← Library‹ 五瓣の椿 第六話 二

女中じょちゅうが茶ちゃを替かえに来きたとき、おしのは窓框まどがまちに肱ひじを掛かけ、その上うえに顔かおを伏ふせたまま、眠ねむったような恰好かっこをしていた。

「まあ、どうなさいました」と女中じょちゅうが坐すわりながら声こえをかけた、「障子しょうじをあけたままで、うたた寝ねなどをなすっていると、お風邪かぜをひいてしまいますよ」

「火事かじを見みていたのよ」と云いっておしのは顔かおをあげた、「そうしたらなんだか気持きもちが悪わるくなってしまって」

「まったく怖こわうござんすからね」女中じょちゅうは茶ちゃを淹いれ替かえながら云いった、「でももう消きえましたでしょう、お武家ぶけ屋敷やしきでようございました、なんて申もうしては悪わるうございましょうけれど、こんな年としの瀬せになって町家まちやが焼やけでもしたら、それこそみじめでございますからね」

「そうね」おしのはぼんやりと云いった、「お武家ぶけなら御ご領地りょうちもあるし、――」

女中じょちゅうはむろん聞きいてもいない、茶ちゃをすすめてから、「お伴つれさまはおそうござんすのね」と云いった。おしのはやはりぼんやりした口くちぶりで、あの火事かじで道みちを塞ふさがれたのではないか、と答こたえた。

「そんなことかもしれませんね」女中じょちゅうは炬燵こたつの火ひをみてから、立たちあがりながらおしのの横顔よこがおを見みた、「――そろそろお支度したくを致いたしましょうか」

おしのはそうして下くださいと答こたえた。

火事かじは消きえていた。飛とび火ひはせず、その武家ぶけ屋敷やしきだけで済すんだらしい。焼やけ落おちた建物たてもののかがりが、ぼっと赤あかく、余あまり煙けむりを染そめているだけで、やかましかった物音ものおとや人声ひとごえも、もうこっちまでは聞きこえて来こなかった。すると、にわかに寒さむさがしみるように感かんじ、おしのは障子しょうじを閉しめて、炬燵こたつのほうへ戻もどった。

女中じょちゅうが酒さけの支度したくをして来きた。火鉢ひばちに燗鍋かんなべ、徳利とっくりに角樽つのだる、それから盃さかずきだけのせた膳ぜん。それらを運はこんでいるうちに源次郎げんじろうが来きた。云いい訳わけをせきこんで云いいながら、額がくの汗あせを拭ふき、古渡こわたり更紗さらさの手提てさげ袋ふくろをあけて、桐きりの小箱こばこを出だしておしのの前まえに置おいた。

「これが出来できるのを待まっていたんでね」と彼かれは炬燵こたつへははいらずに、火鉢ひばちの側そばへ坐すわって云いった、「気きにいるかどうか、あけて見みてごらん」

「あとで――」と振ふり向むいて、おしのは女中じょちゅうに云いった、「お膳ぜんを持もって来きて下くださいな」

「怒おこってるのかい」と源次郎げんじろうが訊きいた。

「いろいろ考かんがえて、考かんがえくたびれたところなんです」

「私わたくしたちのことをかい」

「いろいろなこと」と云いって、おしのはこわいような横眼よこめで彼かれを見みた、「たとえば、――あなたがよろず町まちのお家いえへ帰かえって、おかみさんやお子こたちとどんなふうにたのしく話はなしたり笑わらったりなさるか」

「ちょっと」源次郎げんじろうは片手かたてをあげた、「冗談じょうだんじゃない、いまじぶんになってそんな」

「いま初はじめてじゃありません、あなたと逢あうようになってから別わかれたあとはいつでもそのことが胸むねに閊つかえて、独ひとりで寝ねながらどんなに苦くるしかったかしれやしません」

「だってそれは、そんなことはよく承知しょうちの上うえの筈はずじゃないか」

「もちろん承知しょうちの上うえよ、だからこれまで一いち度どだってこんなこと云いったためしはないでしょ、いまだってあなたを責せめているわけじゃありません、悪わるいのはあたしですもの、ただこのごろ、ふっとすると淋さびしくなって、自分じぶんが可哀かわいそうに思おもえてしかたがないんです」

