坐って箸をとったものの、成信はちょっとそこで躊躇した。つまらないようなはなしだが、渇しても盗泉の水をのまずということが頭にうかんだのである。
「どうしたんだ、食わねえのか」
「――いや、食わなくは、ないが」
「じあさっさとやんねえな、ちっとも遠慮するこたあねえんだ、ひもじいときあお互いさまよ、にんげん三日も食わずにいて堪るもんか」
こう云ったが、やはり成信は食べようとしない。どうしたんだ、と、男は訝かしげにこちらを見まもった。それからふいに肩をいからせ、
「そうか、おめえこの米や味噌をおれが盗んで来たと思ってるんだな、冗談じゃあねえ、そんなべらぼうな、おめえ、とんでもねえこった」
本気に怒った顔で口をとがらした。
「おらあ身銭を出して、この米も味噌もちゃんと買って来たんだぜ、嘘だと思うならいってきいてみねえ、この下の柘榴の花の咲いている百姓家だ、石臼みてえに肥えたかみさんからちゃんと買って来たんだから」
「いや勘弁して呉れ、おれが悪かった、それでは馳走になる」
ほっとして成信は茶碗を持った。
終ると男は膳をさげ、厨口から出ていって、向うの流れでよごれものを洗うらしい。成信は風とおしのよい小書院へいって横になり、ぼんやり庭の樹立を眺めやった。――まもなく男がやって来た。手を拭きながらあたりを見まわし、さてと云ったが、なにか迷うようにこちらを見て、ぶしょう鬚の伸びた顎を撫でたり、ぼんのくぼを掻いたりした。
「じあこれでおらあゆくが、おめえまだずっと此処にいるのか」
「――まあ、そうだ」
「それでその、飯なんぞどうするんだ、なにか当はあるのか」
「――なんにも、ない」
「ないったって、そんなおめえ、それじあかつえて死んじまうぜ」
「――まあそうだろう」
男はまた頤を撫で、ぼんのくぼを掻いた。こちらを見たり、肩をゆすったりして、なにかあいまいなことを云って、不決断にいちど出てゆこうとした。が、すぐ引返して来て、
「しようがねえ、冗談じあねえ」
こう云って赤児の頭ほどの風呂敷包を腰からとり、成信の前へどさりと置いた。
「まさかおめえが飢死にをするってえのに、おれがみすててゆかれるもんじあねえ、とんだところへへえっちまった、こんなべらぼうなはなしがあるもんか、――だが、まあしようがねえ、なんとかするから、これでも食べて待っていねえ」
「――おまえそれで、どうするんだ」
「どうするったってどうしようもねえじゃねえか、なんとかするよりしようがねえ、まあいいから此処に待っていねえ」
男は怒ったような顔でどこかへ出ていった。
――土地の人間ではないな。
成信はこう思った。この附近はいうまでもない、城下町の者でさえ、この鬼塚山の御殿が廃屋であり、近づくことを禁じられ、それを犯すと罰せられることを知っている。ときおり百姓とか猟人とか樵などにやつして、まわりをうろうろする者があるが、それは滝沢一派の監視者たちで、そのなかには成信の命をちぢめる役を受持った人間もいるのである。
三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋木挽町にある中屋敷にいた。彼は大炊頭成豊の二男に生れ、成豊の側室である生母とともに、ずっと中屋敷で育った。
大炊頭はいちど大坂城代で五年ちかく江戸を留守にしたが、その他のときは寺社奉行とか、若年寄とか、勘定奉行とか老中などとかいうぐあいに、重職の席からはなれることが少なく、参覲のいとまで領地へ帰るのもごく稀であった。――そういう多忙なためでもあろう、成信は二十歳になるまで数えるほどしか父に会っていない。また丸の内にある上屋敷には、長男の成武のほかに女姉妹が三人いて、兄とは定日には挨拶にゆくので話しもしたが、姉や妹たちは名まえを聞くだけで顔を見たこともなかった。
成信は十五の年に他家から養子にのぞまれた、殆どまとまりかかったらしいが、父の成豊がどうしても承知せず、その後も二、三そういうはなしがあったのに、みんな断わったそうである。――これが思わぬ紛争の原因になったわけだが、成信としては、自分をはなさないのは父が自分を愛しているからだと思い、ひじょうに感動したことをおぼえている。……だが父の大炊頭は彼が二十一歳のとき卒中で倒れ、兄の成武と彼をめぐって、家督問題のはげしいあらそいが始まった。