← Library‹ ちいさこべ 二

大おお六ろくはそれから三さん度ど、江戸えどのようすを見みにいって来きた。

町内ちょうないでは質しつ両替りょうがえ商しょうの「福田ふくだ屋や」が焼やけ残のこった。あるじの久兵衛きゅうべえは五ご人にん組くみを勤つとめているし、資産しさんの点てんでも人望じんぼうの点てんでも、神田かんだでは指折ゆびおりであった。長男ちょうなんの利吉としきちは茂次しげじと同年どうねんの二十にじゅう三さんで、その下したにおゆうという十じゅう七ななになる妹いもうとがいる。二人ふたりとも茂次しげじとは幼おさな馴染なじみであり、いまでも親したしいつきあいが続つづいていた。店みせは角地かどちで、土蔵どぞうが三さん棟むねあるし、前まえが掘割ほりわりの土堤どて、北側きたがわが道みちを隔へだてて武家ぶけの小こ屋敷やしきになっている。そういう地ちの理りが幸さいわいしたのかもしれないが、その隣となり町まちの小こ屋敷やしきの一画いっかくと、福田ふくだ屋やだけは焼やけ残のこった。

「いちめんの焼やけ跡あとで不ふ用心ようじんだからと、奥おくの人ひとたちはまだ目白めじろの親類しんるいのほうにいるそうですが、店みせはもうあけていました」

「そいつはよかった」と茂次しげじは云いった。

大おお留とめも焼やけ跡あとへ小屋こやを建たてていた。

火事かじでは留とめ造つくり夫婦ふうふといっしょに、倉くら太ふとし、銀ぎん二にという二人ふたりの弟子でしが死しんだが、くろは助じょ二郎じろうの家いえへ手伝てつだいにいっていて助たすかった。助じょ二郎じろうはかよいで大おお留とめの帳場ちょうばをしており、年としは四十よんじゅう五ご歳さい、妻つまのおろくとのあいだに子供こどもが三さん人にんある。家いえは下谷したやの御徒町おかちまちで、くろはその家いえの勝手口かってぐちを直なおすために、泊とまりこんでいたのだという。――出入でいりの職人しょくにんにも二人ふたりばかり焼死しょうし者しゃがあったが、ほかの者ものはすぐに駆かけつけて来き、木場きばの「和七わしち」と相談そうだんのうえ、大おお留とめの再建さいけんにかかった。

和七わしちの先代せんだいのあるじは和泉いずみ屋や七兵衛しちべえといって、死しんだ留とめ造つくりのために、潰つぶれかかった木場きばの店みせを二に度ども救すくわれたことがあり、生涯しょうがいそれを深ふかく恩おんにきていた。いまの七兵衛しちべえはその子こであるが、父親ちちおやの遺志いしを継つぐ気持きもちだろう、自分じぶんでやって来きて「材木ざいもくのほうは手てを打うった、必要ひつようなら幾いくらでもまわす」と云いい、とりあえず仮かり小屋こやを建たてることになった、ということである。

三さん度どめにいって来きた大おお六ろくは、普請ふしんの注文ちゅうもんが三みつあり、助じょ二郎じろうが采配さいはいを振ふって、すでに職人しょくにんや木きの割当わりあてをつけたと語かたった。それから、仮かり小屋こやにはくろのほかに、焼やけだされた弟子でし筋すじの職人しょくにんが三さん人にん、仕事しごとの関係かんけいで泊とまりこんでいること、その世話せわをするために、女おんなを一人ひとり雇やとったことなどを告つげた。茂次しげじはうんうんと聞きくだけだったが、大だい六ろくはそこで、ちょっと頭あたまを掻かきながら口くちごもった。

「なんだ」と不審ふしんそうに茂次しげじが訊きいた。

「おりつっていう娘むすめを知しってますか」と大おお六ろくが云いった、「炭屋すみやの裏うら長屋ながやにいて、おふくろがうちの店みせへ手伝てつだいに来きていた」

「知しってるよ」と茂次しげじが云いった。

「雇やとったのはあの娘むすめなんだ」

茂次しげじは大おお六ろくの顔かおを見みた、「――あれは、どこかの茶屋ちゃや奉公ほうこうに出でてたんじゃないのか」

「並木なみき町まちの天川あまかわだったそうだが」と大おお六ろくは答こたえた、「それがじつは、おふくろが、やっぱりあの火事かじで焼やけ死しんじまったそうで、すっかり途方とほうにくれてるような按配あんばいだったもんだから」

「おいくも焼やけ死しんだって――」茂次しげじは遠とおくを見みるような眼めつきをした、「そいつは可哀かわいそうに」

「それでもう、茶屋ちゃや奉公ほうこうをするはりあいもないし、できるなら生うまれた町内ちょうないで堅気かたぎなくらしがしたい、みなさんの食事しょくじごしらえや洗濯せんたくなんか引受ひきうけるから、と云いうもんでね」

「わかった、おりつならいいだろう」

「あっしもそう思おもったんだが」

茂次しげじはまた大おお六ろくの顔かおを見みた、「――なにを云いいそびれてるんだ」

「べつに云いいそびれてるわけじゃあねえが」と大おお六ろくはまた頭あたまを掻かいた、「じつは、こんどいってみると、あの娘むすめが子供こどもを集あつめて面倒めんどうをみているんだ、火事かじにあって、親おやきょうだいをなくした子供こどもたちなんだが」

