井坂十郎太がまず頷いた。彼は菅田平野の計画をすばやく検討したらしい、しっかりと頷いて、「それでやろう」と云った。
「事態はこのとおり一刻を争うし、ほかに適切な手段もなさそうだ、この一手でやることにしようじゃないか」
菅田平野は他の者のようすをうかがっていたが、誰にも異存はないようであった。そこで彼はみんなに坐るように頼み、自分の計算を書きとめた料紙をひらいて、これからの行動を詳しく説明したうえ、その担当者を定めた。その一は邸内に残っている五人の見張りを捕え、陸田精兵衛の所在を白状させること。その二は守島仲太、広瀬半六、八田益太郎、島口存平らを呼び集めること。その三は密告状を投じて敵の動きを看視すること。などで、第一は即座に七人全部が協力してやり、次に手分けをして第二第三をやる、という順序であった。
この相談がほぼ終ったとき、小屋の外にひたひたと乱れた足音がし、「井坂さま」という女の声が聞えた。菅田平野が提灯を隠し、みんな総立ちになった。十郎太はつぶてのようにとんでゆき、引戸をあけて外を見た。二人の女がすぐそこまで走って来てい、そのうしろから幾人かの侍(一人が提灯をかかげて)たちが追いつめて来るのが見えた。夜明けが近いとみえ、空がぼかしたように仄白くなり、そうして小雨が降っていた。そのごく仄かな薄明りで、走って来る女の一人がこいそ、もう一人が千鳥であるのを十郎太は認めた。
「寺田、来てくれ」と彼は叫んだ。「――きゃつらだ」
そして外へとびだした。とびだすとき刀を抜くのが見えたので、菅田平野も寺田文治に続いて出ようとし、そこへ駆け込んで来た二人の女性と、危なくぶつかりそうになった。
「この人たちを頼みます、出ないで下さい」
彼は残った四人にそうどなって、寺田文治のあとを追った。
追って来たのは三人で、菅田平野がそこへいったときには、すでに一人は倒され、他の二人も十郎太と文治の前に動けなくなっていた。
「大丈夫ですか」菅田平野は走せつけながらきいた、「――斬りはしないでしょうな」
「大丈夫です」と十郎太が答えた。
「声をたてるなよ」寺田文治は刀をつきつけたまま相手に云った、「――黙って馬草小屋まで歩け、騒ぐと斬るぞ」
十郎太は二人から刀を奪い、落ちている提灯を拾おうとした。他の見張人にみつかっては悪いと思ったのだろう、菅田平野は倒れている一人を引起こそうとしながら、「そんな物はいいでしょう」と云った。
「残っているのは二人だけだから、すぐにやってしまおうじゃありませんか」
十郎太は頷いた。菅田平野は倒れている男を引起こして肩に担いだ。さして大きな躯ではなかったが、気絶しているのでひどく重い。文治と十郎太は二人を追いたてながら、かれらは馬草小屋へ戻った。そうして、すぐにその三人も手足を縛り、猿轡を噛ませたが、残っているのは正門の二人だということが(こいその証言で)わかったので、十郎太と菅田平野を除いた他の五人が、すぐに小屋から出ていった。
五人が出てゆくと、十郎太は提灯を持って千鳥のそばへいった。千鳥は乾し草の束に腰をかけ、こいそに凭れて泣いていた。
「さあ話してごらん、どうして逃げだしたんだ」
十郎太が云った。千鳥は涙を拭きながら十郎太を見た。十郎太はそこへかがんだ。千鳥は事情を語りだした、彼女は十七歳という年よりも子供っぽくみえる、背丈も高いし躯も成熟しているが、眼鼻だちのおおらかなまる顔や、のびやかな身ごなしや、あまえたような言葉つきなどに、あどけないといいたいくらいな、ういういしさが匂っていた。
「えっ、伯母上が自害、――」
十郎太が叫んだ。その仰天したような声を聞いて、菅田平野が振向いた。
「ええ、いいえ」と千鳥が云った、「――そうするはずだったんです、母が自害をして見張りの二人が騒ぐ隙に、わたくしが逃げだす約束だったんです、それがわたくしがまごまごしたものですから、すぐに見張りの者にみつかってしまいましたの」
「逃げだしてどうするつもりだった」
「こいそと二人であなたのあとを追うつもりでした」
「乱暴なことを」と十郎太が云った、「そうすると伯母上は自害なさらなかったんだな」
「でもわかりませんわ、わたくしの逃げたあとで自害したかもしれませんし、失敗したのでやめたかもしれませんし」
「冗談じゃない」と十郎太はとびあがりながら云った、「――泣いているひまにどうしてそれをさきに云わないんだ」
そして彼は小屋の外へとびだしていった。千鳥はまた泣きだした。菅田平野は彼女が濡れたままの足袋はだしなのを見て、こいそに「足袋をぬがせておあげなさい」と云い、そばへいって自分の名をなのった。
「足袋をぬいだらよく拭いておくんですね、風邪をひきますから」と菅田平野は云った、「――もう泣くことはありません、お父さまを救い出す手筈もついているし、まもなく無事におさまりますよ、じつに世の中はふしぎなものだと思うんですが、井坂さんが戻って来たのは私と出会ったからでしてね、その出会ったもとはといえば、私が死ぬほど空腹だったからなんです、恥を話さなければ理がとおらないといいますが、お聞きになりたいですか」
千鳥はいぶかしそうにこちらを見た。その眼には涙が溜まっていたが、菅田平野の話を聞いているうちに、眼鼻だちのおおらかな顔がしぜんとほぐれ、十郎太が本気になって介錯しようとした、というところまでくると、あどけない唇に微笑がうかんだ。しかし、彼の話が終らないうちに、十郎太が陸田夫人をつれて戻った。
「まあ、お母さま」
千鳥は叫び声をあげて、母親のほうへ両手をさし伸ばした。おの女は静かに入って来て娘のそばへ寄り、娘の手を握りながら乾し草の束へ腰をおろした。
「お母さまはここへ入るの初めてよ」おの女は小屋の中を眺めまわしながら云った、「――乾し草がよく匂うこと、お母さまはこの匂いが大好きよ、あなたおけがはなくって、千鳥さん」
「ええお母さま」千鳥は母の腕のところを撫でながら云った、「もうちょっとで捉まろうとしたとき、じゅろう(十郎太)さまが助けに来て下さいましたの」
「聞きましたよ」
「それからじゅろうさまたちは、お父さまも助け出して下さるのですって」
「それもいま聞きました」とおの女はまた小屋の中を眺めまわした、「――乾し草っていつもこんなによく匂うものかしら」
「ええいつも匂いますわ、わたくしときどき入ったことがあるけれど、いつだってこのとおり匂っていますわ、ねえ、じゅろうさま」
十郎太は咳をし、聞えないふりをして、五人の捕虜たちを仔細らしく点検した。陸田夫人はいぶかしげに娘を見た。
「あなたこんな処へお入りになったの」
「ええそうよお母さま」と千鳥は云った、「――ここは昼間でも薄暗いし、誰も来る者がなくって静かでしょ、それで乾し草の上へ横になると、躯がふわっと沈むような、浮いているような気持になって、そして草の甘い匂いに包まれたまま、うっとりと眠くなってしまいますの、ねえじゅろうさま」
「あら、じゅろうさんもごいっしょだったの」