おしのはきつく眼をつむった。
「これだけはごまかせねえんだそうです、ええ」と佐吉は続けた、「女のはこう開くんだそうで腰の骨がこう開くから、いしきや腿が太くなるんで、これは間違いなく十七、八の男の骨だって云ったそうです」
「おしのさん、もういけませんぜ」と彼は続けた、「――菊太郎の親から、行方知れずの届けが出ているでしょう、それを突き合わせれば、菊太郎とおかみさんの仲もわかるだろうし、得石、蝶太夫、香屋の清一と、薯の蔓をたぐるようにつながって出てきますぜ、そう思いませんか」
「そう思うわ」とおしのが云った、「そして、あんたの名も出てくるわね」
「げっ、と云いてえが、初めにてめえで気がついた、そこまでたぐっておれの名が出ねえ筈はねえってね」佐吉は燗鍋の中の徳利を出し、手酌で三つ呷った、「おしのさん、あっしゃあ金で買われておめえの手伝いをした、だが、一度だって自分で手出しをしたこたあねえ、ただおめえに頼まれて、ほんの手伝いをしただけだ、そいつはしらべてみればわかるこったし、おめえのことなんぞ知らねえと云ったって立派にとおる筈だ」
「そうかしら」
「そうかしらって、――現におめえが、自分一人でやったことを知ってるじゃねえか」
「あたしの云うのはそうじゃないの」とおしのは穏やかな口ぶりで云った、「あんたは金で買われてあたしの手伝いをしただけだ、って云ったでしょ、自分では一度も手出しはしなかったって」
「そうでねえとでも云うのかい」
「そうでないと思ってるの」おしのは沈んだ眼つきで彼を見た、「あんたはあたしの手伝いをしただけではなく、おっ母さんの手伝いもしたわ、おっ母さんばかりじゃなく、よその後家さんやおかみさん、浮気な娘たちまで、何十人となく芸人や役者衆をとりもって来たわ、そうじゃなくって、佐吉さん」
「ちょっと待ってくれ」彼は頭を振り、片手で横額をとんとんと叩いた、「話がへんにこんがらかってきやがったが、そいつはいってえ、どういうことなんだ」
「あんたのために、何十人もの女のひとや、その人の縁者や家族の人たちが、おちぶれたり一家ばらばらになったりして、どのくらい不仕合せになり、泣いているかもしれないわ、あたしのおっ母さんがいい証拠だとは思わない、佐吉さん」
「そういうのをかったいのかさ恨みって云うらしいぜ」と佐吉は云い返した、「にんげん道に外れたたのしみをすれば、それだけのむくいがあるのは当りめえさ、恨むならてんでんを恨めばいいんだ、ええ、おらあこんな話をするつもりじゃあなかった、おしのちゃん、肝心な話があるんだから聞いてくれ」
「あたしの云うことが痛いのね」
「そのくらいのことを云われて痛えような、ちょろっかな人間だと思うのかい、冗談じゃあねえ、まあおいらの話を聞いてくれってんだ」佐吉は盃を持った手をゆらゆらさせ炬燵の上へかぶさるようにして云った、「おらあな、おしのちゃん、おめえと生き死にを共にしようと思ってるんだぜ」
おしのは微笑した、「生き、死に、をですって」
「おらあまえから惚れてたんだ」と云って佐吉は盃を置いた、「おしのちゃんのためなら女房子も要らねえ、生きるも死ぬもおめえといっしょだと思っているんだ」
「あんた口もうまいじゃないの」
「おめえはもう江戸にはいられねえ、もう火が足もとまで来ちゃってる、どうしたって土地を売らなきゃあならねえ場合だぜ」と佐吉は身をのりだして囁いた、「だがおめえはまだ十八だし、お膝元から外へ出たことのねえ人だ、独りじゃあどうにもならねえ、誰か力になる者がいなくちゃああがきがつかねえ、――そこで相談だが」
「あとは聞くまでもなくってよ」おしのは燗徳利を持った、「はいお酌、――あたしが相談したいと云ったのも、そのことなんだから」
「いやそうじゃあねえ、おれの相談てえのは、おめえと夫婦になるってこった」佐吉は酒を飲んだが、大半はこぼした、「おめえは金はずいぶん持ってるらしいが、江戸をずらかるとすれば旅切手も要るし、女一人よりも夫婦者のほうが安全だ、それにおらあずっとめえから、おめえに首ったけなんだから」
「聞くまでもないって云ったでしょ」おしのはまた酌をしてやった、「それはあたしのほうから相談しようと思ったことじゃないの」
「へ、へ」佐吉は卑しく狡猾に笑った、「その手はくわねえ、飴を砂糖で煮つめたような、そんな甘い手に乗るおれじゃあねえ」
「なにがその手なの」
「沢田屋に手を取って教えられた色の手くだ、知らねえ者はぼっとくるだろうが、この佐吉にゃあおあいにくだ」と云って彼は立ちあがり、炬燵をまわって、よろめきながらおしののほうへ来た、「もしいま云ったことが本心なら、おめえじたばたあしねえ筈だぜ」
「あんたは負けない性分ね」
佐吉はおしのを羽交いじめにした。うしろから羽交いじめにし、荒い息をしながら、頬へ頬をすりつけた。
「だめよ」おしのはあまく囁いた、「灯を消してちょうだい」
「恥ずかしい柄かよ」
「障子に影がうつるじゃあないの」おしのは背中で佐吉にあまえた、「土堤から見られたらどうするの、ねえ、灯を消して」
佐吉は手を放し、おしのが帯を解きかかるのを見て、行燈を吹き消した。
そのとき土堤の上を、二人伴れの男が歩いていて、「ようよう」と声をかけた。酔っているのだろう、互いに支えあいながら、大きな声で、「ようようやけます」とどなった。屋形船の灯が消えるところを見たらしい、絡みあってひょろひょろと泳ぎ、片方の男が、「みせつけるない、ちくしょう」と喚き、片方が、「石をぶっつけるぞ、野郎」とどなった。
「放してくれ」とその男はよくまわらない舌で云った、「石を捜して、ぶっつけてやるんだ」
「よしきた」伴れの男が云った、「おれも手伝ってやらあ、おらあ世の中のためになることなら、命も要らねえ、ほんとだぜ、世の中のためになることならなんだってやるんだから」
「いいことを云うぜ、おめえは」まえの男は相手の肩に凭れかかった、「男はその意気だ、じゃあひとつ、その意気で善公のところへ押しかけるか」
「待ってました」と伴れの男が云った、「野郎を叩き起こして一杯買わせるとしよう」
そしてなお、わけのわからないことを喚きながら、宵闇の中へ消えていった。
まもなく、屋形船の障子があき、おしのが半身を乗りだして、川の水で両手を丹念に洗った。そして障子を閉めると、暫くして艫のほうへ出て来たが、そのときはもう頭巾をかぶってい、片手に持った袱紗包みの中から麻裏草履を出してはくと、危なっかしい身ぶりで岸へとび移った。
「お父つぁん」とおしのは空を見あげて囁いた、「あと一人よ、それまで力を貸してちょうだいね」
おしのは土堤へ登り、寺島のほうへゆっくりと去っていった。屋形船は暗く、ひっそりと、音もなく岸につながれていた。