← Library‹ 日日平安 四

夜半やはんを過すぎたであろう、こいその運はこんで来きた握飯にぎりめしを喰たべ、茶ちゃを飲のみながら、二人ふたりは対策たいさくを練ねっていた。事態じたいは急きゅうを要ようする、黒くろ藤ふじら一味いちみの謀略ぼうりゃくが完成かんせいするまえに、事ことを輓回ばんかいしなければならない。十郎太じゅうろうたはあせった、けれども菅田すがた平野へいやはおちついていた。

かれらは陸田りくでん精兵せいへい衛を拉致らちし、居宅きょたくから書類しょるいを押収おうしゅうしていった。これはなにが目的もくてきであるか、と菅田すがた平野へいやは考かんがえた。菊井きくいなにがしは「汚職おしょくの事実じじつが暴露ばくろした」ともらしたそうである。たぶん自分じぶんたちの悪事あくじを陸田りくでん城代じょうだいになすりつけるつもりだろう、そうするにはいくつかの方法ほうほうが想像そうぞうされる。「罪状ざいじょう湮滅いんめつを防ふせぐ非常ひじょうの処置しょち」とは、じつは罪状ざいじょうを城代じょうだいに転嫁てんかする工作こうさくで、最悪さいあくのばあいは自白じはく書しょを強要きょうようしたうえに、城代じょうだいの命いのちを縮ちぢめる(自害じがいという形式けいしきで)という手てを使つかうかもしれない。そうだ、こんな思おもいきった手段しゅだんをとる以上いじょう、そのくらいのことは予想よそうしなければならない、と菅田すがた平野へいやは考かんがえた。死人しにんに口くちなし、もし精兵せいへい衛が強要きょうようされて自白じはく書しょを書かけば、かれらは精兵せいへい衛を生いかしてはおかないだろう。いや、初はじめからそのつもりで「非常ひじょう処置しょち」なるものをとったのかもしれない。

――そうだ、たしかにそれに相違そういない。

心こころの中なかで頷うなずきながら、菅田すがた平野へいやは鼻毛はなげを抜ぬいた。右手みぎての拇指ぼしと食指しょくしで、巧たくみに鼻毛はなげを摘つみ、呼吸こきゅうを計はかってくいっと抜ぬき、そうして大おおきなくしゃみをした。

「失礼しつれいしました」と菅田すがた平野へいやは云いった、「――そこでうかがいたいのですが、井坂いさかさんが奸物かんぶつ粛清しゅくせいをやろうとした計画けいかくと、その盟友めいゆうの人数にんずうを聞きかせてくれませんか」

十郎太じゅうろうたは旅嚢りょのうをひらいて、一いち通つうの封書ふうしょをみつけ、中なかから巻まいてある紙かみを取出とりだした。

「これをみて下ください、それから説明せつめいします」

菅田すがた平野へいやは受取うけとって披ひらいた。それには次つぎのようなことが書かいてあった。

斬ざん込こみ隊たい指揮しき

井坂いさか十郎太じゅうろうた

寺田てらだ 文治ぶんじ (馬廻うままわり七十ななじゅう石こく)

保川英之助えいのすけ (徒士かち目付めつけ五十ごじゅう石こく余あまり)

河原かわはら 源内げんない (同どう三十さんじゅう五ご石こく)

城しろがかり指揮しき

守島もりしま 仲太なかのろ (鉄炮てっぽう組くみ支配しはい七十ななじゅう石こく)

関口せきぐち兵次へいじ郎ろう (櫓番やぐらばん五ご石こく余あまり)

八田はった益太郎ますたろう (徒士組かちぐみ番頭ばんとう六十ろくじゅう石こく)

三方みかた木戸きど

寺田てらだ乙おつ三郎さぶろう (文治ぶんじの弟おとうと)

広瀬ひろせ 半はん六ろく (鉄炮てっぽう組くみ番頭ばんとう五ご石こく余あまり)

島口しまぐち 存あり平たいら (徒士かち頭あたま五十ごじゅう五ご石こく余あまり)

この連名れんめいには血判けっぱんが押おされてあり、奸臣誅殺かんしんちゅうさつの趣意しゅいが書かいてあった。

「斬ざん込こみ隊たいは各かく分担ぶんたんの奸物かんぶつを斬きる」と十郎太じゅうろうたは説明せつめいした、「――木戸きどというのは城下じょうか町ちょう三さん方ほうの口くちを押おさえ、城しろがかりは大手おおて、西にし、搦手からめての三さん門もんを固かためる、こういう手筈てはずで、各かく組くみとも三十さんじゅう人にんから五十ごじゅう人にんの部下ぶかが集あつまる予定よていでした」

「なるほど」と菅田すがた平野へいやが云いった。「――なかなかこれはゆき届とどいたものですな、ええ」

そして彼かれはまたじっと考かんがえはじめた。

陸田りくでん城代じょうだいは自白じはく書しょを書かくだろうか、「日日にちにち平安へいあん」などという暢気のんきな人ひとだから、高たかをくくって書かくかもしれない。と菅田すがた平野へいやは考かんがえた。しかしすぐには書かくまい、いくら暢気のんき居士こじにしても二ふた日かや三み日かはねばるだろう。子供こどもではないのだから、それを書かけばどうなるかぐらいの想像そうぞうはつくはずだ。これはかれらが自白じはく書しょを強要きょうようするとしてのはなしだが、と菅田すがた平野へいやは考かんがえ続つづけた。

