大六はそれから三度、江戸のようすを見にいって来た。
町内では質両替商の「福田屋」が焼け残った。あるじの久兵衛は五人組を勤めているし、資産の点でも人望の点でも、神田では指折りであった。長男の利吉は茂次と同年の二十三で、その下におゆうという十七になる妹がいる。二人とも茂次とは幼な馴染であり、いまでも親しいつきあいが続いていた。店は角地で、土蔵が三棟あるし、前が掘割の土堤、北側が道を隔てて武家の小屋敷になっている。そういう地の理が幸いしたのかもしれないが、その隣り町の小屋敷の一画と、福田屋だけは焼け残った。
「いちめんの焼け跡で不用心だからと、奥の人たちはまだ目白の親類のほうにいるそうですが、店はもうあけていました」
「そいつはよかった」と茂次は云った。
大留も焼け跡へ小屋を建てていた。
火事では留造夫婦といっしょに、倉太、銀二という二人の弟子が死んだが、くろは助二郎の家へ手伝いにいっていて助かった。助二郎はかよいで大留の帳場をしており、年は四十五歳、妻のおろくとのあいだに子供が三人ある。家は下谷の御徒町で、くろはその家の勝手口を直すために、泊りこんでいたのだという。――出入りの職人にも二人ばかり焼死者があったが、ほかの者はすぐに駆けつけて来、木場の「和七」と相談のうえ、大留の再建にかかった。
和七の先代のあるじは和泉屋七兵衛といって、死んだ留造のために、潰れかかった木場の店を二度も救われたことがあり、生涯それを深く恩にきていた。いまの七兵衛はその子であるが、父親の遺志を継ぐ気持だろう、自分でやって来て「材木のほうは手を打った、必要なら幾らでもまわす」と云い、とりあえず仮小屋を建てることになった、ということである。
三度めにいって来た大六は、普請の注文が三つあり、助二郎が采配を振って、すでに職人や木の割当てをつけたと語った。それから、仮小屋にはくろのほかに、焼けだされた弟子筋の職人が三人、仕事の関係で泊りこんでいること、その世話をするために、女を一人雇ったことなどを告げた。茂次はうんうんと聞くだけだったが、大六はそこで、ちょっと頭を掻きながら口ごもった。
「なんだ」と不審そうに茂次が訊いた。
「おりつっていう娘を知ってますか」と大六が云った、「炭屋の裏長屋にいて、おふくろがうちの店へ手伝いに来ていた」
「知ってるよ」と茂次が云った。
「雇ったのはあの娘なんだ」
茂次は大六の顔を見た、「――あれは、どこかの茶屋奉公に出てたんじゃないのか」
「並木町の天川だったそうだが」と大六は答えた、「それがじつは、おふくろが、やっぱりあの火事で焼け死んじまったそうで、すっかり途方にくれてるような按配だったもんだから」
「おいくも焼け死んだって――」茂次は遠くを見るような眼つきをした、「そいつは可哀そうに」
「それでもう、茶屋奉公をするはりあいもないし、できるなら生れた町内で堅気なくらしがしたい、みなさんの食事ごしらえや洗濯なんか引受けるから、と云うもんでね」
「わかった、おりつならいいだろう」
「あっしもそう思ったんだが」
茂次はまた大六の顔を見た、「――なにを云いそびれてるんだ」
「べつに云いそびれてるわけじゃあねえが」と大六はまた頭を掻いた、「じつは、こんどいってみると、あの娘が子供を集めて面倒をみているんだ、火事にあって、親きょうだいをなくした子供たちなんだが」
「それで」と茂次がじれったそうに促した。
「それでつまり、一人や二人ならいいけれども、十二三人にもなっちまってるんで」
「だめだ」と茂次は首を振った、「そんなばかなことができるもんか、追いだしちまえ」
大六は困惑したようすで、それがそうはいかない、娘が理屈を云って、どうしても承知しないのだと云った。
「あいつは昔からおせっかいなやつだった」と茂次が云った、「よし、うっちゃっとけ、おれが帰ったら片づけてやる」
波津音の普請は十月はじめに終った。
このあいだに二人、高輪の「大伊」と浅草あべ川町の兼六が川越まで弔問に来た。大伊の伊吉は亡き留造の弟分で、茂次は小さいじぶんから「高輪のおじさん」と呼んでいた。兼六は「大留」から出た人間で、弟子筋ではいちばん古参であり、年ももう六十にちかかった。二人とも留造夫婦の死にくやみを述べ、茂次が仕事場からはなれなかったことを褒めた。それから、葬式のことや、大留の再建について相談にのろうと云った。茂次はふだんから口がへたで、なにか云うにしても、まるで枯枝でも折るような、ぶっきらぼうなことしか云えなかったが、そのときもいつもの伝で、弔問には礼を述べたが、相談にのろうというはなしは断わった。
「葬式は当分ださないつもりです」と茂次は云った、「そんな金もないし、あれば仕事のほうへまわすのが先です」
「だからその相談をしようと思って来たんだ、金のことならなんとでもするから」
「いや、葬式は当分だしません」と茂次は頑固に首を振った、「それに、大留をたて直すにしても自分の腕でやってみるつもりです、どうか私のことはうっちゃっといて下さい」
二人は茂次の性分を知っているので、それでは江戸でまた改めて話すことにしよう、と云って帰った。大六はこの問答をはらはらしながら聞いていたが、二人が去るとすぐに、あんな挨拶はないと怒った。
「相手にもよりけりだ、高輪とあべ川町は親類も同様ですぜ、わざわざこんな川越くんだりまで来てくれて、ゆくさき力になろうと云うのはあだやおろそかなことじゃあねえ、それをあんな」
「うるせえ」と茂次が遮った、「おれにはおれの思案があるんだ、はっきり云っとくが、これからは仕事のこと以外によけいな口だしはしねえでくれ」
大六は黙って頭を垂れた。
「わかったのか」と茂次が云った。
「わかりました」と大六は答えた。
普請がすっかり終り、茂次はみんなを伴れて江戸へ帰った。
板橋で日が暮れ、本郷台を外神田へくだるときは、もう暗くて眺望はきかなかったが、湯島から下はいちめんに黒く、灯もごくまばらで、いかにも荒涼としたけしきだった。和泉橋を渡って岩井町へ着くまで、どちらを見ても焼け跡ばかりだったし、表通りだけぽつぽつ建っている家も、みな仮小屋か、それにちかいざつな建物であった。
大留の店は元の場所だが、本普請をする地面をよけて、二丁目のほうへ寄った端に建ててあった。板を打付けて作ったまったくの仮小屋で、横に長く、佐久間町のほうへ向って戸口があり、「大留」と書いた提灯が、まわりの焼け跡に明るく光りを投げていた。松三の先触れで、戸口の前に立っていた出迎えの者たちが、われ勝ちに挨拶するのを聞きながら、茂次は口の中でそっと呟いた。
「お父っつぁんおっ母さん、いま帰りました」