← Library‹ ちいさこべ 八

「十じゅう二にか三さんだって」

「話はなしを聞きいてるとそうじゃないかと思おもうの、丑年うしどしの火事かじのことを知しっていて、そのときおっ母ははさんと逃にげた話はなしをしたのよ、あの火事かじはいまから五ご年ねんまえでしょ、そのとき八ようつだったって、口くちをすべらせたことがあるのよ」

「うん」と茂次しげじは溜息ためいきをついた、「うちはどんな暮くらしをしていたんだ」

「おっ母ははさんが長患ながわずらいをしていた、っていうことだけは聞きいたけれど、ほかのことはなんにも云いわないんです」

「もしそうだとすれば」茂次しげじはそこで口くちをつぐみ、やや暫しばらく考かんがえていて、それから眼めをあげて続つづけた、「もしも十じゅう二にか三さんになるとすれば、気きをつけなくちゃならないのはおまえのほうだぜ」

おりつはけげんそうな眼めをした。「おれにだって、恥はずかしいが、覚おぼえがある」と茂次しげじは吃どもりながら云いった、「自分じぶんじゃあどういうことかわからない、どうしてそんな気持きもちになるかと、てめえでめんくらったり恥はずかしくなったりするが、女おんなのからだというものがふしぎに眼めにつくんだ、自分じぶんではなんの考かんがえもないのに、その菊二きくじと同おなじこった、だらしのない恰好かっこで洗濯せんたくをしているかみさんとか、戸板といたで囲かこっただけで行水ぎょうずいを使つかってる娘むすめとか、双肌もろはだぬぎになって髪かみを洗あらってる女おんななんかにぶつかると、どうしても眼めをやらずにはいられなくなる、あとで自分じぶんをいやらしい野郎やろうだと思おもい、死しにたいほど恥はずかしくなるが、そのときはどうすることもできないんだ」

「あたし」とおりつはさらに赤あかくなった顔かおをそむけながら、云いった、「あたしそんな、だらしのない恰好かっこで洗濯せんたくなんかしやあしないわ」

「おめえのことじゃあねえ、子供こどものことを云いってるんだ」と茂次しげじが云いった、「子供こどもにはそういう年としごろがある、中なかにはそんなことに気きのつかない者ものもいるだろうが、たいてえな者ものは覚おぼえがある筈はずだ、そうして、当人とうにんは決けっしてみだらな気持きもちなんかもってやしない、自分じぶんでどうしようもなく、しぜんとそうなってしまう、みだらだと思おもうのはおとなのほうだ、自分じぶんにみだらな気持きもちがあるから、子供こどもの眼めがみだらなように見みえるんだ」

「あたしのほうがみだらですって」おりつの眼めが屹きっとなった。

「おれは子供こどものことを話はなしてるって云いったろう」と茂次しげじは乱暴らんぼうに遮さえぎった、「おめえがどうのこうのと云いうんじゃあねえ、子供こどもにはそういう年としごろがあり、それがむずかしいときなんだから、こっちで気きをつけなくっちゃいけねえと云いってるんだ、わからねえのか」おりつはひょいと身みをそらした。わからねえのかとどなった声こえと、茂次しげじの赤あかくなった顔かおつきで、ぶたれでもするように感かんじたらしい。茂次しげじもおりつの身み振ぶりを見みて、逆ぎゃくにどきっとし、「もういい」と顔かおをそむけた。

「ああおどろいた」とおりつが云いった、「こわい声こえだこと、ぶたれるかと思おもっちゃったわ」

「つまらねえことを」

「小ちいさいときぶたれたことがあるんですもの」

「つまらねえことを云いうな、おれはくさったって女おんなの子こなんかぶちゃあしねえ」

「あたしはぶたれたのよ、七ななつの年としだったわ、いまでもちゃんと覚おぼえてるわ」とおりつはからかうように云いった、「横町よこちょうの豆腐とうふ屋やの前まえのところよ、いきなりぴしゃって、頬ほおぺたをぶったじゃないの」

