まえにも記したように、大炊頭はつねづね公務に追われるため、藩の政治は老臣にまかせきりのようなかたちだった。その首班は江戸の筆頭家老で、滝沢図書助といい、風貌も才腕もずばぬけた、ひところ名執政という評の高い人物でもあった。――図書助は十五年ちかくその席にいた、それだけの能力と人望があったのだろう、しかし一方では彼に反感をもち、その政策に不満をいだく者も少なくなかった。うがちずきな人たちに云わせると、大炊頭そのひとがすでに図書助を嫌っていたそうである。……反滝沢派の中心は梶田重右衛門であるが、彼が大炊頭の側用人だったところから考えると、案外それが事実であったかもしれない。
滝沢派は兵部成武の家督をいい張った。もちろんそれが正論である。成武は長男であるし、八歳のとき将軍にめみえも済んでいる。ただ十三歳のとき脳をひどく病んでから、躯だけは丈夫であるが頭がわるく、ときどきおかしな挙動をしたり、言語がはっきりしないようなところがある、それが問題であった。
梶田派は成信を擁立しようとした。
――成武が脳を病んだ直後から、大炊頭は成信に家督をなおすつもりであった。幾たびも養子のはなしがあったのを、大炊頭が断わりとおしたのはそのためである。
かれらはこう主張し、その反面、成武が白痴であるということを、幕府の閣老のあいだに宣伝したらしい。……大炊頭は卒中で倒れて寝たきりだった。全身の麻痺で、口をきくこともできなかったようだ。
成信は詳しいゆくたては知らない。知りたいとも思わなかったが、三年まえの二月のはじめのある夜、いつも側に仕えている鮫島平馬という者が来て、――梶田重右衛門がとつぜん謹慎になったこと、その一派のおもだった者はみな職を免ぜられ、三人ほど追放になった者があること、そして若殿の身にも累が及ぶかもしれないので、充分に注意して貰いたいことなどを顔色を変えてあわただしく申し述べた。
注意するもしないもなかった。その翌朝、成信はみしらぬ侍たちにとり囲まれ、本所の下屋敷へと移された。そしてひと月すると上屋敷から使者が来て、大炊頭の名でつぎのようなことを申し渡された。
――おまえは一部の奸臣と謀って、兄、成武をさし越し、自分が家督になおろうと企だてた、この事実はわが家法の重過であって、とうていゆるすわけにゆかない。そのため国もとへ長の蟄居を申しつけるものである。
成信はいちど父に会いたいと云ったが、かれらは耳にもいれなかったし、中屋敷にいる生母と別れをつげるひまもなく、すぐさま領地へ送られてしまった。――この鬼塚山の御殿というのはまえの領主の山荘だったそうで、松平家が移封して来てから、成信の祖父にあたる大炊頭成光というひとが、暫らく隠居所に使ったことがある。それもごく短かい期間のことで、あまりに荒れているし、城と五里も離れていて不便なため間もなくやめたらしい。それからのちは番人も置かず、荒廃するままにしてあったというが、……国もとへ着くとすぐ成信はここへ入れられたのであった。
初めのうちは侍五人と、下僕が数人ついていた。そのうちに侍が一人ずつ減ってゆき、下僕も去り、今年の春から成信ひとりだけとり残された。しかし米だけはどうにか届いていたのだが、それもだんだん間遠になり、ついには米も来なくなった。――城からはときどきようすを視に来るし、この屋敷まわりには妙な人間がつねにうろうろしている、三度ばかり成信を刺しに忍びこんだ者もあった。ごく最近も表の門番所のかげから、広縁にいる彼に矢を射かけたことがある。
城からようすを視に来る役人に、従者の欲しいこと、食糧の届かないこと、また刺客のことなど、たびたび訴えてみた。すると役人は、自分たちはすべて江戸からの申しつけどおりにしているが、貴方のおこないがあまりに粗暴で、従者がみな逃げだしてしまうのである、食糧はきちんと届いている筈であると答え、また刺客の件についてはつぎのように云った。
――そんなことは有ろうとも思えないが、もし事実とすれば梶田一派のまわし者であろう、貴方のお命をちぢめて、継嗣問題の密謀をやみに葬むるつもりではないか。
成信はやんぬるかなと思った。
――餓死か暗殺か、もう運命はきまった。
じたばたするだけむだである。こう覚悟をきめ、すべてを投げ出した気持で、米が一粒もなくなると共に、そこで飢え死ぬつもりで寝ていたのであった。
こういう状態のところへ賊がはいった。おそらく他国から来たもので、なんにも事情を知らないのであろうが、選りにえってこんなところへはいるというのは皮肉すぎる。――おれを素人だと思うかなどと威張ったが、おそらくそのとおりに違いない。ひとがらも悪人にはみえないし、自分の銭で米味噌を買い、煮炊きをして食わせさえした。
「家来たちがおれの命をちぢめようとしているのに、盗賊はおれに飯を食わせて呉れた、妙な世のなかだ」
成信はこう呟やいて、男の置いていった包をあけてみた。中には味噌をまぶした大きな握り飯が三つはいっていた。