← Library‹ ちいさこべ 十一

大晦日おおみそかと三さんガ日にちを休やすんだだけで「大おお留とめ」には暮くれも正月しょうがつもないようであった。吉川よしかわ町まちの普請ふしんはできる限かぎり手てを集あつめてやったが、暮くれいっぱいには仕上しあがらず、そのため茂次しげじは元旦がんたんに休やすんだだけで、二ふた日かから正吉しょうきちと松三まつぞうを伴つれて普請ふしん場じょうへかよった。大おお六ろくや助じょ二郎じろうたちは知しらなかったろうが、左官さかん屋やや建具たてぐ屋やなどの仕事しごとで、自分じぶんたちに手伝てつだえることをなんでもやった。

「この仕事しごとがあがったら休やすみをやるからな」と茂次しげじは二人ふたりに云いった、「せっかくの正月しょうがつだががまんしてくれ」

くろは父親ちちおやが病気びょうきだそうで、暮くれの二十にじゅう八はち日にちから、本所ほんじょにある自分じぶんの家いえへ帰かえっていた。親おやの病気びょうきというのは口実こうじつで、もう「大おお留とめ」へ戻もどるつもりはないらしい。いつまでもいちにんまえの扱あつかいをしてもらえないので、自分じぶんで手間取てまどりでも始はじめる気きになったのだろう。茂次しげじは「ばかな野郎やろうだ」と云いっただけであった。

二十はつ日かに「魚ぎょ万よろず」の普請ふしんが仕上しあがった。茂次しげじは万ばん兵衛ひょうえから祝いわいの席せきへ招まねかれたが、大だい六ろくを代かわりにやり、正吉しょうきちと松三まつぞうには七なな日間かかんの休やすみをやった。そしておりつに、おまえも芝居しばいにでもいって来きたらどうだ、とすすめたが、おりつは相手あいてにしないで、棟梁とうりょうこそ息抜いきぬきにでかけるがいいと云いった。

「仕事しごとに追おわれづめ、うちにいづめでは躯むくろに障さわってよ、気きばらしにどこかへいってらっしゃいな」

「年寄としよりみてえに云いやあがる」と茂次しげじは云いった、「おれはうちで寝ね正月しょうがつだ」

それこそ年寄としよりみたようだ、とおりつは云いったが、顔かおにはそれをよろこんでいる気持きもちがあらわれていた。――茂次しげじは云いったとおり、まる二ふた日かうちにこもっていた。部屋へやに夜具やぐを敷しいたままで、食休しょくやすみをするとすぐ横よこになり、合巻本ごうかんぼんを読よんだり、眠ねむったりした。

二ふた日かめの夕方ゆうがた、うとうとしていると、戸口とぐちで高たかい人声ひとごえがするので眼めをさました。子供こどもの泣なき声ごえもするし、男おとこのしゃがれた太ふとい声こえで、「ぬすっと」と云いうのも聞きこえた。茂次しげじは起おきあがり、平ひらぐけをしめ直なおして出でていった。入口いりぐちの土間どまに男おとこが三さん人にん、重吉じゅうきちはその一人ひとりに捉つかまえられて泣ないており、おりつがしきりにあやまっていた。男おとこの一人ひとりは二に丁目ちょうめの八百はっぴゃく徳とく、一人ひとりは自身じしん番ばんの平助へいすけ、一人ひとりは商人しょうにんふうの中年ちゅうねん者しゃで、これは知しらない顔かおだった。

茂次しげじはそこへいって、どうしたんだ、とわけを訊きいた。重吉じゅうきちが八百はっぴゃく徳とくの店先みせさきで蜜柑みかんを取とったのだ、とおりつが答こたえた。

「私わたくしが証人しょうにんです」と商人しょうにんふうの男おとこが云いった、「とおりがかりに見みると、この子こが蜜柑みかんをぬすんでいるものだから、私わたくしが捉つかまえたんですよ」

茂次しげじは詫わびを云いった。八百屋やおやの徳二郎とくじろうは茂次しげじより一ひとつ年上としうえで二に年ねんまえに嫁よめを貰もらい、もう女おんなの子こが一人ひとりあるが、小ちいさいじぶんはよく遊あそんだし、喧嘩けんかもしたものである。稼業かぎょうが違ちがうから親したしいつきあいはないが、いまでも会あえば立たち話ばなしくらいはするあいだがらであった。――だが茂次しげじはいま言葉ことばに折おり目めをつけて詫わびた。自分じぶんたちの躾しつけがゆき届とどかなかった、むろん蜜柑みかんの代だいは払はらうし、これからはよく気きをつける。そうあやまっていると、徳二郎とくじろうが遮さえぎった。

「棟梁とうりょうのおめえにあやまられてもしようがない」と徳二郎とくじろうは云いった、「おめえの子こというわけじゃあなし、それに一いち度どや二に度どじゃあないらしいんだ、こういうがきはたちが悪わるくっていけねえから、おらあもう自身じしん番ばんに任まかせることにしたんだ」

