじにこだわったりみえを張はったりするときじゃないわ、それは当然とうぜんあなたが受取うけとっていいお金かねよ、お子こたちのためにもすなおに取とってちょうだい、わかるわね」

おつるは頭あたまを垂たれ、「済すみません」と云いって、すぐに眼めをあげた、「――でもいったい、あなたはどなたでしょう、お名前なまえだけでも聞きかせて下くださいませんか」

「道みちばたですれちがっただけの者ものよ」

「でもそれではわたしの気きが済すみませんもの」

「いいわ」とおよねは立たちあがりながら云いった、「もしあたしのことを思おもいだすようなことがあったら、今日きょうを命日めいにちだと思おもって、線香せんこうの半分はんぶんでもあげてちょうだい、それだけで充分じゅうぶんよ」

「まあ、そんな」おつるは眼めをみはった、「なにを仰おっしゃるんですか、まあ」

「冗談じょうだんよ、かんにんしてちょうだい」およねは二人ふたりの子供こどもの顔かおに触さわりながら云いった、「――田舎いなかのおじいさまやおばあさまのところへ帰かえるのよ、丈夫じょうぶな、いい子こになって、お母ははちゃんに孝行こうこうなさいね」そしておよねはその座敷ざしきを出でた。

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