彼はいつものぶっきらぼうな調子で、だがすべてを隠さずに話した。それから包を解いて「大留」の看板を出し、これで五百両貸してもらいたいと云った。久兵衛は黙って聞いていて、聞き終ってからもゆっくりと茶を啜りながら、茂次の話を吟味するかのように、かなり長いこと考えていた。
「一つ訊くが」とやがて久兵衛が云った、「高輪やあべ川町とのことはわかったが、私のところへ来たのはどういう気持なんだね」
「こちらは質屋でしょう」と茂次は云った、「あっしはこれをかたに金を借りる、旦那はこれをかたに金を貸す、――むろん貸してくれてのはなしだが、この貸し借りはしょうばいだから、はっきりけじめがつくと思うんです」
まるで「大留」の看板が、どこでも五百両のかたになる、と信じきっているような口ぶりであった。
「いいだろう、御用立てしましょう」と久兵衛は云った、「だが茂次さん、この金には利息が付きますよ」
「もちろんそのつもりです」
久兵衛は立っていった。
明くる朝、助二郎が出て来ると、茂次は五百両の金を渡し、二人で必要な入費の割振りをした。そして大六が来るとすぐに、吉川町の手配をするように云い、自分は二百両持って、木場の「和七」へでかけていった。こうして三日後には吉川町の再普請を始めたが、それから十日あまり、茂次は弁当持ちで普請場へゆき、手が足りないとみると自分でも鑿や鉋を持ったし、材木を動かすのに肩を貸したりした。また、このあいだに倉太と銀二の法事もやった。ほんのかたちだけの七十五日だったが、二人の親たちを招き、精進料理で酒を出し、経料として二両ずつ包んで渡した。――茂次は二人を自分の両親と共死にさせたことを詫び、かれらはまた、親方の葬式も済まないのに自分たちの伜の法事をしてもらったことをよろこび、くり返し礼を述べた。
その夜のことであるが、夜具をのべに来たおりつが、ひどくつんけんしているし、顔も蒼白く硬ばってみえるので、茂次は不審に思い、どうしたのか、と訊いた。
「なにがです」とおりつはたいそうな切り口上で云った、「あたしがどうかしたんですか」
茂次はかっとなり、立ちあがってゆくと、いきなりおりつに平手打ちをくれた。おりつの頬で高い音がし、茂次が云った。
「なんでもねえならそんなふくれっ面をするな」
おりつは打たれた頬へ手をやりながら、口をあけて茂次を見た。その大きくみはられた眼を見ると、茂次は急に、自分が殴られでもしたような、びっくりした顔になり、「わるかった」と云いながら脇へそむいた。
「済まなかった、気が立ってたんだ」と彼はぶきように云った、「いろいろ事が重なっているもんだから、――勘弁してくれ」
「あたしにあやまることはないわ」とおりつがふるえながら云った、「あやまるんなら、仏さまにあやまってちょうだい」
茂次はゆっくりとおりつを見た。
「仏に、――どうしろって」
「あんたを、棟梁を怒らせたのはあたしよ、ぶたれるのはあたりまえだからなんとも思やしないわ、でも、――」おりつは前掛で顔を掩い、そこへ坐りながら云った、「倉さんや銀さんの法事をしてあげるのに、どうして親方やおかみさんをあのままにしておくんですか」
茂次は「そのことは云うな」と云いながら、のべてある夜具の脇へ坐った。
「いいえ云います」とおりつは前掛を膝の上へおろしながら云った、「あなたは仏壇に構うなと云って閉めたまま、お線香も水もあげないし、命日が来ても供養もしない、そんなことってありますか、あの仏壇の中にあるのは、あなたのふた親のお骨ですよ、葬式も出さず、お寺へも預けないんなら、せめてお盛物をあげるとか、燈明やお線香ぐらいあげるのがあたりまえじゃないの、――それさえもしないでいて、倉さんや銀さんの法事をするなんてあんまりだわ、それじゃあお父さんやおっ母さんに対してあんまりじゃないの」
おりつはまた前掛で顔を掩い、肩をふるわせて嗚咽した。茂次は頭を垂れ、暫くおりつのすすり泣く声を聞いていた。
「これだけは黙っているつもりだったが、云っちまおう」とやがて茂次が低い声で云った、「おれが仏壇を閉めたままにして置くのは、おやじやおふくろを仏あつかいにしたくないからだ」
おりつの嗚咽が止った。
「ばかげた子供っぽい考えかたかもしれないが、おれにはどうしても、おやじやおふくろが死んだものとは思えない、あそこに骨壺が二つあるからには、死んだことに紛れはないだろう、生きているとは思わないが、仏になってもらいたくはないんだ、おれが大留を立て直すまで、元のおやじとおふくろのままで、あそこからおれを見ていてもらいたいんだ、――こんなことは世間にはとおらないだろう、仏をそまつにすると云われるだろうが、誰になんと云われてもいい、おれはそのときがくるまで、決して二人を仏あつかいにはしないつもりだ」
おりつはうっと喉を詰らせ、けんめいに泣くのをこらえながら、「ごめんなさい」とよろめくように云った。
「よけえなことを云ってごめんなさい、あたしなんにも知らなかったもんだから」
「わかればいいんだ」と茂次が遮った、「しかしこれだけは決して饒舌らねえでくれ」
「ええ」とおりつは頷き、前掛で眼を拭きながら云った、「――でも、そういうわけだったら、なにもお住持さんのわるくちを云うことはなかったじゃありませんか」
「口の悪いのは生れつきだ」と云って茂次はおりつを見た、「殴ったりしてわるかった、勘弁してくれ」
おりつは泣いて腫れぼったくなった眼で彼に頬笑み、それから云った、「――これで二度めよ」
十二月にはいると、まず明神下の酒問屋の普請があがり、ついで岩槻町のほうも仕上った。そのまえに魚万の再普請の話が伝わったためだろう、普請の申込が次から次と来たが、茂次は七軒長屋五つ棟と、小島町の紙問屋と二つの普請だけ請負った。長屋のほうはすぐ近くの松枝町で「大留」の仕事ではないと、大六たちに反対されたが、家がなくて困るのは長屋に住む人間だ、と茂次ははねつけた。
明神下と岩槻町があがるとすぐに、茂次は二百両持って「福田屋」へゆき、借りた内金に入れてくれと云った。久兵衛は受取らなかった。そういそぐ必要はないし、返すなら五百両そろえて返してくれ、と久兵衛は云った。茂次はちょっと考えていたが、預けた看板の包を出してもらい、その中へ二百両を包んで「このまま預かっておいて下さい」と云って渡した。
「だが、――」と久兵衛は不審そうに訊いた、「当分はまだ金が必要じゃあないのかい」
「気がゆるむといけねえから」と茂次が云った、「まあ、緊めてやってゆくつもりです」
そして、茂次はてれくさそうに、立ちあがった。