← Library‹ 五瓣の椿 第五話 六

おしのは息いきをしずめ、暫しばらく黙だまっていてから、眼めを伏ふせたまま云いった。

「あんたを罪つみにするからよ」

「――どういうことですか」とおまさはまた問とい返かえした。

「あんたの云いうとおり、あたしはこうしなければならないからしているのよ、そのためには初はじめから自分じぶんの命いのちを賭かけているの」とおしのはひそめた声こえでゆっくりと云いった、「――でもね、世間せけんからみれば、あたしのしていることはたいへんな罪つみで、人ひとでなし、毒婦どくふ、鬼おに、なんと云いわれるかもしれないの」

おまさの唇くちびるがひらき、小ちいさな、白しろい、並ならびのいい歯はが見みえた。

「あたしはもうすぐ自首じしゅして出でるつもりよ」とおしのは続つづけた、「そうすれば、おまさちゃんも吟味ぎんみにかけられるでしょう、だから、いまのうちにあたしからはなれてもらいたいと思おもったし、たとえこのうちにいたとしても、なんにも知しらなければ罪つみにはならないわ、あんたに話はなせないのもこういうわけがあるのよ」

「ほかにどうにか」とおまさは声こえをふるわせて云いった、「どうにかすることはできないんでしょうか」

おしのは静しずかにかぶりを振ふった、「おまさちゃんがあたしだとしても、きっとこうしずにはいられないだろうと思おもうの、――こんなことが、二に度どと世よの中なかに起おこらないようにと祈いのるだけだわ」

おまさの喉のどに嗚咽おえつがこみあげて来きた。

「これを取とってちょうだい」とおしのは金包かねづつみを押おしやった、「うちへ帰かえって、いい人ひとと祝言しゅうげんをし、あたしの分ぶんまで仕合しあわせになっておくれ、じゃあ着替きがえをしましょう」

着替きがえが済すむと、おまさが駕籠かごを迎むかえにいった。

「お供ともをしてもいいでしょうか」

おしのは黙だまってかぶりを振ふり、頭巾ずきんをかぶって部屋へやから出でた。

師走しわす十じゅう九きゅう日にちにしては暖あたたかい日ひの昏くれがたで、風かぜのない空そらには、橙色だいだいいろに染そまった大おおきな雲くもがあり、街まちはその反映はんえいで、きみの悪わるいほど明あかるく夕ゆう焼やけていたが、駕籠かごが「船ふね市し」へ着ついたときにはもうすっかり昏くれて、家並いえなみはすっかり灯あかりがついていた。――その船宿ふなやどは佐久間さくま町まちの河岸かしにあり、さして大おおきくはないけれども、階下かいかに六ろく帖じょうと八はち帖じょう、二に階かいに小しょう座敷ざしきが二ふたつあり、佐吉さきちはその一ひとつで待まっていた。

彼かれは弥太やたという中年ちゅうねんの船頭せんどうを相手あいてに、もうかなり飲のんだとみえ、膳ぜんの上うえに燗徳利かんどくりは一いち本ほんだが、首くびまで赤あかくなっているし、言葉ことばの調子ちょうしも平生へいぜいとは違ちがっていた。

「いらっしゃいまし、暫しばらくでございます」弥太やたは坐すわり直なおしてお辞儀じぎをした、「ええ覚おぼえておりましたとも、あれは名月めいげつの晩ばんでございましたかな、その節ふしはたいそう頂戴ちょうだいいたしまして、ええ、ずっとお待まち申もうしていたんでございます」

おしのは佐吉さきちを見みた。

「支度したくはできてます」と佐吉さきちが云いった、「あんまり冷ひえるもんですから、ちょっと頂いただいていたところですが、すぐ、いらっしゃいますか」

「そうしましょう」とおしのは云いった。

弥太やたはけいきよく立たちあがり、「では炬燵こたつを入いれておきましょう」と云いって、階下かいかへおりていった。佐吉さきちは膳ぜんの上うえの盃さかずきを取とった。

