← Library‹ 五瓣の椿 第六話 一

おしのは、窓際まどぎわに倚よって、川かわの対岸たいがんの火事かじを見みていた。

その家いえは東ひがし両国りょうこくの橋詰はしづめで、相生あいおい町の河岸かしにあり、裏うらは隅田すみだ川かわに面めんしていた。それは「丸まる梅うめ」の源次郎げんじろうが指定していした家いえで、おもてむきは踊おどりと長唄ながうたの稽古けいこ所しょとなっている。その看板かんばんが二に枚まい掲かかげてあるし、三十さんじゅう四よん、五ごになるきれいな女じょ主人しゅじんと二十にじゅう二に、三さんのあだっぽい女おんながい、ほかに女中じょちゅうが二人ふたりと下働したばたらきが幾いく人にんかいるらしい。女じょ主人しゅじんはおたき、若わかいほうはおきぬといって、藤野ふじのなにがしとかいう三千さんぜん石こくばかりの旗本はたもとの、囲かこい者ものだということであった。――男おとこは二人ふたりの女おんなをただ囲かこっているわけではなく、稽古けいこ所しょの看板かんばんにかくれて、ひそかに男女だんじょの出会であいにも貸かすし、侍さむらいや裕福ゆうふくな町人ちょうにんに売女ばいたの世話せわもする。もちろん紹介しょうかい者しゃのない客きゃくは取とらないし、その代価だいかも高たかいので、かなりな稼かせぎになるのだが、藤野ふじのなにがしは月つきに二に度どずつ来きて、二人ふたりの女おんなを巧たくみにあやなし、儲もうけた物ものをきれいに持もっていってしまう。

――岡おか場所ばしょの亭主ていしゅなどよりわる賢かしこい男おとこだ。

その話はなしをしたとき、源次郎げんじろうは、そう云いって軽蔑けいべつしたように顔かおをしかめてみせたものだ。

藤野ふじのは旗本はたもとというだけでなく、なにか町方まちかた役人やくにんに顔かおがきいているらしく、岡おかっ引ぴきなどもその家いえへは近ちかよらない。そう聞きいたので、おしのはここを選えらんだのであった。佐吉さきちの話はなしによると与力よりき青木あおき千之助せんのすけの追求ついきゅうは意外いがいにきびしく、その手てと眼めはきみの悪わるいほど的確てきかくに、自分じぶんの足跡あしあとをぴたっぴたっと押おしてくる。墓はかを掘ほって骨ほねをしらべた、と聞きいたときおしのは、青木あおき千之助せんのすけがうしろから自分じぶんの肩かたに手てを掛かけるような、現実げんじつ的てきな恐怖きょうふを感かんじたくらいであった。

――あと一人ひとりで終おわる。

あとの一人ひとりこそ、自分じぶんにとってはもっとも逭のがすことのできない人間にんげんだ。この一人ひとりを始末しまつするまでは、絶対ぜったいに捉つかまってはならない。こういう理由りゆうから、おしのは初はじめて、相手あいてのきめたこの家いえへ来きたのだ。

「よく燃もえるわね」と階下かいかで女おんなたちが云いいあっているのが聞きこえた、「小笠原おがさわらさまの屋敷やしきでしょ、あれ」

「太田おおた摂津せっつさまよ」と他ほかの女おんなが云いった、「火ひの見みが右みぎにあるじゃないの、小笠原おがさわらさまはあの右みぎよ」

「向むこう河岸かしの火事かじっていうけれど、燃もえてるのが人ひとの家いえだから、花火はなびよりきれいだし面白おもしろいわね」

「誰だれだいそんなことを云いうのは」と女じょ主人しゅじんらしい声こえが云いった、「人ひとさまの不幸ふこうを面白おもしろがる者ものがあるかね、ばかなことを云いうと承知しょうちしないよ」

おしのも火事かじを見みまもっていた。

両国りょうこく広小路ひろこうじから川下かわしものほうへ、七なな、八はち町ちょうも寄よっているだろうか、階下かいかの人ひとたちの云いうとおり、町家まちやではなく武家ぶけ屋敷やしきとみえ、棟むねが高たかいので火ひも高たかく大おおきくみえる。川波かわなみの上うえを伝つたって、すりばんといわれる半鐘はんしょうの音おとや、火消ひけしの者ものや逃にげだす人ひと、また火事かじを見物けんぶつに駆かけつける人ひとたちの声こえまでが、かなりはっきりと聞きこえて来きた。

「正月しょうがつ六むい日かの夜よなかだったわね」とおしのは呟つぶやいた、「亀戸かめいどの寮りょうの裏うら、――生垣いけがきのところから、燃もえあがる火ひを見みていたわ」

