「あたしは一日じゅう手があいてますから、昼間だけここへかよって来ます」とおゆうは父に構わず続けた、「それでも不足なときは下女だっていますし、自慢のように聞えては困るけれど、読み書きぐらい教えられますから」
脇にいたかしらの勘助は「よう」とでも声をかけたそうな顔をした。
「いや」と茂次が首を振った、「おゆうちゃんにそんなことをしてもらわなくっても、手が足りなければこっちで人を雇うよ」
「恩にきせるとでも思うの」とおゆうは茂次を見あげた、「あたしは罪ほろぼしのつもりよ」
「おゆう」と久兵衛が云った。
「この町内で焼け残ったのはうち一軒よ、塀をちょっと焦がしただけで、うちはまるまる焼け残ったし人もみんな無事だったわ、おまけに父は町役を勤めているんですもの、本当ならそういう子供たちはうちで引受けるのがあたりまえよ」
おりつの、眼尻があがった。茂次がなにか云いかけたが、同心の中島がさきに「福田屋」と云って久兵衛を見た。
「云いだしたらきかないんで」と久兵衛が云った、「もしそんなことでよかったら、娘に手伝わせてもいいと思いますが」
「いちおうお係りと相談してみるが」と中島が云った、「とにかく人別をきちんとしておいてくれ、いいとなったらお手当のさがるようにはからってみよう」
「おゆうさん」とかしらの勘助が初めて口をいれた、「お手柄でしたね」
そしてみんな出てゆき、おゆうだけあとに残った。おりつはくるっと振向いて、足早に勝手のほうへ去り、おゆうは茂次にくやみを述べた。それを聞くのがいやなのだろう、茂次は「いつこっちへ帰ったのか」と話をそらした。そこへ、おりつが引返して来て、子供が五人逃げた、と告げた。
「逃げたって」と茂次は振返った。
「いまの話を聞いたんでしょ」とおりつが吃りながら云った、「途中まで聞いて伴れ戻されると思ったんでしょう、もうちょっとまえに五人で逃げたんですって」
茂次は奥へとんでいった。おりつが続き、おゆうもあがって来た。いってみると、勝手口の外に子供が八人、互いに倚りかたまって、怯えたような顔で立っていた。いつか茂次に呼びかけた子は、あのときのあっちゃんという女の子を、あのときと同じように抱きよせていた。
「五人逃げたというのは本当か」と茂次が訊いた、「どこかに隠れてるんじゃないのか」
すると十一か二くらいになる、いちばん年嵩の子が、「逃げたのだ」と答えた。
「じっ平と忠がみんなに逃げようと云ったんだ、じっ平も忠もかっぱらいなんかしたことがあるんで、それでおっかなくなったもんだから」とその子は云った、「――おらあよせってとめたんだけれど、とうとう三人付いていっちまったんだ」
茂次は頷いて云った、「安心しな、おめえたちみんな此処にいていいんだ、役人が許してくれたし、おれもこれから仲良しになるぜ、それから、ここにいるのはおゆうさんといって、みんなの世話を手伝ってくれる人だ」
「こんちは」とおゆうが頬笑みかけた、「あたしのこと姉さんって呼んでね」
「ねえちゃん」と小さなあっちゃんがすぐ呼び、赤くなって顔を隠した。おりつの眼尻がまたあがり、ついできゅっと唇を噛んだ。
大六が来たので、茂次は普請場の見廻りにでかけた。人別書を作っておくようにと、おりつとおゆうに頼んだが、おりつの怒っている顔が、一日じゅう眼について困った。
その夜、――夕飯のあとで、茂次は子供たちと初めて話をした。おゆうの書いた人別書を見ながら、一人ずつ呼びかけ、火事のことにはいっさい触れず、これからどううまくやってゆくか、ということについて話した。口がへたなうえに、ぶっきらぼうな話しかたであるが、子供たちには却って気持がつうじるようであった。
菊二、十一歳、しらかべ町
六、九歳、あいおい町
重吉、九歳、同町代地
又、八歳、としま町
梅、八歳、さくま町
伝次、七歳、りゅうかん町
市、六歳、おしょろさんの裏
あつ、四歳、同所
人別書には右のように書いてあり、その住所はおりつがいちおう慥かめたと云った。逃げた五人の中には、住所を偽った者や、はっきり云わない者もいたが、残った者は正直に云っているという。茂次は「おしょろさんの裏」というのがわからなかった。おりつもそれだけはわからない、市はそれだけしか覚えていないし、あっちゃんとは近所同志らしいが、あっちゃんも「おんなじとこ」と云うだけだそうで、おぼろげな記憶を訊きだしてみると、どうやら大川の向うのような感じがする、とおりつは云った。
「それならいちど伴れていってみるんだな」と茂次が云った、「そうすれば思いだすかもしれないし、ことによると生き残っている者があるかもしれない」
おりつは強く首を振り、めくばせをして彼を黙らせた。茂次はまごついて口をつぐみ、それから、今夜はもう寝よう、と云って立ちあがった。
茂次は自分の部屋で、くろを相手に将棋をさし始めた。正吉と松三は夕飯のあとで遊びにでかけ、くろは置いてゆかれたのですっかりむくれていた。将棋もやる気がないとみえ、ばかげた手ばかりさすので、茂次は駒を投げだして「寝ちまえ」とどなりつけた。くろが出てゆくとまもなく、おりつが茶と菓子を持って来て、市とあっちゃんのことを話した。二人は自分たちのうちのことを恐れている、理由はなにも云わないが、元のうちのことを訊くだけでも怯えたような顔になる、ということであった。茂次は眉をしかめて「うん」と低く唸った。
「ほかの子たちも元の町内のことは云いたがりません」とおりつが云った、「ずいぶんひどいめにあっているようで、思いだすのもいやなようですから、どうかそういう話には触れないでやって下さい」
茂次は頷いた。おりつは茶を淹れ、菓子鉢の蓋を取ってすすめながら、「それから」と云いかけて、そのまま黙った。茂次は茶を啜りながら、おりつを見た。
「なんだ」と茂次が訊いた。
「お礼が云いたかったんです」とおりつは俯向いて云った、「あの子たちを置いて下さると聞いたとき、あたしうれしくって」
「わかったよ」と茂次は乱暴に遮った、「そんなことより、もっとほかに話があるんじゃあないのか」
おりつは眼をあげて茂次を見た。
「ねえのか」と茂次が云った。