「いそがなければならない」とおしのは独り呟いた、「いそがなければ」
骨をしらべてなにがわかるか、おしのには見当もつかない。けれども、なにか決定的なことがあばかれるような気がする。青木はおしのが誰かに殺されたと思っているそうだ、そこまで辿ってくれば、事実があらわれるのは遠いことではあるまい。そうだろうか、すっかり焼けて骨だけになったのだから、なにも証拠になるような物が出て来る筈はない。慥かに、なにも出て来る筈はない。しかし役人には役人の眼がある、どんなに巧みに仕組まれた罪も、しらべるようにしてしらべれば必ず発見されるというではないか。
「あの人は現にあたしを見ている」とおしのは呟いた、「もし疑わしいことをみつけたら、むさし屋のほうをしらべるだろう」
店のほうは大丈夫だ。養子にはいった当主の伊四郎はもちろん、番頭の嘉助さえなにも知らない。ただ徳次郎だけは、あたしの生きていることを知っている。もし徳次郎がしらべられるとすれば、――こう思ってきて、おしのは身ぶるいをした。あの人が吟味にかけられたとき、飽くまで知らないと云い切る気力はないだろう。たとえその気力があったにしても、あの人をそんな辛いめにあわせるわけにはいかない。もうきりをつけるときだ、とおしのは心をきめた。
おしのは手文庫を出して、机の前に坐った。金はまだ二百五十両とちょっと残っていた。おしのはそれを二つに分け、二つを紙に包んだ、一つに「おまさどの」と書き、他の包みといっしょに机の抽出へ入れ、残った金を紙入れへ入れた。それから立ちあがって、あたりを眺めまわした。
――片づける物はない。
いつどうなるかわからない躯なので、始末すべき物はいつも始末してある。人に見られて恥ずかしいような物はなにもない。慥かだろうか、おしのはなおよく、部屋の中を眺めまわしてから、おまさを呼んだ。
「でかけるからね」おまさが来ると彼女は云った、「着替えるから手伝っておくれ」
「おでかけですって」おまさは屹と顔を緊めた、「冗談にもそんなことを仰しゃらないで下さい、この寒さにそんなお躯で」
「いいわ、それなら頼まない、もうさがっておくれ」
「さがりますけれど、お出し申すわけにはまいりませんから」おまさはきっぱりと云った、「お医者さまにも云われていますし、あたしが見たっておでかけになれるようなお躯じゃあございません、あたし力ずくでもお出し申しはしませんから」
「そう、それならちょうどいいわ」
おしのは机のほうへゆき、抽出をあけて、さっきの金包みを取り出すと、おまさの前へ押しやって云った。
「これをあげるから出ていっておくれ」
おまさは蒼くなった。
「これはなんですか」
「給銀のほかに、僅かだけれどお礼がはいってるわ」とおしのは冷やかに云った、「あんたはずっとまえからあたしに楯を突くようになった、あたしが若いと思ってばかにしているんでしょ、いつか暇を出そうと思っていたけれど、ちょうどいいからいまきまりをつけましょう、さあ、これを持って、荷物を纒めて、出ていってちょうだい」
まっすぐにおしのを見まもっているおまさの眼から、あふれ出る涙が頬を伝い、ぽろぽろと膝の上に落ちた。
「本気で仰しゃるんですか」とおまさは喉声で訊き返した、「そんなこと、――あたしのどこがいけないんですか、あたしがいつ楯を突いたりしたんですか」
「現に、いま」おしのは吃り、眼をそむけながら云った、「いま現に、あたしの云うことにさからってるじゃないの」
「これがさからってることでしょうか」
「頼むからそんな声を出さないで」おしのはできるだけ邪険に云った、「女のめそめそする声って大嫌いよ、いいからこれを持ってあっちへいってちょうだい」
おまさは手で眼をぬぐった、「堪忍して下さいまし、お召替えの支度をします」
「もういいわよ、構わないで」
「あたし、ばかで、気がつかないもんですから」とおまさは前掛で顔を押えながら立ちあがった、「ただあなたのお躯に障ると思って、お止めしただけなんです、あなたがいま怒っていらっしゃるのも、本当に怒っていらっしゃるんじゃない、あたしのためを思って、わざとそんなふうに仰しゃるんだ、っていうこともよくわかっています、一年ちかくもこうしてお側にいるんですもの、いくらばかだって、そのくらいのことがわからないもんですか、――でも、どうしてですか、どうしてこんなふうになさらなければならないんですか」
「あんたなんかの知ったことじゃないわ」
「いいえ知ってます」おまさは坐り、ふるえだしながら、声をひそめて囁いた、「わけはなんにもわかりませんけれど、お供をしていったさきざきのこと、秋から冬へかけて、そこでなにがあったかということは、あたしみんな知っていました」
おしのは口をつぐんだ。病気になってから、いつもぼっと頬に赤みのさした顔が、白っぽく乾いた灰色になり、表情をなくして硬ばった。
「こう云ってもあなたを咎めたり、悪く思ったりしているんじゃありません」おまさは涙をこぼしながら、しっかりした言葉つきで続けた、「あたしはあなたの御性分がわかっているつもりですし、夜なかに独りで泣いていらっしゃることも、苦しそうに唸ったり、うなされたりしていらっしゃるのも聞きました、なんのために、――どういうわけがあってなさるのかは知りませんけれど、どうしてもそうなさらなければならないのだ、ということだけは、いちども疑ったことはありません」
「もうよして、よしてちょうだい」
「ええよします、よしますけれど一つだけうかがわせて下さい」
「いいえよして、それは云えないの」
「どうしてもですか」おまさの眼からもっと涙があふれ落ちた、「あたしがそんなに信用できないんですか」
「違うのよ、そうじゃないの」おしのは脱力したような眼でおまさを見た、「信用していなければ今日までいてもらやあしなかった、あんたなら大丈夫だと思ったから、どんなところへもいっしょに来てもらったのよ、でも、――このわけは云えないのよ」
「どうしてですか」