助けて呉れと云ったようでもある。だがそうではないかもしれない、「やい」とか「しゃらくせえまねをするな」というような罵しり声は、慥かに床下のほうから聞えて来た。――それから暫らくごそごそやっていたが、間もなく這いあがったのだろう、そこでまたぶつぶつ不平をこぼした。
「とんでもねえ家へへえっちゃった、がたがたですっからかんで、満足な建具ひとつ有りあしねえ、うっ、――ぺっぺっ、ちきしょう、なにか口ん中へとびこみあがった」
だがまだ諦らめきれないとみえ、納戸のほうへいってなにか掻きまわしていた。そのうちに天床から大きな石でも落ちたように、がらがらずしんめりめりと凄まじい物音がした。男は悲鳴をあげ、とびのくとたんに柱へ頭でもぶっつけたものか、ごつんという音がして、こんどはもっと大きな悲鳴が聞えた。
「おい、たくさんだ、もうよせ」成信はふきだしながらこう呼んだ、「――本当になにも有りあしない、捜してもむだだからやめるがいい」
ああ吃驚した、とんだめにあった、ひでえ家だ、なっちゃねえや。こんなことを云いながら男はこっちへ戻って来た。
「やい、本当になんにもねえのか」
「おまえの云うとおりすっからかんだ、おれも始めにそう云ったではないか」
「笑いごっちあねえや、おお痛え」
男は方々を撫でまわしながら、夜具のそばへ来て坐った。右足の股引を捲りあげて、そこを布切で縛ってある。さっき擦り剥いたところなんだろう。――男はあたりを眺めやり、溜息をついた。するとそのとき彼の腹の中でくうくうぐるぐると妙な音がした。
「腹がへってるんだが、なにか食う物はねえか」
「ないようだな」
「晩飯の残りでいいんだ、なにか食わしてくれ」
「――それがないんだ」
舌打ちをして男は立上った。それから厨のほうへいったが、なにかがたがたやりながら、ひどく腹を立てたように、「だだっ広くってなにがどこに有るかわからねえ」とか、「ここに竈があるとすれば」とか、「ちぇっ、こいつも空っぽだ」とか、いろいろ独り言を云ったのち、がっかりしてまた夜具のそばへ戻って来た。
「米櫃も空っぽみてえだが、米もねえのか」
「――おれは嘘は云わない」
「じあおめえどうしてるんだ」
「――ごらんのとおりさ」
「だって飯は食ってるんだろう」
「――今日で三日、なにも口へは入れない」
「しようがねえなあ」
男は太息をついてこちらを眺めた。するとまた腹がくうくうと鳴ったので、なま睡をのみながら立ち、なにか考えていたが、もういちど、「しようがねえなあ」と呟やき、広縁からどこか外へと出ていった。
成信は間もなく眠ったらしい、誰かゆり起す者があるので眼をさますと、障子が仄明るくなり、すぐ側にさっきの男が立っていた。
「起きて顔を洗わねえか、飯ができたぜ」
「――飯、……どうしたんだ」
「どうしたっていいや、早く起きねえ」
男は厨のほうへ去った。年は三十四、五だろうか、色のくろい愚直そうな顔で、ちから仕事をした者に特有の、こごんだ逞ましい肩と外へ曲った太い足とが眼立った。
――それも面白い。にが笑いをして成信は起き、少しばかりふらふらするが、嗽ぎ口の廊下から井戸のほうへと出ていった。
表のほうは正門から段下りに、畑や田のある村里へとひらけているが、裏は二千坪にあまる庭がそのまま、片ほうは黒谷の深い渓流へさがり、奥へゆけばしぜんと鬼塚山へつづいている。そちらにも昔は柵をまわしてあったのだが、ずっとまえに朽ち倒れて、今では山との境界がなにもない。それで鹿とか猪とか、ときには熊などまでのこのこはいって来るし、狐や狸などは常住の巣をもっているようだ。――二十年以上も人が住まず、もちろん手入れなどもながくしないので、樹という樹は勝手なほうへ伸びたいだけ伸び、お互いの枝と枝、葉と葉をさし交わし重ねあうところへ、藪枯らしや藤や葛などがむやみに絡みついているから、どれが松どれが梅とも差別がつかなかった。……もちろん見るかぎり夏草の繁みで、地面のみえるところはごく僅かしかない。そのひとところ、ちょうど厨口の外に当るところに井戸があり、その四、五間さきには山水を集めたほそい流れが、夏でも指のこごえるほど冷たい水を湛えて屋敷の内をよこぎっていた。
顔を洗って戻ると、夜具があげてあり、広縁のほうへ寄って男が膳ごしらえをしている、大きな鍋からはこうばしい味噌汁の匂いがひろがり、蓋をとった釜から飯の湯気が立っていた。
「顔を洗ったか、じあここへ坐んねえ」
男はこう云って膳のそっちを指さした。