大晦日と三ガ日を休んだだけで「大留」には暮も正月もないようであった。吉川町の普請はできる限り手を集めてやったが、暮いっぱいには仕上らず、そのため茂次は元旦に休んだだけで、二日から正吉と松三を伴れて普請場へかよった。大六や助二郎たちは知らなかったろうが、左官屋や建具屋などの仕事で、自分たちに手伝えることをなんでもやった。
「この仕事があがったら休みをやるからな」と茂次は二人に云った、「せっかくの正月だががまんしてくれ」
くろは父親が病気だそうで、暮の二十八日から、本所にある自分の家へ帰っていた。親の病気というのは口実で、もう「大留」へ戻るつもりはないらしい。いつまでもいちにんまえの扱いをしてもらえないので、自分で手間取りでも始める気になったのだろう。茂次は「ばかな野郎だ」と云っただけであった。
二十日に「魚万」の普請が仕上った。茂次は万兵衛から祝いの席へ招かれたが、大六を代りにやり、正吉と松三には七日間の休みをやった。そしておりつに、おまえも芝居にでもいって来たらどうだ、とすすめたが、おりつは相手にしないで、棟梁こそ息抜きにでかけるがいいと云った。
「仕事に追われづめ、うちにいづめでは躯に障ってよ、気ばらしにどこかへいってらっしゃいな」
「年寄りみてえに云やあがる」と茂次は云った、「おれはうちで寝正月だ」
それこそ年寄りみたようだ、とおりつは云ったが、顔にはそれをよろこんでいる気持があらわれていた。――茂次は云ったとおり、まる二日うちにこもっていた。部屋に夜具を敷いたままで、食休みをするとすぐ横になり、合巻本を読んだり、眠ったりした。
二日めの夕方、うとうとしていると、戸口で高い人声がするので眼をさました。子供の泣き声もするし、男のしゃがれた太い声で、「ぬすっと」と云うのも聞えた。茂次は起きあがり、平ぐけをしめ直して出ていった。入口の土間に男が三人、重吉はその一人に捉まえられて泣いており、おりつがしきりにあやまっていた。男の一人は二丁目の八百徳、一人は自身番の平助、一人は商人ふうの中年者で、これは知らない顔だった。
茂次はそこへいって、どうしたんだ、とわけを訊いた。重吉が八百徳の店先で蜜柑を取ったのだ、とおりつが答えた。
「私が証人です」と商人ふうの男が云った、「とおりがかりに見ると、この子が蜜柑をぬすんでいるものだから、私が捉まえたんですよ」
茂次は詫びを云った。八百屋の徳二郎は茂次より一つ年上で二年まえに嫁を貰い、もう女の子が一人あるが、小さいじぶんはよく遊んだし、喧嘩もしたものである。稼業が違うから親しいつきあいはないが、いまでも会えば立ち話くらいはするあいだがらであった。――だが茂次はいま言葉に折り目をつけて詫びた。自分たちの躾がゆき届かなかった、むろん蜜柑の代は払うし、これからはよく気をつける。そうあやまっていると、徳二郎が遮った。
「棟梁のおめえにあやまられてもしようがない」と徳二郎は云った、「おめえの子というわけじゃあなし、それに一度や二度じゃあないらしいんだ、こういうがきはたちが悪くっていけねえから、おらあもう自身番に任せることにしたんだ」
茂次は平助に振向いて、「子供を放せ」と云った。重吉を捉まえていた平助は、困ったように徳二郎を見た。茂次はまた「放せ」と云い、平助が手を放すと、おりつに「あっちへ伴れてゆけ」と云った。重吉は泣きじゃくりをしながら、おりつといっしょに奥へ去り、上り框に蜜柑が二つ残った。
「いま誰かぬすっとって云ったな」と茂次は三人の顔を見比べた、「――誰だ」
平助が口の中で不明瞭になにか呟いた。自分が云ったというのであろう、茂次は彼を無視して徳二郎を見た。
「おい徳さん、おめえいまこういうがきはたちが悪いと云ったが、子供はみんな同じこったぜ」と茂次はつかえつかえ云った、「おれだって小さいじぶんには、火鉢の抽出からおふくろの小銭をくすねたことがある、土堤前にあった絵草紙屋の店で絵本をぬすんだこともあった、大なり小なり、なかまはたいてえやった、おめえだってそんな覚えが二度や三度ねえこたあねえだろう、それとも忘れてるんなら、おれが思いださせてやってもいいぜ、どうだ、そんなことは一度もなかったか」
徳二郎はむっとしてやり返した、「それとこれとは話が違うだろう」
「たしかに違う」と茂次が頷いた、「おれたちには親もあり家もあった、だから一度だってぬすっとなんて云われたことはない、この子供たちは家を焼かれ、親きょうだいにも死に別れて、他人のおれの手にかかってる、それだけの違いはあるが、子供ということに変りはねえし、子供はたいてえいちどはこういう年ごろをとおるんだ、おらあ口がへただからうまく云えねえが」茂次はもどかしさのあまり赤くなった、「自分が不自由していなくっても、ひょいと人の物に手を出してみたくなる、そういう年ごろが子供にはあるんだ、誰にだって二度や三度は覚えのあるこった、もちろん、それだからいいとは云やあしねえが、ぬすっとだとか自身番へ渡すなんていうのはあんまりだ、あんまり人情がなさすぎるとは思わねえか」
三人はなにも云わなかった。
「こう云っても承知できねえんならおれが出よう」と茂次は云った、「躾がゆき届かなかったのはおれの責任だ、自身番でもどこへでもおれを突き出してくれ、だが子供は渡さねえ、誰が来たって、子供だけは渡しゃあしねえから」
「わかったよ」と徳二郎が云った、「おめえがそういう気持ならいいんだ、おらあただ、子供のためにもと思ったもんだから」
「わかってくれりゃあいいんだ、つまらねえおだをあげて済まなかった」と茂次は穏やかに云った、「蜜柑の銭はすぐに届けるから勘弁してやってくれ」
済まなかった、と茂次はくり返し、三人は出ていった。番太の平助は気まずそうに、口の中でもごもご云い、片手で頭を押えながらとびだし、商人ふうの中年者は眼をそむけたまま、逃げるように出ていった。
かれらを見送ってから、茂次は子供部屋の障子をあけた。すぐそこにおりつが立っており、暗くなった向うの隅に、子供たちがかたまっていた。
「ごめんなさい」とおりつが彼の眼をみながら囁いた、「あたしが悪かったのよ」
茂次は子供たちのほうへいった。子供たちは互いに倚りかたまって、怯えたように茂次を見あげた。あっちゃんは市に肩を抱かれ、重吉は蒼白くひきつった顔で、ほかの者もみな硬ばった顔つきで茂次を見あげ、かたずをのんでいた。