「おまえが七ななつならおれは十じゅう二にだろう、そんな年としで女おんなの子こをぶつなんてことが、――」そこで茂次しげじはあとが続つづかなくなった。

「ね」とおりつが眼めで笑わらった、「思おもいだしたでしょ」

彼かれは思おもいだした。彼かれを見みかけるたびにおりつがからかう、どうからかわれたかはもう忘わすれたが、度たびたびからかわれるので、いちど、捉つかまえてぶったことがあった。そうだ、あのときこいつは涙なみだをこぼした、と茂次しげじは思おもった。手向てむかいもせずに、大おおきな眼めでこっちを見みて、その眼めから涙なみだをぽろぽろこぼした。

「あれは」と茂次しげじは気きまずそうに云いった、「あれはおめえが悪わるいんだ、おれの顔かおを見みるたびにからかったからだ」

「覚おぼえてるわ」とおりつが云いった、「あたしあんたのこと、若わか棟梁とうりょうのこと好すきだったのよ、それで、あんたにかまってもらいたくってわる口くちを云いったらしいの、だから、そのあとわる口くちなんか云いったことはなかったでしょ」

「子供こどもってやつはむずかしいもんだ」

「そうね」とおりつが云いった、「菊二きくじのことも気きをつけるわ」

その月つきの十じゅう五ご日にちの休やすみに、子供こどもたちを伴つれて道灌どうかん山さんへ遊あそびにいった。おりつとおゆうとで握にぎり飯めしや海苔巻のりまきをつくり、お菜なの重詰じゅうづめも拵こしらえた。片道かたみち一いち里り半はんちかくあるので、くろもいっしょに伴つれてゆき、あっちゃん始はじめ、市しや伝つてなど、小ちいさいのが疲つかれると、茂次しげじとくろとで背負せおってやった。くろはもう兄弟きょうだい子こたちといっしょに遊あそびたい年としなので、往ゆきも帰かえりもふくれっぱなしだった。――そのとき初はじめて、おゆうと子供こどもたちのようすを、茂次しげじは見みた。子供こどもたちのおゆうに対たいする態度たいどは、おりつに対たいするのとまったく違ちがっていた。かれらはおゆうの身妝みなりや、美うつくしさや賢かしこいことに、なかばおそれながら、尊敬そんけいとあこがれを感かんじているようにみえた。おりつには口答くちごたえをしても、おゆうの云いうことはよくきくし、いたずらを叱しかられるとすぐによした。かれらはおゆうの顔色かおいろを敏感びんかんによみとって、あまえたりふざけたり、急きゅうにおとなしくなったりする。おゆうはあまり叱しからないが、黙だまっていても、ぴりっとするものを子供こどもたちに感かんじさせるようであった。ただその中なかで一人ひとり、菊二きくじだけはおりつからはなれなかった。みんながおゆうを取巻とりまいて騒さわいでいても、彼かれはおりつのそばにいて、なにかおりつの役やくに立たとうとする。おりつがうるさそうに追おいたてると、そばをはなれはするが、おりつから眼めをはなそうとはしないのであった。

――わるくすると間違まちがいが起おこるな。と茂次しげじは思おもった。菊二きくじはひたむきに慕したっているようだ、その気持きもちをはねつけずに、いいほうへ向むければなんのことはない。だがもしおりつが「いやらしい」という感かんじをもち、彼かれを拒絶きょぜつする態度たいどに出でれば、菊二きくじはみずから傷きずつき、場合ばあいによればやけにもなるかもしれない。むずかしいし、危あぶないところだ、と茂次しげじは思おもった。

帰かえるときに茂次しげじは、おゆうに向むかって駕籠かごでゆけとすすめた。しかしおゆうは笑わらって受うけつけず、神田かんだまでいっしょに歩あるいて帰かえった。――その夜よる、普請ふしん場じょうの一ひとつが火事かじで焼やけた。

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