← Library‹ 泥棒と若殿 四

まえにも記しるしたように、大炊頭おおいのかみはつねづね公務こうむに追おわれるため、藩はんの政治せいじは老臣ろうしんにまかせきりのようなかたちだった。その首班しゅはんは江戸えどの筆頭ひっとう家老かろうで、滝沢たきざわ図書としょ助すけといい、風貌ふうぼうも才腕さいわんもずばぬけた、ひところ名めい執政しっせいという評ひょうの高たかい人物じんぶつでもあった。――図書としょ助すけは十じゅう五ご年ねんちかくその席せきにいた、それだけの能力のうりょくと人望じんぼうがあったのだろう、しかし一方いっぽうでは彼かれに反感はんかんをもち、その政策せいさくに不満ふまんをいだく者ものも少すくなくなかった。うがちずきな人ひとたちに云いわせると、大炊頭おおいのかみそのひとがすでに図書としょ助すけを嫌きらっていたそうである。……反はん滝沢たきざわ派はの中心ちゅうしんは梶田かじた重しげる右衛門えもんであるが、彼かれが大炊頭おおいのかみの側がわ用よう人にんだったところから考かんがえると、案外あんがいそれが事実じじつであったかもしれない。

滝沢たきざわ派はは兵部へいぶ成せい武ぶの家督かとくをいい張はった。もちろんそれが正論せいろんである。成せい武たけしは長男ちょうなんであるし、八はち歳さいのとき将軍しょうぐんにめみえも済すんでいる。ただ十じゅう三さん歳さいのとき脳のうをひどく病やんでから、躯からだだけは丈夫じょうぶであるが頭あたまがわるく、ときどきおかしな挙動きょどうをしたり、言語げんごがはっきりしないようなところがある、それが問題もんだいであった。

梶田かじた派はは成せい信しんを擁立ようりつしようとした。

――成せい武たけしが脳のうを病やんだ直後ちょくごから、大炊頭おおいのかみは成せい信しんに家督かとくをなおすつもりであった。幾いくたびも養子ようしのはなしがあったのを、大炊頭おおいのかみが断ことわりとおしたのはそのためである。

かれらはこう主張しゅちょうし、その反面はんめん、成せい武たけしが白痴はくちであるということを、幕府ばくふの閣老かくろうのあいだに宣伝せんでんしたらしい。……大炊頭おおいのかみは卒中そっちゅうで倒たおれて寝ねたきりだった。全身ぜんしんの麻痺まひで、口くちをきくこともできなかったようだ。

成せい信しんは詳くわしいゆくたては知しらない。知しりたいとも思おもわなかったが、三さん年ねんまえの二に月がつのはじめのある夜よる、いつも側がわに仕つかえている鮫島さめしま平馬へいまという者ものが来きて、――梶田かじた重しげる右衛門えもんがとつぜん謹慎きんしんになったこと、その一派いっぱのおもだった者ものはみな職しょくを免めんぜられ、三さん人にんほど追放ついほうになった者ものがあること、そして若殿わかとのの身みにも累るいが及およぶかもしれないので、充分じゅうぶんに注意ちゅういして貰もらいたいことなどを顔色かおいろを変かえてあわただしく申もうし述のべた。

注意ちゅういするもしないもなかった。その翌朝よくちょう、成せい信しんはみしらぬ侍さむらいたちにとり囲かこまれ、本所ほんじょの下屋敷しもやしきへと移うつされた。そしてひと月がつすると上屋敷かみやしきから使者ししゃが来きて、大炊頭おおいのかみの名なでつぎのようなことを申もうし渡わたされた。

――おまえは一部いちぶの奸臣かんしんと謀はかって、兄あに、成せい武たけしをさし越こし、自分じぶんが家督かとくになおろうと企くわだてた、この事実じじつはわが家法かほうの重おも過すぎであって、とうていゆるすわけにゆかない。そのため国くにもとへ長ちょうの蟄居ちっきょを申もうしつけるものである。

