← Library‹ 日日平安 六

井坂いさか十郎太じゅうろうたがまず頷うなずいた。彼かれは菅田すがた平野へいやの計画けいかくをすばやく検討けんとうしたらしい、しっかりと頷うなずいて、「それでやろう」と云いった。

「事態じたいはこのとおり一刻いっこくを争あらそうし、ほかに適切てきせつな手段しゅだんもなさそうだ、この一手いってでやることにしようじゃないか」

菅田すがた平野へいやは他たの者もののようすをうかがっていたが、誰だれにも異存いぞんはないようであった。そこで彼かれはみんなに坐すわるように頼たのみ、自分じぶんの計算けいさんを書かきとめた料紙りょうしをひらいて、これからの行動こうどうを詳くわしく説明せつめいしたうえ、その担当たんとう者しゃを定さだめた。その一いちは邸内ていないに残のこっている五ご人にんの見張みはりを捕とらえ、陸田りくでん精兵せいへい衛の所在しょざいを白状はくじょうさせること。その二には守島もりしま仲太なかのろ、広瀬ひろせ半はん六ろく、八田はった益太郎ますたろう、島口しまぐち存あり平たいらを呼よび集あつめること。その三さんは密告みっこく状じょうを投とうじて敵てきの動うごきを看視かんしすること。などで、第だい一いちは即座そくざに七しち人にん全部ぜんぶが協力きょうりょくしてやり、次つぎに手分てわけをして第だい二に第だい三さんをやる、という順序じゅんじょであった。

この相談そうだんがほぼ終おわったとき、小屋こやの外そとにひたひたと乱みだれた足音あしおとがし、「井坂いさかさま」という女おんなの声こえが聞きこえた。菅田すがた平野へいやが提灯ちょうちんを隠かくし、みんな総立そうだちになった。十郎太じゅうろうたはつぶてのようにとんでゆき、引戸ひきどをあけて外そとを見みた。二人ふたりの女おんながすぐそこまで走はしって来きてい、そのうしろから幾いく人にんかの侍さむらい(一人ひとりが提灯ちょうちんをかかげて)たちが追おいつめて来くるのが見みえた。夜明よあけが近ちかいとみえ、空そらがぼかしたように仄白ほのじろくなり、そうして小雨こさめが降ふっていた。そのごく仄ほのかな薄うす明あかりで、走はしって来くる女おんなの一人ひとりがこいそ、もう一人ひとりが千鳥ちどりであるのを十郎太じゅうろうたは認みとめた。

「寺田てらだ、来きてくれ」と彼かれは叫さけんだ。「――きゃつらだ」

そして外そとへとびだした。とびだすとき刀かたなを抜ぬくのが見みえたので、菅田すがた平野へいやも寺田てらだ文治ぶんじに続つづいて出でようとし、そこへ駆かけ込こんで来きた二人ふたりの女性じょせいと、危あぶなくぶつかりそうになった。

「この人ひとたちを頼たのみます、出でないで下ください」

彼かれは残のこった四よん人にんにそうどなって、寺田てらだ文治ぶんじのあとを追おった。

追おって来きたのは三さん人にんで、菅田すがた平野へいやがそこへいったときには、すでに一人ひとりは倒たおされ、他たの二人ふたりも十郎太じゅうろうたと文治ぶんじの前まえに動うごけなくなっていた。

「大丈夫だいじょうぶですか」菅田すがた平野へいやは走はせつけながらきいた、「――斬きりはしないでしょうな」

「大丈夫だいじょうぶです」と十郎太じゅうろうたが答こたえた。

「声こえをたてるなよ」寺田てらだ文治ぶんじは刀かたなをつきつけたまま相手あいてに云いった、「――黙だまって馬草まぐさ小屋こやまで歩あるけ、騒さわぐと斬きるぞ」

十郎太じゅうろうたは二人ふたりから刀かたなを奪うばい、落おちている提灯ちょうちんを拾ひろおうとした。他ほかの見張みはり人にんにみつかっては悪わるいと思おもったのだろう、菅田すがた平野へいやは倒たおれている一人ひとりを引起ひきおこそうとしながら、「そんな物ものはいいでしょう」と云いった。

「残のこっているのは二人ふたりだけだから、すぐにやってしまおうじゃありませんか」

十郎太じゅうろうたは頷うなずいた。菅田すがた平野へいやは倒たおれている男おとこを引起ひきおこして肩かたに担かついだ。さして大おおきな躯むくろではなかったが、気絶きぜつしているのでひどく重おもい。文治ぶんじと十郎太じゅうろうたは二人ふたりを追おいたてながら、かれらは馬草まぐさ小屋こやへ戻もどった。そうして、すぐにその三さん人にんも手足てあしを縛しばり、猿轡さるぐつわを噛かませたが、残のこっているのは正門せいもんの二人ふたりだということが(こいその証言しょうげんで)わかったので、十郎太じゅうろうたと菅田すがた平野へいやを除のぞいた他ほかの五ご人にんが、すぐに小屋こやから出でていった。

五ご人にんが出でてゆくと、十郎太じゅうろうたは提灯ちょうちんを持もって千鳥ちどりのそばへいった。千鳥ちどりは乾ほし草くさの束たばに腰こしをかけ、こいそに凭もたれて泣ないていた。