「それで」と茂次しげじがじれったそうに促うながした。

「それでつまり、一人ひとりや二人ふたりならいいけれども、十じゅう二に三さん人にんにもなっちまってるんで」

「だめだ」と茂次しげじは首くびを振ふった、「そんなばかなことができるもんか、追おいだしちまえ」

大おお六ろくは困惑こんわくしたようすで、それがそうはいかない、娘むすめが理屈りくつを云いって、どうしても承知しょうちしないのだと云いった。

「あいつは昔むかしからおせっかいなやつだった」と茂次しげじが云いった、「よし、うっちゃっとけ、おれが帰かえったら片かたづけてやる」

波なみ津つ音おとの普請ふしんは十じゅう月がつはじめに終おわった。

このあいだに二人ふたり、高輪たかなわの「大伊だいい」と浅草あさくさあべ川かわ町まちの兼六けんろくが川越かわごえまで弔問ちょうもんに来きた。大だい伊いの伊吉いきちは亡なき留とめ造つくりの弟分おとうとぶんで、茂次しげじは小ちいさいじぶんから「高輪たかなわのおじさん」と呼よんでいた。兼六けんろくは「大おお留とめ」から出でた人間にんげんで、弟子でし筋すじではいちばん古参こさんであり、年ねんももう六十ろくじゅうにちかかった。二人ふたりとも留とめ造つくり夫婦ふうふの死しにくやみを述のべ、茂次しげじが仕事場しごとばからはなれなかったことを褒ほめた。それから、葬式そうしきのことや、大おお留とめの再建さいけんについて相談そうだんにのろうと云いった。茂次しげじはふだんから口くちがへたで、なにか云いうにしても、まるで枯枝かれえだでも折おるような、ぶっきらぼうなことしか云いえなかったが、そのときもいつもの伝つてで、弔問ちょうもんには礼れいを述のべたが、相談そうだんにのろうというはなしは断ことわった。

「葬式そうしきは当分とうぶんださないつもりです」と茂次しげじは云いった、「そんな金かねもないし、あれば仕事しごとのほうへまわすのが先さきです」

「だからその相談そうだんをしようと思おもって来きたんだ、金かねのことならなんとでもするから」

「いや、葬式そうしきは当分とうぶんだしません」と茂次しげじは頑固がんこに首くびを振ふった、「それに、大おお留とめをたて直なおすにしても自分じぶんの腕うででやってみるつもりです、どうか私わたくしのことはうっちゃっといて下ください」

二人ふたりは茂次しげじの性分しょうぶんを知しっているので、それでは江戸えどでまた改あらためて話はなすことにしよう、と云いって帰かえった。大おお六ろくはこの問答もんどうをはらはらしながら聞きいていたが、二人ふたりが去さるとすぐに、あんな挨拶あいさつはないと怒おこった。

「相手あいてにもよりけりだ、高輪たかなわとあべ川かわ町まちは親類しんるいも同様どうようですぜ、わざわざこんな川越かわごえくんだりまで来きてくれて、ゆくさき力りょくになろうと云いうのはあだやおろそかなことじゃあねえ、それをあんな」

「うるせえ」と茂次しげじが遮さえぎった、「おれにはおれの思案しあんがあるんだ、はっきり云いっとくが、これからは仕事しごとのこと以外いがいによけいな口くちだしはしねえでくれ」

大おお六ろくは黙だまって頭あたまを垂たれた。

「わかったのか」と茂次しげじが云いった。

「わかりました」と大おお六ろくは答こたえた。

普請ふしんがすっかり終おわり、茂次しげじはみんなを伴つれて江戸えどへ帰かえった。

板橋いたばしで日ひが暮くれ、本郷ほんごう台だいを外神田そとかんだへくだるときは、もう暗くらくて眺望ちょうぼうはきかなかったが、湯島ゆしまから下したはいちめんに黒くろく、灯あかりもごくまばらで、いかにも荒涼こうりょうとしたけしきだった。和泉いずみ橋はしを渡わたって岩井いわい町まちへ着つくまで、どちらを見みても焼やけ跡あとばかりだったし、表通おもてどおりだけぽつぽつ建たっている家いえも、みな仮かり小屋こやか、それにちかいざつな建物たてものであった。

大おお留とめの店みせは元もとの場所ばしょだが、本ほん普請ふしんをする地面じめんをよけて、二に丁目ちょうめのほうへ寄よった端はしに建たててあった。板いたを打付うちつけて作つくったまったくの仮かり小屋こやで、横よこに長ながく、佐久間さくま町まちのほうへ向むかって戸口とぐちがあり、「大おお留とめ」と書かいた提灯ちょうちんが、まわりの焼やけ跡あとに明あかるく光ひかりを投なげていた。松三まつぞうの先触さきぶれで、戸口とぐちの前まえに立たっていた出迎でむかえの者ものたちが、われ勝かちに挨拶あいさつするのを聞ききながら、茂次しげじは口くちの中なかでそっと呟つぶやいた。

「お父ちちっつぁんおっ母ははさん、いま帰かえりました」

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