あれから約やく一いち年ねん、ずいぶんいろいろなことがあった、とおしのは思おもった。

一いち年ねんのあいだに、世間せけんの人ひとの五ご年ねんにも十じゅう年ねんにも当あたるような経験けいけんをした。いやな経験けいけんだった。耳みみを洗あらい、眼めを洗あらい、手てを、躯むくろじゅうを、ごしごし洗あらいたいような気持きもちになる。それは自分じぶんの選えらんだ五ご人にんの男おとこたちが、特とくに卑いやしくおぞましく、ゆるすことのできない人間にんげんだったからでもあろう、――佐吉さきちから聞きいた母ははの相手あいては、八はち人にん以上いじょうを数かぞえたが、どうしても「ゆるせない」と思おもったのはその五ご人にんであった。そして、実際じっさいにその一人ひとりひとりに接せっしてみ、かれら自身じしんと、その身辺しんぺんに起おこっていた事情じじょうを、つぶさに見聞けんぶんして来きて考かんがえることは、この世よにはなんとけがらわしく、泥どろまみれな生活せいかつが多おおいことか、という厭悪えんおのおもいであった。

「本当ほんとうになんという人ひとたち、なんという生活せいかつだろう」おしのは眉まゆをひそめた、「――あんなふうに生いきていて、少すこしも恥はじたり、後悔こうかいしたりするようなことはなかったのかしら」

当人とうにんたちはべつだ、かれら自身じしんはもう死しんでいるから。しかしかれらも生いきているとしたら、同おなじような悪事あくじや、卑劣ひれつな生活せいかつを続つづけたことだろう、とおしのは思おもった。

――岸沢きしざわ蝶ちょう太夫たゆう。海野うんの得とく石せきとその妻つま、彼かれが経営けいえいしていた「海うみ石いし」という料理りょうり茶屋ちゃやのおかね。香屋かや清一せいいちとそれを取とり巻まく女おんなたち。

悪わるい人間にんげんが一人ひとりいると、その「悪あく」はつぎつぎにひろがって人ひとを毒どくす。いちど悪わるに毒どくされた者ものは、容易よういなことではその毒どくから逭れ出でることができない。

――丸まる梅うめの女中じょちゅうだったおつると二人ふたりの幼おさない子こたち。

おつるは故郷こきょうへ帰かえるだろう。けれども自分じぶんの犯おかしたあやまちや、「丸まる梅うめ」に騙だまされたという口惜くやしさや、二人ふたりの子こたちに対たいする責任せきにんの重おもさに、はたして耐たえてゆくことができるだろうか。

豊島としま屋やのあくどい日済ひなし貸かしで苦くるしんでいた人ひとたち。あの人ひとたちも豊島としま屋やの手てからは逭れた筈はずであるが、すぐまたべつの日済ひなし貸かしから銭ぜにを借かりるだろう。そしてその、僅わずかな借銭しゃくせんに付つく高利こうりのために、同おなじような苦くるしいめにあうにちがいない。

「あたしも十じゅう二、三にさんまでは仕合しあわせに育そだった」とおしのは呟つぶやいた、「店みせは繁昌はんじょうしているし、お父ちちつぁんはもとより、みんなから大事だいじにされ、可愛かわいがられて、なんの不ふ自由じゆうも苦労くろうもなく育そだった、――けれども、それはあたしがなにも知しらなかったからだ、あたしがきれいに着飾きかざって、おっ母ははさんといい気持きもちに芝居しばいや寄席よせへゆき、春はる、秋あきの遊山ゆさんをたのしんでいたとき、お父ちちつぁんは独ひとりで、誰だれにうちあけようもない辛つらいおもいに苦くるしんでいた、財産ざいさんもあり、しょうばいは繁昌はんじょうし、人ひとに羨うらやまれるようなむさし屋やの主人しゅじんが、本当ほんとうはどんな貧乏びんぼうな人ひとより貧まずしく、どんな不仕合ふしあわせな人ひとよりも不仕合ふしあわせだった」

世間せけんはこんなものなのだろうか、とおしのは思おもった。

幸福こうふくでたのしそうで、いかにも満みち足たりたようにみえていても、裏うらへまわると不幸ふこうで、貧まずしくて、泣なくにも泣なけないようなおもいをしている。世間せけんとは、本当ほんとうはそういうものなのかもしれない。――そうだとすれば、おっ母ははさんのような人ひとはいっそう赦ゆるすことができない。心こころでは救すくいを求もとめて泣なき叫さけびたいようなおもいをしながら、それを隠かくしてまじめに世渡よわたりをしている人ひとたち。そういう人ひとたちの汗あせや涙なみだの上うえで、自分じぶんだけの欲よくやたのしみに溺おぼれているということは、人殺ひとごろしをするよりもはるかに赦ゆるしがたい悪事あくじだ。

「ああ」とおしのは呻うめいた。

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