「川かわへ出でると冷ひえます、寒さむさ凌しのぎに一ひとついかがですか」

「さっきの話はなしのあとを聞きくわ」

「船ふねで船ふねで」佐吉さきちは手てを振ふり、自分じぶんで酒さけを注そそいで飲のんだ、「だって、そのつもりで船ふねになすったんでしょう」

おしのは佐吉さきちのようすを見みた、「――丸まる梅うめへいってもらうつもりだったけれど、そんなに酔よっててはしようがないわね」

「酔よってやあいません、酔よっちゃあいねえが、今夜こんやはあの件けんをとっくり相談そうだんすることにしよう」と佐吉さきちは云いった、「丸まる梅うめは逃にげやあしませんよ」

おしのは佐吉さきちの顔かおを見みながら頷うなずいた。

船ふねに乗のってからも、佐吉さきちは盃さかずきをはなさなかった。障子しょうじで囲かこった屋形船やかたぶねの中なかに、派手はでな色いろの蒲団ふとんを掛かけた置おき炬燵こたつがあり、燗鍋かんなべをのせた小ちいさな火鉢ひばちと、酒肴しゅこうの支度したくができていた。佐吉さきちは自分じぶんで燗かんをし、手酌てじゃくで飲のみ、肴さかなをつつきながら、おちつかないようすで、絶たえまなしに饒舌しゃべっていた。

「当あたります」

弥太やたの声こえがし、ふなばたが土堤どてをこすって停とまった。橋はしではないらしい、乗のるときに橋はし場ばへ着つけろと云いっておいたので、障子しょうじをあけてみると、船ふねは土堤どていの下したに着ついていた。

「向島むこうじまです」と佐吉さきちが云いった、「長命ちょうめい寺じの下したのところですよ、こっちのほうがいいと思おもいましてね」

そして彼かれは立たちあがり、艫とものほうの障子しょうじをあけて、弥太やたになにか囁ささやいた。

――打うち合あわせてあったのだ。

あたしが来くるまえに、飲のみながら打うち合あわせておいたのだ、とおしのは思おもった。艫ともでは弥太やたが「じゃあ、話はなしが済すんだら呼よんで下ください」と云いい、草履ぞうりを持もって土堤どていへあがった。向島むこうじまの汀なぎさは浅瀬あさせに葭よしが茂しげっていて、じかに船ふねは着つけられないが、長命ちょうめい寺じの下したに当あたるひとところだけ水みずが岸きしまで深ふかく、土堤どていへすぐに着つけることができた。おしのはその地形ちけいを見届みとどけてから、障子しょうじを閉しめた。

佐吉さきちは戻もどって来くるときよろめいた。

「土堤どていの向むこうに奈良なら茶ちゃの店みせがあるんです」と彼かれは炬燵こたつへはいりながら云いった、「一いち杯はいやって来こいってね、話はなしが済すむまで追おっぱらったわけです」

「機転きてんがきくわね」とおしのは頬笑ほうえんだ、「そのお燗かんつき過すぎやしなくって」

「そのこと、そのこと」佐吉さきちは燗鍋かんなべの中なかから徳利とっくりを出だした、「そのことあのことついできあって、――いよいよさしですね」

「話はなしを聞ききましまう」

「まあそうせかせなさんな」彼かれは手酌てじゃくで一ひとつ飲のみ、べつの徳利とっくりを振ふってみてから、片口かたくちへ酒さけを移うつし、それを注そそいで燗鍋かんなべの中なかへ入いれた、「――骨ほねなんぞしらべたってなにが出でるもんか、とあっしは思おもってた、素人しろうとの浅あさ知恵ちえ、餅もちは餅屋もちやですね、与力よりきなんてものあたいした眼めを持もってますぜ」

「なにかみつかったっていうの」

「旦那だんなと、おかみさん」佐吉さきちはしゃっくりをした、「お二人ふたりの骨ほねには不審ふしんはなかった、ところがもう一ひとつ、お嬢じょうさんの骨ほねてえのをしらべて、その蘭方らんぽう医いとかってのが、首くびを振ふったそうです」

おしのは息いきをのんだ。

「これは女おんなの骨ほねじゃあねえって」と云いって佐吉さきちは二ふたつ飲のんだ、「若わかい者ものの骨ほねにはちげえねえが、腰こしっ骨ぽねが男おとこだって、娘むすめでも十じゅう六ろく、七ななになると、腰こしっ骨ぽねが違ちがってくるんですってね、ここんところが」

佐吉さきちは片手かたてで自分じぶんの腰こしを叩たたいた。

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