← Library‹ ちいさこべ 九

焼やけたのは日本橋にほんばし吉川よしかわ町まちの「魚ぎょ万よろず」で、殆ほとんど普請ふしんが終おわりかかっていたのを、きれいに、焼やけてしまったのである。これは「大おお留とめ」にとって大おおきな痛手いたでだった。料理りょうり茶屋ちゃやだからというだけでなく、客筋きゃくすじとあるじ万ばん兵衛ひょうえの好このみとで、木口きぐちはもちろん、すべてに高価こうかな材料ざいりょうが使つかってあった。それがすっかり灰はいになった。出来できあがって引渡ひきわたしてからならべつだが、まだこっちの手てをはなれていないから、損害そんがいは「大おお留とめ」が負担ふたんしなければならない。屋根屋やねや、左官さかん、建具たてぐ屋やなどにも、払はらうものは「大おお留とめ」が払はらわなければならないのである。

そこの宰領さいりょうをしていたのは藤ふじ造つくりで、茂次しげじたちといっしょに焼やけ跡あとを見廻みまわりながら、「どうしよう」と、まるでのぼせあがったようになっていた。

「もらい火びでよかった」と茂次しげじは云いった、「自火じかなら手てがうしろへまわるところだ」

そして「魚ぎょ万よろず」を訪たずねた。これは通とおりの向むこうの仮かり小屋こやで、幸さいわい焼やけずに残のこっていたが、茂次しげじは万ばん兵衛ひょうえに会あって、すぐ再さい普請ふしんにかかると云いった。藤ふじ造つくりの脇わきにいた大おお六ろくと助じょ二郎じろうは、あっという顔かおで茂次しげじを見みたし、万ばん兵衛ひょうえも意外いがいだったらしく、それはちょっと無理むりではないか、と云いいかけたが、茂次しげじは大丈夫だいじょうぶやると、あっさり云いった。

「但ただし一ひとつお願ねがいがあります」と茂次しげじは続つづけた、「正直しょうじきに云いいますが、これまで手ていっぱいにやって来きましたから、材料ざいりょうを吟味ぎんみするゆとりがありません、大おお留とめが立たち直なおったら、改あらためて普請ふしんを仕す直なおすということにして、お気きにいらないところがあっても、こんどは眼めをつぶってもらいたいんです」

「私わたくしのほうはむろんそれでいいが」と万ばん兵衛ひょうえはまだ信しんじきれないようすで云いった、「しかし本当ほんとうにむりじゃあないのかい」

茂次しげじはそれには答こたえずに、「お願ねがいします」と云いった。

うちへ帰かえる途中とちゅう、大だい六ろくたちはなにか囁ささやきあっていたが、帰かえるなり、三さん人にんで「話はなしがある」ときりだした。茂次しげじは聞きくまでもない、よけいなことは云いうなと云いった。だが、三さん人にんは再さい普請ふしんが不ふ可能かのうなことを、代かわる代がわる主張しゅちょうした。こっちが火災かさいでやられたあとであるし、魚さかな万よろずでもその事情じじょうは知しっている。ここは手付てつけの金かねを返かえしてあやまるほうがいい。それが順当じゅんとうだと云いった。

茂次しげじは「おやじもそうするか」とかれらに訊きき返かえした。

「しかし」と大おお六ろくが云いった、「いまは棟梁とうりょうの代だいじゃあない、棟梁とうりょうはもう亡なくなった人ひとだし、若わか棟梁とうりょうは高輪たかなわやあべ川町ちょうはじめ、同業どうぎょうのつきあいまで断ことわんなすった、助たすけ手てといったら木場きばの和七わしちぐらいなもので、それで棟梁とうりょうの代だいと同おなじようにやってけると思おもうんですか」

「おれはそんなこたあ云いわねえ、ただ、こういう場合ばあいにおやじもあやまるかどうか、って訊きいてるんだ、あやまると思おもうか」

「そりゃ、けれども事情じじょうてえものがまるで違ちがうから」

「そんならどうして普請ふしんを請負うけおった」と茂次しげじは云いった、「火事かじでまる焼やけになりおやじも死しんだ、そんな中なかで三みつも大おおきな普請ふしんを請負うけおうなんて、初はじめからむりなこった、おれに云いってくれれば断ことわったんだ、高たか輪わなりあべ川かわ町まちなりに肩替かたがわりをしてもらい、まずひとおちつきしてからのことにしただろう、けれども、――留守るすのおめえたちは大おお留とめを立たて直なおす一心いっしんで請負うけおった、その気持きもちがわかるからむりだとは思おもったがなんにも云いわなかったんだ」