「さあ話はなしてごらん、どうして逃にげだしたんだ」

十郎太じゅうろうたが云いった。千鳥ちどりは涙なみだを拭ふきながら十郎太じゅうろうたを見みた。十郎太じゅうろうたはそこへかがんだ。千鳥ちどりは事情じじょうを語かたりだした、彼女かのじょは十じゅう七なな歳さいという年としよりも子供こどもっぽくみえる、背丈せたけも高たかいし躯むくろも成熟せいじゅくしているが、眼鼻めはなだちのおおらかなまる顔かおや、のびやかな身みごなしや、あまえたような言葉ことばつきなどに、あどけないといいたいくらいな、ういういしさが匂におっていた。

「えっ、伯母おば上うえが自害じがい、――」

十郎太じゅうろうたが叫さけんだ。その仰天ぎょうてんしたような声こえを聞きいて、菅田すがた平野へいやが振向ふりむいた。

「ええ、いいえ」と千鳥ちどりが云いった、「――そうするはずだったんです、母ははが自害じがいをして見張みはりの二人ふたりが騒さわぐ隙すきに、わたくしが逃にげだす約束やくそくだったんです、それがわたくしがまごまごしたものですから、すぐに見張みはりの者ものにみつかってしまいましたの」

「逃にげだしてどうするつもりだった」

「こいそと二人ふたりであなたのあとを追おうつもりでした」

「乱暴らんぼうなことを」と十郎太じゅうろうたが云いった、「そうすると伯母おば上じょうは自害じがいなさらなかったんだな」

「でもわかりませんわ、わたくしの逃にげたあとで自害じがいしたかもしれませんし、失敗しっぱいしたのでやめたかもしれませんし」

「冗談じょうだんじゃない」と十郎太じゅうろうたはとびあがりながら云いった、「――泣ないているひまにどうしてそれをさきに云いわないんだ」

そして彼かれは小屋こやの外そとへとびだしていった。千鳥ちどりはまた泣なきだした。菅田すがた平野へいやは彼女かのじょが濡ぬれたままの足袋たびはだしなのを見みて、こいそに「足袋たびをぬがせておあげなさい」と云いい、そばへいって自分じぶんの名なをなのった。

「足袋たびをぬいだらよく拭ふいておくんですね、風邪かぜをひきますから」と菅田すがた平野へいやは云いった、「――もう泣なくことはありません、お父ちちさまを救すくい出だす手筈てはずもついているし、まもなく無事ぶじにおさまりますよ、じつに世よの中なかはふしぎなものだと思おもうんですが、井坂いさかさんが戻もどって来きたのは私わたくしと出会であったからでしてね、その出会であったもとはといえば、私わたくしが死しぬほど空腹くうふくだったからなんです、恥はじを話はなさなければ理りがとおらないといいますが、お聞ききになりたいですか」

千鳥ちどりはいぶかしそうにこちらを見みた。その眼めには涙なみだが溜たまっていたが、菅田すがた平野へいやの話はなしを聞きいているうちに、眼鼻めはなだちのおおらかな顔かおがしぜんとほぐれ、十郎太じゅうろうたが本気ほんきになって介錯かいしゃくしようとした、というところまでくると、あどけない唇くちびるに微笑びしょうがうかんだ。しかし、彼かれの話はなしが終おわらないうちに、十郎太じゅうろうたが陸田りくでん夫人ふじんをつれて戻もどった。

「まあ、お母ははさま」

千鳥ちどりは叫さけび声ごえをあげて、母親ははおやのほうへ両手りょうてをさし伸のばした。おの女おんなは静しずかに入はいって来きて娘むすめのそばへ寄より、娘むすめの手てを握にぎりながら乾ほし草くさの束たばへ腰こしをおろした。

「お母ははさまはここへ入はいるの初はじめてよ」おの女おんなは小屋こやの中なかを眺ながめまわしながら云いった、「――乾ほし草くさがよく匂におうこと、お母ははさまはこの匂においが大好だいすきよ、あなたおけがはなくって、千鳥ちどりさん」

「ええお母ははさま」千鳥ちどりは母ははの腕うでのところを撫なでながら云いった、「もうちょっとで捉つかまろうとしたとき、じゅろう(十郎太じゅうろうた)さまが助たすけに来きて下くださいましたの」

「聞ききましたよ」

「それからじゅろうさまたちは、お父ちちさまも助たすけ出だして下くださるのですって」

「それもいま聞ききました」とおの女おんなはまた小屋こやの中なかを眺ながめまわした、「――乾ほし草くさっていつもこんなによく匂におうものかしら」

「ええいつも匂においますわ、わたくしときどき入はいったことがあるけれど、いつだってこのとおり匂におっていますわ、ねえ、じゅろうさま」

十郎太じゅうろうたは咳せきをし、聞きこえないふりをして、五ご人にんの捕虜ほりょたちを仔細しさいらしく点検てんけんした。陸田りくでん夫人ふじんはいぶかしげに娘むすめを見みた。

「あなたこんな処ところへお入いりになったの」

「ええそうよお母ははさま」と千鳥ちどりは云いった、「――ここは昼間ひるまでも薄暗うすぐらいし、誰だれも来くる者ものがなくって静しずかでしょ、それで乾ほし草くさの上うえへ横よこになると、躯むくろがふわっと沈しずむような、浮ういているような気持きもちになって、そして草くさの甘あまい匂においに包つつまれたまま、うっとりと眠ねむくなってしまいますの、ねえじゅろうさま」

「あら、じゅろうさんもごいっしょだったの」

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