「この連名れんめい者しゃのうちから」とやがて菅田すがた平野へいやが云いった。「――腕うで達者たっしゃでもっとも頼たのみになる人間にんげんを五ご人にん選えらんで下ください」

「腕うでが立たつといえば、まず斬ざん込こみ隊たいの三さん指揮しき者しゃですね、寺田てらだ、保ほ川かわ、河原かわはら、それから関口せきぐち兵次へいじ郎ろうと寺田てらだ文治ぶんじの弟おとうとの乙おつ三郎さぶろうでしょうか」

「その人ひとたちが貴方あなたと共ともに、事ことを計はかった盟友めいゆうだということは、かれらに知しられていると思おもいますか」

「そんなことは絶対ぜったいにないでしょう、計画けいかくを勘かんづいたのは伯父おじだけですから」

「なるほど」と菅田すがた平野へいやは云いった。「――ではひとつ夜明よあけ前まえに、その五ご人にんをここへ呼よんで来きてもらいますかな」

「五ご人にんをここへですか」

菅田すがた平野へいやは頷うなずいて「危急ききゅう存亡そんぼうのばあいです」と云いった。十郎太じゅうろうたはすぐに決意けついした。危険きけんではあるが事ことは切迫せっぱくしている、それが必要ひつようならそうしなければなるまい。こう思おもって身み支度したくをした。菅田すがた平野へいやは慎重しんちょうにやるように念ねんを押おして、なお、矢立やたてと料紙りょうしを求もとめた。十郎太じゅうろうたは旅嚢りょのうの中なかからそれらを取出とりだして渡わたし、黒くろい目出めだし頭巾ずきんをかぶって出でていった。

「さて、これで位置いちは定さだまった」とあとに残のこった菅田すがた平野へいやは独ひとりで呟つぶやいた、「――おれはまじめにならなければいけない、自分じぶんを英雄えいゆうぶったり、傑出けっしゅつした人物じんぶつだなどと思おもってもいけない、おれは単たんに腹はらのへっている浪人ろうにん者しゃだった、そうではないか、切腹せっぷくのまねまでして、一いち食しょくの銭ぜににありつこうとしていた人間にんげんだ、決けっして英雄えいゆうでもなければ大だい人物じんぶつでもない、わかるか」そうして片手かたてで尖とがった顎あごをなでた、「いまは軍師ぐんしの位置いちについたのだ、これはもうたしかなことだ、あとはこのへぼ頭あたまからどれだけの知恵ちえが出だせるか、しかもごく短たん時間じかんのうちに、……これが問題もんだいだ、これだけが問題もんだいだ、ひとつ考かんがえてみよう」

彼かれは提灯ちょうちんをのぞいた。蝋燭ろうそくは(夜食やしょくのまえに替かえた)まだ充分じゅうぶんにある。彼かれは乾ほし草くさの束たばをいいぐあいに直なおし、矢立やたてから筆ふでを抜ぬいて、料紙りょうしをそこへひろげた。するとそのとき、ふいに引戸ひきどがあき、明あかるい提灯ちょうちんの光ひかりがさし込こんだ。

「そこにいるのは誰だれだ」

こう云いって、提灯ちょうちんをかかげて、一人ひとりの侍さむらいが入はいって来きた。おそらく黒くろ藤ふじ一味いちみの見張みはり役やくであろう、「邸内ていないに五ご人にんいる」と云いったが、その一人ひとりに違ちがいない。菅田すがた平野へいやはびっくりしたふうで(すばやく)自分じぶんの提灯ちょうちんを倒たおして消けした。

「は、はい、私わたくしは」と彼かれはどもった、「――私わたくしは厩うまや係かかりの小しょう、小者こものでございます」

「こんな時刻じこくになにをしているのだ」

「はい、そ、それが、いま馬草まぐさを」

「なに、はっきり云いってみろ」侍さむらいはこっちへ近ちかよって来きた、「――いまじぶん馬草まぐさをどうするんだ、きさまうろんなやつだぞ」

菅田すがた平野へいやはおどおどと立たった、侍さむらいは「こっちへ来こい」と叫さけんだ、菅田すがた平野へいやはますます恐縮きょうしゅくし、身みをちぢめてそっちへいった。侍さむらいは提灯ちょうちんをあげて面めん態たいをしらべようとした、そのとき菅田すがた平野へいやの右手みぎてが伸のび、侍さむらいの鼻柱はなばしら(眼めと眼めの中間ちゅうかん)を発止はっしと突ついた。侍さむらいは反のけざまによろめき、提灯ちょうちんを手てからとばした。菅田すがた平野へいやはとびかかって、もういちど鼻柱はなばしらを叩たたき、足搦あしがらみをかけて押おし倒たおすと共ともに、衿えりを取とって絞しめおとした。かなりな手際てぎわにみえたが、もちろん菅田すがた平野へいやがそれほど強つよいのではなく、巧たくみに不意ふいを衝つき、それが成功せいこうしたものであろう。相手あいてを絞しめおとしたとき、菅田すがた平野へいやは躯むくろじゅうに冷つめたい膏汗あぶらあせをかいていた。

Next chapter →
Click a word · hold for the whole sentence 0%