夜半を過ぎたであろう、こいその運んで来た握飯を喰べ、茶を飲みながら、二人は対策を練っていた。事態は急を要する、黒藤ら一味の謀略が完成するまえに、事を輓回しなければならない。十郎太はあせった、けれども菅田平野はおちついていた。
かれらは陸田精兵衛を拉致し、居宅から書類を押収していった。これはなにが目的であるか、と菅田平野は考えた。菊井なにがしは「汚職の事実が暴露した」ともらしたそうである。たぶん自分たちの悪事を陸田城代になすりつけるつもりだろう、そうするにはいくつかの方法が想像される。「罪状湮滅を防ぐ非常の処置」とは、じつは罪状を城代に転嫁する工作で、最悪のばあいは自白書を強要したうえに、城代の命を縮める(自害という形式で)という手を使うかもしれない。そうだ、こんな思いきった手段をとる以上、そのくらいのことは予想しなければならない、と菅田平野は考えた。死人に口なし、もし精兵衛が強要されて自白書を書けば、かれらは精兵衛を生かしてはおかないだろう。いや、初めからそのつもりで「非常処置」なるものをとったのかもしれない。
――そうだ、たしかにそれに相違ない。
心の中で頷きながら、菅田平野は鼻毛を抜いた。右手の拇指と食指で、巧みに鼻毛を摘み、呼吸を計ってくいっと抜き、そうして大きなくしゃみをした。
「失礼しました」と菅田平野は云った、「――そこでうかがいたいのですが、井坂さんが奸物粛清をやろうとした計画と、その盟友の人数を聞かせてくれませんか」
十郎太は旅嚢をひらいて、一通の封書をみつけ、中から巻いてある紙を取出した。
「これをみて下さい、それから説明します」
菅田平野は受取って披いた。それには次のようなことが書いてあった。
斬込隊指揮
井坂十郎太
寺田 文治 (馬廻七十石)
保川英之助 (徒士目付五十石余)
河原 源内 (同三十五石)
城がかり指揮
守島 仲太 (鉄炮組支配七十石)
関口兵次郎 (櫓番五石余)
八田益太郎 (徒士組番頭六十石)
三方木戸
寺田乙三郎 (文治の弟)
広瀬 半六 (鉄炮組番頭五石余)
島口 存平 (徒士頭五十五石余)
この連名には血判が押されてあり、奸臣誅殺の趣意が書いてあった。
「斬込隊は各分担の奸物を斬る」と十郎太は説明した、「――木戸というのは城下町三方の口を押え、城がかりは大手、西、搦手の三門を固める、こういう手筈で、各組とも三十人から五十人の部下が集まる予定でした」
「なるほど」と菅田平野が云った。「――なかなかこれはゆき届いたものですな、ええ」
そして彼はまたじっと考えはじめた。
陸田城代は自白書を書くだろうか、「日日平安」などという暢気な人だから、高をくくって書くかもしれない。と菅田平野は考えた。しかしすぐには書くまい、いくら暢気居士にしても二日や三日はねばるだろう。子供ではないのだから、それを書けばどうなるかぐらいの想像はつくはずだ。これはかれらが自白書を強要するとしてのはなしだが、と菅田平野は考え続けた。
「この連名者のうちから」とやがて菅田平野が云った。「――腕達者でもっとも頼みになる人間を五人選んで下さい」
「腕が立つといえば、まず斬込隊の三指揮者ですね、寺田、保川、河原、それから関口兵次郎と寺田文治の弟の乙三郎でしょうか」
「その人たちが貴方と共に、事を計った盟友だということは、かれらに知られていると思いますか」
「そんなことは絶対にないでしょう、計画を勘づいたのは伯父だけですから」
「なるほど」と菅田平野は云った。「――ではひとつ夜明け前に、その五人をここへ呼んで来てもらいますかな」
「五人をここへですか」
菅田平野は頷いて「危急存亡のばあいです」と云った。十郎太はすぐに決意した。危険ではあるが事は切迫している、それが必要ならそうしなければなるまい。こう思って身支度をした。菅田平野は慎重にやるように念を押して、なお、矢立と料紙を求めた。十郎太は旅嚢の中からそれらを取出して渡し、黒い目出し頭巾をかぶって出ていった。
「さて、これで位置は定った」とあとに残った菅田平野は独りで呟いた、「――おれはまじめにならなければいけない、自分を英雄ぶったり、傑出した人物だなどと思ってもいけない、おれは単に腹のへっている浪人者だった、そうではないか、切腹のまねまでして、一食の銭にありつこうとしていた人間だ、決して英雄でもなければ大人物でもない、わかるか」そうして片手で尖った顎をなでた、「いまは軍師の位置についたのだ、これはもうたしかなことだ、あとはこのへぼ頭からどれだけの知恵が出せるか、しかもごく短時間のうちに、……これが問題だ、これだけが問題だ、ひとつ考えてみよう」
彼は提灯をのぞいた。蝋燭は(夜食のまえに替えた)まだ充分にある。彼は乾し草の束をいいぐあいに直し、矢立から筆を抜いて、料紙をそこへひろげた。するとそのとき、ふいに引戸があき、明るい提灯の光りがさし込んだ。
「そこにいるのは誰だ」
こう云って、提灯をかかげて、一人の侍が入って来た。おそらく黒藤一味の見張り役であろう、「邸内に五人いる」と云ったが、その一人に違いない。菅田平野はびっくりしたふうで(すばやく)自分の提灯を倒して消した。
「は、はい、私は」と彼はどもった、「――私は厩係りの小、小者でございます」
「こんな時刻になにをしているのだ」
「はい、そ、それが、いま馬草を」
「なに、はっきり云ってみろ」侍はこっちへ近よって来た、「――いまじぶん馬草をどうするんだ、きさまうろんなやつだぞ」
菅田平野はおどおどと立った、侍は「こっちへ来い」と叫んだ、菅田平野はますます恐縮し、身をちぢめてそっちへいった。侍は提灯をあげて面態をしらべようとした、そのとき菅田平野の右手が伸び、侍の鼻柱(眼と眼の中間)を発止と突いた。侍は反ざまによろめき、提灯を手からとばした。菅田平野はとびかかって、もういちど鼻柱を叩き、足搦をかけて押倒すと共に、衿を取って絞めおとした。かなりな手際にみえたが、もちろん菅田平野がそれほど強いのではなく、巧みに不意を衝き、それが成功したものであろう。相手を絞めおとしたとき、菅田平野は躯じゅうに冷たい膏汗をかいていた。