成せい信しんはいちど父ちちに会あいたいと云いったが、かれらは耳みみにもいれなかったし、中屋敷なかやしきにいる生母せいぼと別わかれをつげるひまもなく、すぐさま領地りょうちへ送おくられてしまった。――この鬼塚おにづか山やまの御殿ごてんというのはまえの領主りょうしゅの山荘さんそうだったそうで、松平まつだいら家かが移封いほうして来きてから、成せい信しんの祖父そふにあたる大炊頭おおいのかみ成光しげみつというひとが、暫しばらく隠居いんきょ所しょに使つかったことがある。それもごく短みじかい期間きかんのことで、あまりに荒あれているし、城しろと五ご里りも離はなれていて不便ふべんなため間まもなくやめたらしい。それからのちは番人ばんにんも置おかず、荒廃こうはいするままにしてあったというが、……国くにもとへ着つくとすぐ成せい信しんはここへ入いれられたのであった。

初はじめのうちは侍さむらい五ご人にんと、下僕げぼくが数すう人にんついていた。そのうちに侍さむらいが一人ひとりずつ減へってゆき、下僕げぼくも去さり、今年ことしの春はるから成せい信しんひとりだけとり残のこされた。しかし米べいだけはどうにか届とどいていたのだが、それもだんだん間遠まどおになり、ついには米べいも来こなくなった。――城しろからはときどきようすを視みに来くるし、この屋敷やしきまわりには妙みょうな人間にんげんがつねにうろうろしている、三さん度どばかり成せい信しんを刺さしに忍しのびこんだ者ものもあった。ごく最近さいきんも表ひょうの門もん番所ばんしょのかげから、広縁ひろえんにいる彼かれに矢やを射いかけたことがある。

城しろからようすを視みに来くる役人やくにんに、従者じゅうしゃの欲ほしいこと、食糧しょくりょうの届とどかないこと、また刺客しかくのことなど、たびたび訴うったえてみた。すると役人やくにんは、自分じぶんたちはすべて江戸えどからの申もうしつけどおりにしているが、貴方あなたのおこないがあまりに粗暴そぼうで、従者じゅうしゃがみな逃にげだしてしまうのである、食糧しょくりょうはきちんと届とどいている筈はずであると答こたえ、また刺客しかくの件けんについてはつぎのように云いった。

――そんなことは有あろうとも思おもえないが、もし事実じじつとすれば梶田かじた一派いっぱのまわし者ものであろう、貴方あなたのお命いのちをちぢめて、継嗣けいし問題もんだいの密みつ謀はかりごとをやみに葬ほうむるつもりではないか。

成せい信しんはやんぬるかなと思おもった。

――餓死がしか暗殺あんさつか、もう運命うんめいはきまった。

じたばたするだけむだである。こう覚悟かくごをきめ、すべてを投なげ出だした気持きもちで、米べいが一いち粒つぶもなくなると共ともに、そこで飢うえ死しぬつもりで寝ねていたのであった。

こういう状態じょうたいのところへ賊ぞくがはいった。おそらく他国たこくから来きたもので、なんにも事情じじょうを知しらないのであろうが、選えりにえってこんなところへはいるというのは皮肉ひにくすぎる。――おれを素人しろうとだと思おもうかなどと威張いばったが、おそらくそのとおりに違ちがいない。ひとがらも悪人あくにんにはみえないし、自分じぶんの銭ぜにで米べい味噌みそを買かい、煮炊にたきをして食くわせさえした。

「家来けらいたちがおれの命いのちをちぢめようとしているのに、盗賊とうぞくはおれに飯めしを食くわせて呉くれた、妙みょうな世よのなかだ」

成せい信しんはこう呟つぶやいて、男おとこの置おいていった包つつみをあけてみた。中なかには味噌みそをまぶした大おおきな握にぎり飯めしが三みつはいっていた。

Next chapter →
Click a word · hold for the whole sentence 0%