← Library‹ 泥棒と若殿 九

成せい信しんは本気ほんきであった。伝九郎でんくろうといっしょにここを出奔しゅっぽんし、どこでもいい、この身みで働はたらいて、人間にんげんらしい慎つつましい生活せいかつをしよう。伝九郎でんくろうを騙だまし、搾しぼり、くすね、罵ののしり辱はずかしめたような人間にんげんはどこにでもいるに違ちがいない。しかしそれもさして悪わるくはない、権力けんりょく争奪そうだつの傀儡かいらいにされるより、はるかに人間にんげんらしく、生いき甲斐がいもありそうだ。

――出でてゆこう、伝九郎でんくろうといっしょに、自分じぶんで働はたらいて生いきよう。

成せい信しんがそう決心けっしんするのと反対はんたいに、伝九郎でんくろうはなかなか動うごくけしきがなかった。堤防ていぼう工事こうじの人足にんそくの親方おやかたがだいぶ彼かれに執心しゅうしんで、その頃ころはもう小頭こがしらにひきあげていた。さきへいってはひと現場げんばまかせてもいいような口くちぶりらしい。

「自分じぶんでもいやなんだが、どうもおれにあそういうところがあるらしい」

伝九郎でんくろうはてれくさいような眼めつきをした。

「おらあ嫌いやえなんだ、そういうことはいやなんだけれども、――古石場ふるいしばのときもそうなんだが、へんに信用しんようされるところがあるらしい、べつにおべっかを遣つかうようなこたあねえつもりなんだが」

しかし信用しんようされてみれば悪わるい気持きもちではないし、こちらもそれだけのことをする義理ぎりはある。伝九郎でんくろうはそういうつもりのようだ。

「此処ここはこのとおりぶっ壊こわれの化物ばけもの屋敷やしきで、誰だれに邪魔じゃまをされる心配しんぱいもねえ、閑静かんせいで暢気のんきで、おれたちがこうしているにあ持もって来こいだぜ、――とにかくもうちっといてみようや」

こんなふうに云いっているうちに、十とお日かばかり経たってしまった。

その日ひはよく晴はれて、秋あきをおもわせるような、爽さわやかな、ややつよい西風にしかぜが、朝あさからしきりに樹々きぎの枝えだを鳴ならしていた。伝九郎でんくろうがでかけて一刻ときあまり経たったろうか、遠とおくから馬蹄ばていの音おとが近ちかづいて来きて、表門おもてもんのところで停とまった。――五、六ごろく騎きはいるらしい、成せい信しんはどきっとし、刀かたなをひきよせてそっちを見みた。平馬へいまが云いったように、滝沢たきざわ派はで非常ひじょう手段しゅだんを打うちに来きたのかもしれない。

――もうやみやみと討うたれはしないぞ。

こう思おもっていると、前栽せんざいをまわって五ご人にんの武士ぶしがはいって来きた。なかに一人ひとり、塗笠ぬりがさを冠かんむりった者ものがいて、その者ものだけがそこで笠かさをぬぎ、刀かたなを侍者じしゃに渡わたして、こちらへ進すすんで来きた。他ほかの四よん人にんはその場ばに膝ひざをついて控ひかえたが、鮫島さめしま平馬へいまの顔かおもそのなかにみえた。

こちらへ来きたのは榁久左衛門むろきゅうざえもんという者ものだった。江戸えどの上屋敷かみやしきでたびたび会あったことがある、中老ちゅうろう格かくで、慥たしかずっと馬廻うままわり支配しはいをしていた筈はずだ。年としは四十よんじゅう三さん、四よん、柳生やぎゅう流りゅうの達者たっしゃだと聞きいたように思おもうが、――今いまみるとたいそう痩やせて、左右さゆうの鬢びんが白しろくなったし、日ひにやけて、とがったような顔かおに、おちくぼんだ眼めだけが強つよい光ひかりを帯おびていた。

「おみ忘わすれでございましょうか、榁久左衛門きゅうざえもんにございます」

縁えんさきに片膝かたひざをついて彼かれはこう云いった。そうして、頭あたまを下さげたまま、成せい信しんにながい辛労しんろうをさせたことを詫わび、城しろへ迎むかえるために来きたこと、詳くわしい事情じじょうは城しろへいってから申もうしあげよう、御ご乗馬じょうばを曳ひいて来きてあるから、すぐしたくをしてお立たち下くださるようにと云いった。

「――おれに構かまうな、平馬へいまにそう申もうした筈はずだ」

成せい信しんは正坐せいざして静しずかにそう答こたえた。

「――城じょうへはゆかぬ、いやだ」

「わたくしは五いつ日かまえに江戸えどからこちらへ到着とうちゃくいたしました、当地とうちにおきましてのおいたわしい御ご日常にちじょうは、江戸えどでもあらまし承知しょうちしておりましたが、こちらへまいり、三さん年ねん以来いらいの詳くわしいことを聞ききまして、おそれながら五体ごたいも砕くだけまじい、心魂しんこんの消きえるおもいにございました」

「――おれが飢うえていたことも聞きいたか」

成せい信しんは寧むしろほほ笑えみながら云いった。

「――おれが泥棒どろぼうに食くわせて貰もらっていることも聞きいたか」

「おそれながらすべて承知しょうちいたしております、その者ものとのお暮くらしぶりも、そのお暮くらしぶりが御意ぎょいにめしたというごようすも、また、御ご身分みぶんをすてて世よに隠かくれるおぼしめしのことも、すべて承知しょうちいたしております」

これは成せい信しんには思おもいがけない言葉ことばだった。平馬へいまか、とも思おもったが、平馬へいまにもそこまでわかる筈はずはない、出奔しゅっぽんして庶民しょみんのなかへはいろうという思案しあんは、伝九郎でんくろうのほかに知しる者ものはない筈はずである。――では伝九郎でんくろうか、そう考かんがえてきて成せい信しんははっと眼めをあげた。

「――伝九郎でんくろうの足あしをとめたのはそのほうどもか」

「当地とうちの者ものどもが計はからいました、知しれざるように手てをまわして、賃銀ちんぎんも多おおく遣つかわし、役やくもつけ、今後こんごもながく当地とうちにいて、身みの立たつようにとも計はからってございます」

「――それでおれが城しろへ帰かえると思おもうのだな」

成せい信しんは冷ひややかな、しかし強つよい調子ちょうしでこう云いった。

「――おれはいやだ、もうおれに構かまうな、おまえたちの傀儡くぐつになるのはもうごめんだ、おれは人間にんげんらしく生いきることを知しった、おれは人間にんげんらしく生いきる」

「その仰おおせは覚悟かくごのうえでまいりました」

久左衛門きゅうざえもんはこう云いって静しずかにこちらを見みあげた。

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