← Library‹ 泥棒と若殿 二

助たすけて呉くれと云いったようでもある。だがそうではないかもしれない、「やい」とか「しゃらくせえまねをするな」というような罵ののしり声こえは、慥たしかに床下ゆかしたのほうから聞きこえて来きた。――それから暫しばらくごそごそやっていたが、間まもなく這はいあがったのだろう、そこでまたぶつぶつ不平ふへいをこぼした。

「とんでもねえ家いえへへえっちゃった、がたがたですっからかんで、満足まんぞくな建具たてぐひとつ有ありあしねえ、うっ、――ぺっぺっ、ちきしょう、なにか口くちん中なかへとびこみあがった」

だがまだ諦あきらめきれないとみえ、納戸なんどのほうへいってなにか掻かきまわしていた。そのうちに天てん床ゆかから大おおきな石いしでも落おちたように、がらがらずしんめりめりと凄すさまじい物音ものおとがした。男おとこは悲鳴ひめいをあげ、とびのくとたんに柱はしらへ頭あたまでもぶっつけたものか、ごつんという音おとがして、こんどはもっと大おおきな悲鳴ひめいが聞きこえた。

「おい、たくさんだ、もうよせ」成せい信しんはふきだしながらこう呼よんだ、「――本当ほんとうになにも有ありあしない、捜さがしてもむだだからやめるがいい」

ああ吃驚びっくりした、とんだめにあった、ひでえ家いえだ、なっちゃねえや。こんなことを云いいながら男おとこはこっちへ戻もどって来きた。

「やい、本当ほんとうになんにもねえのか」

「おまえの云いうとおりすっからかんだ、おれも始はじめにそう云いったではないか」

「笑わらいごっちあねえや、おお痛いたえ」

男おとこは方々かたがたを撫なでまわしながら、夜具やぐのそばへ来きて坐すわった。右足みぎあしの股引ももひきを捲まくりあげて、そこを布ぬの切きれで縛しばってある。さっき擦すり剥むいたところなんだろう。――男おとこはあたりを眺ながめやり、溜息ためいきをついた。するとそのとき彼かれの腹はらの中なかでくうくうぐるぐると妙みょうな音おとがした。

「腹はらがへってるんだが、なにか食くう物ものはねえか」

「ないようだな」

「晩飯ばんめしの残のこりでいいんだ、なにか食くわしてくれ」

「――それがないんだ」

舌打したうちをして男おとこは立上たちあがった。それから厨くりやのほうへいったが、なにかがたがたやりながら、ひどく腹はらを立たてたように、「だだっ広ぴろくってなにがどこに有あるかわからねえ」とか、「ここに竈かまどがあるとすれば」とか、「ちぇっ、こいつも空からっぽだ」とか、いろいろ独ひとり言ごとを云いったのち、がっかりしてまた夜具やぐのそばへ戻もどって来きた。

「米櫃こめびつも空からっぽみてえだが、米べいもねえのか」

「――おれは嘘うそは云いわない」

「じあおめえどうしてるんだ」

「――ごらんのとおりさ」

「だって飯めしは食くってるんだろう」

「――今日きょうで三み日か、なにも口くちへは入いれない」

「しようがねえなあ」

男おとこは太ふと息いきをついてこちらを眺ながめた。するとまた腹はらがくうくうと鳴なったので、なま睡ねむをのみながら立たち、なにか考かんがえていたが、もういちど、「しようがねえなあ」と呟つぶやき、広縁ひろえんからどこか外そとへと出でていった。

成せい信しんは間まもなく眠ねむったらしい、誰だれかゆり起おこす者ものがあるので眼めをさますと、障子しょうじが仄明ほのあかるくなり、すぐ側がわにさっきの男おとこが立たっていた。

「起おきて顔かおを洗あらわねえか、飯めしができたぜ」

「――飯めし、……どうしたんだ」

「どうしたっていいや、早はやく起おきねえ」

男おとこは厨くりやのほうへ去さった。年としは三十さんじゅう四、五しごだろうか、色いろのくろい愚直ぐちょくそうな顔かおで、ちから仕事しごとをした者ものに特有とくゆうの、こごんだ逞たくましい肩かたと外そとへ曲まがった太ふとい足あしとが眼め立たった。

――それも面白おもしろい。にが笑わらいをして成せい信しんは起おき、少すこしばかりふらふらするが、嗽すすぎ口くちの廊下ろうかから井戸いどのほうへと出でていった。

表ひょうのほうは正門せいもんから段だん下くだりに、畑はたけや田たのある村里むらざとへとひらけているが、裏うらは二千にせん坪つぼにあまる庭にわがそのまま、片かたほうは黒谷くろたにの深ふかい渓流けいりゅうへさがり、奥おくへゆけばしぜんと鬼塚おにづか山やまへつづいている。そちらにも昔むかしは柵さくをまわしてあったのだが、ずっとまえに朽くち倒たおれて、今いまでは山やまとの境界きょうかいがなにもない。それで鹿しかとか猪いのししとか、ときには熊くまなどまでのこのこはいって来くるし、狐きつねや狸たぬきなどは常住じょうじゅうの巣すをもっているようだ。――二十にじゅう年ねん以上いじょうも人ひとが住すまず、もちろん手入ていれなどもながくしないので、樹きという樹きは勝手かってなほうへ伸のびたいだけ伸のび、お互たがいの枝えだと枝えだ、葉はと葉はをさし交かわし重かさねあうところへ、藪枯やぶからしや藤ふじや葛くずなどがむやみに絡からみついているから、どれが松まつどれが梅うめとも差別さべつがつかなかった。……もちろん見みるかぎり夏草なつくさの繁しげみで、地面じめんのみえるところはごく僅わずかしかない。そのひとところ、ちょうど厨くりや口くちの外そとに当あたるところに井戸いどがあり、その四よん、五間ごけんさきには山水さんすいを集あつめたほそい流ながれが、夏なつでも指ゆびのこごえるほど冷つめたい水みずを湛たたえて屋敷やしきの内うちをよこぎっていた。

顔かおを洗あらって戻もどると、夜具やぐがあげてあり、広縁ひろえんのほうへ寄よって男おとこが膳ぜんごしらえをしている、大おおきな鍋なべからはこうばしい味噌みそ汁しるの匂においがひろがり、蓋ふたをとった釜かまから飯めしの湯気ゆげが立たっていた。

「顔かおを洗あらったか、じあここへ坐すわんねえ」

男おとこはこう云いって膳ぜんのそっちを指ゆびさした。

Next chapter →
Click a word · hold for the whole sentence 0%