約二時間ののち、――馬草小屋の外に人の足音がした。菅田平野が引戸の隙間からのぞくと、暗がりの中にこっちをうかがっている黒い人影が見えた。井坂十郎太らしい。菅田平野はそっと引戸をあけて、名を呼んだ。
「ああ、無事でしたか」と十郎太が寄って来た、「――中がまっ暗だものでなにかあったのかと思いました」
「ありましたよ、しかしそっちの首尾は」
「みんな来ました」
十郎太はうしろへ振返って手を振った。そうして、暗がりからあらわれた五人の若侍といっしょに、すばやく小屋の中へ入って、引戸を閉めた。
「燧袋を出して下さい」と菅田平野が云った、「――さっきちょいとした事があって提灯を消したんです、ああ、そこに人間が転がってますから気をつけて下さい」
五人のなかの一人が燧袋を出した。
菅田平野は出来事を語りながら提灯をつけ、それで片隅を照らしてみせた。うしろ手に縛られ、猿轡を噛まされて、二人の侍が転がっていた。手を縛ってあるのはかれら自身の刀の下緒だし、口に詰めこんだのは乾し草であった。二人ともすでに息をふき返し恐怖の眼をいっぱいにみはって、こちらを見あげていた。
「二人もですか」と十郎太が云った。
「べつべつにですよ」と菅田平野が答えた、「――第一号はそっちの痩せたほうで、こっちのは半刻ばかりおくれて来たんです、きっと第一号が見廻りに出たまま戻らないので、捜しに来たんでしょうな」
「するとまた来るかもしれないな」
「そうありたいもんです」と菅田平野が云った、「――陸田夫人と令嬢に付いているのが二人、ここに二人とすると、門を看視している二人のほかに邸内にもう一人いる筈ですからね、こいつが捜しに来てくれればずっと手間が省けるわけです」
「みんな押えるつもりですか」
「それが第一着手です、しかしそちらの方がたに紹介して頂きましょうか」
十郎太は彼を五人にひきあわせた。
寺田文治と(その弟の)乙三郎はよく似ていた。兄よりも乙三郎のほうが背丈も高く、筋骨もたくましいようだが、むっとした顔だちや、切り口上な言葉つきなどはそっくりであった。河原源内はやや肥えた小柄な若者で、眼や口もとにあいそのいい微笑をたたえているが、その微笑はむしろ短気で手の早い性分をあらわしているようにみえた。保川英之助は色が黒く眼が大きく、毛深いたちとみえて口のまわりから顎から両の頬まで、剛いざらざらした髭が生えていた。彼は毎朝きちんと剃刀を当てるが、日が昏れるじぶんにはもうそんなふうに伸びるのだそうで、夜になって人と会うときなどは、夕方もういちど剃らなければならないということであった。関口兵次郎はふっくらとしたまる顔で、好人物らしいかわいい眼をした、まだ子供っぽさの抜けない若者だった。
「こいつら、斬っちまったらどうです」
紹介が済むのを待ちかねたように、河原源内が(微笑したまま)二人の捕虜を指さしながら云った。
「いや待って下さい」菅田平野は首を振った、「――その二人にはなんの罪もないし、自分でしている事の意味も知ってはいない、またその二人に限らず、こんどの事ではできる限り殺傷沙汰は避けることにしましょう」
「斬るのは三首魁だけということですか」
「いやその三人もです」と菅田平野が十郎太に云った、「――法の裁きなしに人を斬れば、こちらに理があってもとがめなしには済まない。幾人かの者は責任者として」
「それは覚悟のうえですよ」寺田文治が遮って云った。「――われわれは初めから身命を捨ててかかっているんです」
「しかし不必要に死ぬことはない」
「それがいけないんだ」と河原源内が云った、「――そういう考えかたをするから敵に先手を取られたんだ、あいつらは法を無視し、不義無道を平然とやっている、藩中の非難の声にも、領民の哀訴にも耳をかさない、もはや力で倒すほかに手段がないからわれわれはやるんだ、やるべき事は断乎としてやろうじゃありませんか」
「しかし不必要に死ぬことはない」
こう云いながら、菅田平野は頭の中で考えていた。
――これは抑えなければならない。
もしここで殺傷沙汰を起こせば、あとで必ず責任を問われる。まずくゆけば切腹ぐらいはしなければならなくなるかもしれない。そうすると自分の目的もどうなるかわからない。この藩に仕官しようという、本来の望み(それはもう確定的だと思う)が危なくなる。ここでなんとかこの連中の血気を抑えなければだめだ。こう考えながら彼は云った。
「なぜ不必要かというとですね、かれらはすでに自分の首に縄を巻きつけている。私どもはただその縄の端を捉まえればいいんです」
「もっと具体的にいって下さい」
「かれらは陸田さんを拉致した」と菅田平野は云った、「――おそらく罪を陸田さんに転嫁するつもりでしょう、諸兄も井坂さんから聞かれたと思うが、奸物どもは押収していった書類を悪用し、陸田さんを脅迫して罪状の告白書を書かせるのだと思う、そこで私どもが陸田さんを奪い返せば、それだけでかれらの罪は暴露するわけです」
「奪い返せますか」
「むずかしいな」保川英之助がごりごりと顎の髭をさすった、「――これが陸田さんを取られないまえならいいが、なにしろ陸田さんという人質を握られているからな」
「いやまあ聞いて下さい、こうなんです」
菅田平野は自分の計画を語った。
敵は井坂十郎太が江戸へいったものと信じている。そこで、「十郎太は江戸へいったのではなく、城下にいて同志を集め、奸臣誅殺の密謀をめぐらしている、某日某刻、一味は某所で会合をひらいている」ということを敵に知らせてやる。敵は必ずその「某所」へ押寄せるだろう、その隙にこちらは陸田精兵衛を奪い返す。というのであった。
「しかし」と関口兵次郎が云った、「――われわれが密会しているということを知らせて、はたして、かれらがひっかかるでしょうか」
「むろん内偵させるでしょう」と菅田平野は云った、「――だからここにいる六人と、他の四人、守島、八田、広瀬、島口の諸兄もいっしょに姿を隠す、つまり全部がここへ集まるんです。かれらは密告された十人の在否を内偵するでしょう、そして全員がその家にいないとすれば、某所で集合しているという密告を信ずるだろうし、即時に一網打尽の手を打つに違いないと思う、どうでしょう、みなさん」