「十二か三だって」
「話を聞いてるとそうじゃないかと思うの、丑年の火事のことを知っていて、そのときおっ母さんと逃げた話をしたのよ、あの火事はいまから五年まえでしょ、そのとき八つだったって、口をすべらせたことがあるのよ」
「うん」と茂次は溜息をついた、「うちはどんな暮しをしていたんだ」
「おっ母さんが長患いをしていた、っていうことだけは聞いたけれど、ほかのことはなんにも云わないんです」
「もしそうだとすれば」茂次はそこで口をつぐみ、やや暫く考えていて、それから眼をあげて続けた、「もしも十二か三になるとすれば、気をつけなくちゃならないのはおまえのほうだぜ」
おりつはけげんそうな眼をした。「おれにだって、恥ずかしいが、覚えがある」と茂次は吃りながら云った、「自分じゃあどういうことかわからない、どうしてそんな気持になるかと、てめえでめんくらったり恥ずかしくなったりするが、女のからだというものがふしぎに眼につくんだ、自分ではなんの考えもないのに、その菊二と同じこった、だらしのない恰好で洗濯をしているかみさんとか、戸板で囲っただけで行水を使ってる娘とか、双肌ぬぎになって髪を洗ってる女なんかにぶつかると、どうしても眼をやらずにはいられなくなる、あとで自分をいやらしい野郎だと思い、死にたいほど恥ずかしくなるが、そのときはどうすることもできないんだ」
「あたし」とおりつはさらに赤くなった顔をそむけながら、云った、「あたしそんな、だらしのない恰好で洗濯なんかしやあしないわ」
「おめえのことじゃあねえ、子供のことを云ってるんだ」と茂次が云った、「子供にはそういう年ごろがある、中にはそんなことに気のつかない者もいるだろうが、たいてえな者は覚えがある筈だ、そうして、当人は決してみだらな気持なんかもってやしない、自分でどうしようもなく、しぜんとそうなってしまう、みだらだと思うのはおとなのほうだ、自分にみだらな気持があるから、子供の眼がみだらなように見えるんだ」
「あたしのほうがみだらですって」おりつの眼が屹となった。
「おれは子供のことを話してるって云ったろう」と茂次は乱暴に遮った、「おめえがどうのこうのと云うんじゃあねえ、子供にはそういう年ごろがあり、それがむずかしいときなんだから、こっちで気をつけなくっちゃいけねえと云ってるんだ、わからねえのか」おりつはひょいと身をそらした。わからねえのかとどなった声と、茂次の赤くなった顔つきで、ぶたれでもするように感じたらしい。茂次もおりつの身振を見て、逆にどきっとし、「もういい」と顔をそむけた。
「ああおどろいた」とおりつが云った、「こわい声だこと、ぶたれるかと思っちゃったわ」
「つまらねえことを」
「小さいときぶたれたことがあるんですもの」
「つまらねえことを云うな、おれはくさったって女の子なんかぶちゃあしねえ」
「あたしはぶたれたのよ、七つの年だったわ、いまでもちゃんと覚えてるわ」とおりつはからかうように云った、「横町の豆腐屋の前のところよ、いきなりぴしゃって、頬ぺたをぶったじゃないの」
「おまえが七つならおれは十二だろう、そんな年で女の子をぶつなんてことが、――」そこで茂次はあとが続かなくなった。
「ね」とおりつが眼で笑った、「思いだしたでしょ」
彼は思いだした。彼を見かけるたびにおりつがからかう、どうからかわれたかはもう忘れたが、度たびからかわれるので、いちど、捉まえてぶったことがあった。そうだ、あのときこいつは涙をこぼした、と茂次は思った。手向いもせずに、大きな眼でこっちを見て、その眼から涙をぽろぽろこぼした。
「あれは」と茂次は気まずそうに云った、「あれはおめえが悪いんだ、おれの顔を見るたびにからかったからだ」
「覚えてるわ」とおりつが云った、「あたしあんたのこと、若棟梁のこと好きだったのよ、それで、あんたにかまってもらいたくってわる口を云ったらしいの、だから、そのあとわる口なんか云ったことはなかったでしょ」
「子供ってやつはむずかしいもんだ」
「そうね」とおりつが云った、「菊二のことも気をつけるわ」
その月の十五日の休みに、子供たちを伴れて道灌山へ遊びにいった。おりつとおゆうとで握り飯や海苔巻をつくり、お菜の重詰めも拵えた。片道一里半ちかくあるので、くろもいっしょに伴れてゆき、あっちゃん始め、市や伝など、小さいのが疲れると、茂次とくろとで背負ってやった。くろはもう兄弟子たちといっしょに遊びたい年なので、往きも帰りもふくれっぱなしだった。――そのとき初めて、おゆうと子供たちのようすを、茂次は見た。子供たちのおゆうに対する態度は、おりつに対するのとまったく違っていた。かれらはおゆうの身妝や、美しさや賢いことに、なかばおそれながら、尊敬とあこがれを感じているようにみえた。おりつには口答えをしても、おゆうの云うことはよくきくし、いたずらを叱られるとすぐによした。かれらはおゆうの顔色を敏感によみとって、あまえたりふざけたり、急におとなしくなったりする。おゆうはあまり叱らないが、黙っていても、ぴりっとするものを子供たちに感じさせるようであった。ただその中で一人、菊二だけはおりつからはなれなかった。みんながおゆうを取巻いて騒いでいても、彼はおりつのそばにいて、なにかおりつの役に立とうとする。おりつがうるさそうに追いたてると、そばをはなれはするが、おりつから眼をはなそうとはしないのであった。
――わるくすると間違いが起こるな。と茂次は思った。菊二はひたむきに慕っているようだ、その気持をはねつけずに、いいほうへ向ければなんのことはない。だがもしおりつが「いやらしい」という感じをもち、彼を拒絶する態度に出れば、菊二はみずから傷つき、場合によればやけにもなるかもしれない。むずかしいし、危ないところだ、と茂次は思った。
帰るときに茂次は、おゆうに向って駕籠でゆけとすすめた。しかしおゆうは笑って受けつけず、神田までいっしょに歩いて帰った。――その夜、普請場の一つが火事で焼けた。