三さん人にんは頭あたまを垂たれた。

「これこれの家いえを建たてますと請負うけおったら、約定やくじょうどおり家やを建たてて、普請ふしんぬしに引渡ひきわたすのが棟梁とうりょうの仕事しごとだ」と茂次しげじは云いった、「こっちが手詰てづまりになったからといって途中とちゅうであやまるなんてまねは、おやじは一いち遍へんだってやったこたあありゃあしねえ、おれはまだ若わかぞうだがおやじの伜せがれだ、べらぼうめ、このくらいのこって音おとをあげてたまるか」

そしてすぐに、「ついでだから云いっておこう」と調子ちょうしを変かえ、高輪たかなわやあべ川かわ町まち、同業どうぎょうなかまから町内ちょうないの義理ぎりづきあいを断ことわったのは、単たんにかた意地いじではなく、みんなの厄介やっかいになりたくないためである、と云いった。「大おお留とめ」時代じだいの古ふるい関係かんけいをそのまま続つづけていれば、かれらは義理ぎりでも助力じょりょくしなくてはなるまい。それはかれらにとっても軽かるい負担ふたんではないだろうし、こっちにとっては一生いっしょうの荷にになる。他人たにんの助力じょりょくで立たち直なおるなどということは、死しんだおやじもよろこぶまいし、自分じぶんたちだって恥はずかしい。つきあいを断ことわったのはこういうわけだから、覚おぼえていてくれ、と茂次しげじは云いった。

三さん人にんは顔かおを見みあわせた。かれらの顔かおはいま冷つめたい水みずで洗あらったばかりのような、すがすがしい色いろをしており、藤ふじ造つくりは微笑びしょうさえうかべていた。

「もう一ひとつよけいなことを訊ききますが」と大おお六ろくが云いった、「金かねのくめんはどうします」

「そんなことを気きにするな」

「あっしどもでなにかすることはありませんか」

「仕事しごとのほうを頼たのむ」と茂次しげじが云いった、「金かねのほうは大丈夫だいじょうぶだ」

それから、火事かじでいっしょに死しんだ二人ふたりの職人しょくにん、銀ぎん二にと倉くら太ふとしの七十ななじゅう五いつ日かをしてやりたいから、かれらの親元おやもとをしらべておくように、と助じょ二郎じろうに云いった。

その日ひ、夕飯ゆうはんのあとで、茂次しげじは福田ふくだ屋やを訪たずねた。仮かりに庇ひさしへあげておいた「大おお留とめ」の看板かんばんを包つつんで持もち、店みせのほうからはいって、あるじの久兵衛きゅうべえに会あいたいと云いった。店みせには番頭ばんとうの伊助いすけがいて、いま奥おくでは食事しょくじちゅうだが、こんなところから来こずに奥おくへじかにいってくれ、と云いった。だが茂次しげじは「今夜こんやは店みせの客きゃくなんだ」と答こたえ、店みせの次つぎにある小こ部屋へや、――そこはほかの客きゃくと顔かおの合あうのを嫌きらう者もののために使つかうのだが、その小こ部屋へやへとおって待まった。小僧こぞうが知しらせたのだろう、まもなくおゆうが茶ちゃを持もって来きた。

「いらっしゃい、どうしてこんなところに頑張がんばってるの」

「旦那だんなに用ようがあるんだ」

「旦那だんなだなんて、いやな人ひと」とおゆうはにらんだ、「いったいどうしたの、なぜこんな他人たにん行儀ぎょうぎなことをするのよ」

茂次しげじはむっとした顔かおでおゆうを見みた。おゆうは唇くちびるで微笑びしょうしながら頷うなずいた。

「いいわよ」と彼女かのじょは立たちあがった、「あんたってずいぶん我わが強つよいのね」

茂次しげじはなにも云いわなかった。おゆうが出でていって暫しばらくすると、自分じぶんの茶呑ちゃのみ茶碗ちゃわんを持もって久兵衛きゅうべえが来き、そこへ坐すわりながら、「吉川よしかわ町まちの普請ふしん場じょうが焼やけたそうだな」と云いった。

「そのことで頼たのみがあって来きたんです」そう云いって、茂次しげじはきちんとかしこまった。

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