茂次しげじは平助へいすけに振向ふりむいて、「子供こどもを放はなせ」と云いった。重吉じゅうきちを捉つかまえていた平助へいすけは、困こまったように徳二郎とくじろうを見みた。茂次しげじはまた「放はなせ」と云いい、平助へいすけが手てを放はなすと、おりつに「あっちへ伴つれてゆけ」と云いった。重吉じゅうきちは泣なきじゃくりをしながら、おりつといっしょに奥おくへ去さり、上あがり框がまちに蜜柑みかんが二ふたつ残のこった。

「いま誰だれかぬすっとって云いったな」と茂次しげじは三さん人にんの顔かおを見比みくらべた、「――誰だれだ」

平助へいすけが口くちの中なかで不ふ明瞭めいりょうになにか呟つぶやいた。自分じぶんが云いったというのであろう、茂次しげじは彼かれを無視むしして徳二郎とくじろうを見みた。

「おい徳とくさん、おめえいまこういうがきはたちが悪わるいと云いったが、子供こどもはみんな同おなじこったぜ」と茂次しげじはつかえつかえ云いった、「おれだって小ちいさいじぶんには、火鉢ひばちの抽出ひきだしからおふくろの小銭こぜにをくすねたことがある、土堤どてい前まえにあった絵え草紙そうし屋やの店みせで絵本えほんをぬすんだこともあった、大おおなり小こなり、なかまはたいてえやった、おめえだってそんな覚おぼえが二に度どや三さん度どねえこたあねえだろう、それとも忘わすれてるんなら、おれが思おもいださせてやってもいいぜ、どうだ、そんなことは一いち度どもなかったか」

徳二郎とくじろうはむっとしてやり返かえした、「それとこれとは話はなしが違ちがうだろう」

「たしかに違ちがう」と茂次しげじが頷うなずいた、「おれたちには親おやもあり家やもあった、だから一いち度どだってぬすっとなんて云いわれたことはない、この子供こどもたちは家いえを焼やかれ、親おやきょうだいにも死しに別わかれて、他人たにんのおれの手てにかかってる、それだけの違ちがいはあるが、子供こどもということに変かわりはねえし、子供こどもはたいてえいちどはこういう年としごろをとおるんだ、おらあ口くちがへただからうまく云いえねえが」茂次しげじはもどかしさのあまり赤あかくなった、「自分じぶんが不ふ自由じゆうしていなくっても、ひょいと人ひとの物ものに手てを出だしてみたくなる、そういう年としごろが子供こどもにはあるんだ、誰だれにだって二に度どや三さん度どは覚おぼえのあるこった、もちろん、それだからいいとは云いやあしねえが、ぬすっとだとか自身じしん番つがへ渡わたすなんていうのはあんまりだ、あんまり人情にんじょうがなさすぎるとは思おもわねえか」

三さん人にんはなにも云いわなかった。

「こう云いっても承知しょうちできねえんならおれが出でよう」と茂次しげじは云いった、「躾しつけがゆき届とどかなかったのはおれの責任せきにんだ、自身じしん番ばんでもどこへでもおれを突つき出だしてくれ、だが子供こどもは渡わたさねえ、誰だれが来きたって、子供こどもだけは渡わたしゃあしねえから」

「わかったよ」と徳二郎とくじろうが云いった、「おめえがそういう気持きもちならいいんだ、おらあただ、子供こどものためにもと思おもったもんだから」

「わかってくれりゃあいいんだ、つまらねえおだをあげて済すまなかった」と茂次しげじは穏おだやかに云いった、「蜜柑みかんの銭ぜにはすぐに届とどけるから勘弁かんべんしてやってくれ」

済すまなかった、と茂次しげじはくり返かえし、三さん人にんは出でていった。番太ばんたの平助へいすけは気きまずそうに、口くちの中なかでもごもご云いい、片手かたてで頭あたまを押おさえながらとびだし、商人しょうにんふうの中年ちゅうねん者しゃは眼めをそむけたまま、逃にげるように出でていった。

かれらを見送みおくってから、茂次しげじは子供こども部屋へやの障子しょうじをあけた。すぐそこにおりつが立たっており、暗くらくなった向むこうの隅すみに、子供こどもたちがかたまっていた。

「ごめんなさい」とおりつが彼かれの眼めをみながら囁ささやいた、「あたしが悪わるかったのよ」

茂次しげじは子供こどもたちのほうへいった。子供こどもたちは互たがいに倚よりかたまって、怯おびえたように茂次しげじを見みあげた。あっちゃんは市しに肩かたを抱いだかれ、重吉じゅうきちは蒼白あおじろくひきつった顔かおで、ほかの者ものもみな硬こわばった顔かおつきで茂次しげじを見みあげ、かたずをのんでいた。

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