「女中じょちゅうが来くるよ」と彼かれが囁ささやいた。

女中じょちゅうがはいって来き、炬燵こたつ蒲団ふとんの上うえへ平たいらの膳ぜんを置おいた。二人ふたり前まえの汁しるや鉢はちや皿さらの物ものが並ならべてあり、源次郎げんじろうが「あとはいいよ」と云いった。女中じょちゅうが去さると、彼かれは手てまめに角樽つのだるの酒さけを片口かたくちへ移うつしたり、それを徳利とっくりに入いれて、燗鍋かんなべの中なかへ立たてたりしながら、おしのの気きを変かえようとしてやっきになった。

「私わたくしこそおよねさんに怨うらみが云いいたいよ」と彼かれは燗鍋かんなべの下したの炭火すみびをあらけながら、調子ちょうしを変かえて云いった、「これだけ長ながいあいだ逢あっていながら、いつもうまく躰たいを躱かわされておあずけばかりだ、このあいだの伊賀いが正ただしのときだってそうだろう」

「あたしの罪つみじゃありませんわ」

「まさか置おいてきぼりとは知しらないから、いい気きになって飲のみながら待まっていた、女中じょちゅうの手前てまえだって恥はずかしい、すっかり汗あせをかいちまったよ」

「あれはあたしの罪つみじゃなくってよ」とおしのは云いった、「出でていってみたらおつるさんていう人ひと、小ちいさな子こを二人ふたり伴つれてしょんぼり立たってるじゃないの、広ひろい土間どまの隅すみのところで、片手かたてで五いつつになる子こを抱だきよせ、背中せなかの子こを肩かたで揺ゆりながら、頼たよりなげに立たっているのを見みたら、どうしてもそのままではおけなかったのよ」

「そのままではおけなかったって」

おしのは頷うなずいた、「あたしおつるさんの話はなしを聞きいたわ」

「そんな、ばかなことを」

「ばかなことなもんですか、あたしにはいい薬くすりでしたよ」とおしのは云いった、「あの人ひとの話はなしを聞きいて、あたし初はじめて自分じぶんのゆく末すえのことを考かんがえました、おつるさんもあなたに妻子さいしのあることを知しっていて、そうなった、だから自分じぶんが仕合しあわせになるだろう、などと考かんがえるのは間違まちがっています、男おとこは口くちではどんな約束やくそくもするでしょう、けれどもその約束やくそくは信しんじてはいけない、妻子さいしのある男おとこがほかの女おんなにゆく末すえのことを約束やくそくして、もしもその約束やくそくを守まもったとしたら、もとの妻つまや子こたちを不仕合ふしあわせにするでしょう、ひとを不仕合ふしあわせにして自分じぶんが仕合しあわせになろう、などと考かんがえるのは、間違まちがっているばかりではなく人ひとでなしと云いってもいいと思おもいます」

「ちょっと、ちょっと待まってくれ」と源次郎げんじろうは徳利とっくりを出だしながら云いった、「寺子てらこ屋やで孝経こうきょうの話はなしでもするような、そんなやぼなことを云いうのはよそうじゃないか、それとも、――今夜こんやはその手てではぐらかそうというつもりか」

「いいえ」おしのはかぶりを振ふった、「今夜こんやは逃にげも隠かくれもしません、今夜こんやは覚悟かくごをして来きたんです」

「そんな大おおげさなことを」と云いって彼かれは盃さかずきを取とっておしのにさした、「とにかく一ひとついくとしよう」

おしのは注そそがれた盃さかずきを膳ぜんの上うえに置おき、源次郎げんじろうに酌しゃくをしてやった。

「あたしおつるさんに、国許くにもとへ帰かえるように云いいました」いちど置おいた盃さかずきを持もって、それをみつめながらおしのは続つづけた、「少すくないけれど持もたせる物ものを持もたせてあげましたから、もうあなたに心配しんぱいをかけるようなことはないでしょう、今日きょうあたりは常陸ひたちのどこやらとかいう、故郷こきょうへ帰かえっているかもしれません」

「持もたせる物ものって、金かねでもやったんですか」

「あなたは関係かんけいのないこと」と云いって、おしのは盃さかずきの酒さけをきれいに飲のみほした。

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